先日、雨のそぼ降る中、また上野のトーハクの特別展に行ってきました。
めざすは、「日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年<特別展>」とものものしい冠のついた「北京故宮博物館院200選」。
そう、1月に一度行ったものの、180分待ちが耐え切れず、あきらめて本館の龍の展示を観た・・・という、あれです。
あの時はまだ、今回の目玉「清明上河図」の展示期間だったので混んでたけど、期間が終わってしばらくしたら大丈夫だろう、今は印刷の複製品らしいし・・・と思ってボヤボヤしてたら、また会期末。
1月末くらいにいけばよかった、うーん、もういいか、行かなくても・・・と思っていると、あの混み混み期間に根性出して見に行った息子が「えー、行かないの?行った方がいい。特に書は見といたほうがいい」というので、むしろ仕方なく行ったのでした。
まあ、パスポートだし、もう一回行ってもお金はかからないしな。(この前は看板だけ見て本館に向かったの。)
雨だから出足も鈍るだろう・・・とちょっと期待してたけど、なんのなんの。
ほらね。続々と・・・。
実は私は中国と聞くと少し気持ちが下向きになるのです。
というのも、それははるか昔、大学1回生のとき。希望に燃えて入学した春。単位登録の時に第2外国語を何取ろう・・・と迷っていたら、1年上の先輩が
「ひとみちゃん。中国語おもしろいで。難しくないし。一緒に中国に行こう」と明るくアドバイスしてくれ、何だか楽しそう!!とうきうきと登録。
この中国語の先生は中国人で、毎年夏だったかな、学生を中国に連れていってくれるというので、人気講座だったのです。
ところがところが、初めは「発音おもしろい」なんて張り切っていたのに、だんだん・・・。一緒に取った友だちも・・・。
あかん。わけわかんない。うーん、難しい。わあ~・・・と早々に挫折。いつの間にか自主休講の時間にしてしまってフェイドアウト。(第2外国語は取らなくても卒業できたのです。)
その後、大学で会うとその先輩たちは「ひとみちゃん。どうしたん?なんでやめたん?ねーねー」と言われるのでささっと隠れるようになり・・。あー、苦い思い出です。
だから、中国文化には興味があるし、茶道具でも大切にされているし、こうして展覧会があると行ってみるけれど、何か心をチクッと指す、私にとってはそういう存在。
今回の展示は門外不出の作品がわっさかさ、空前の規模・・・と言われていても、なんだか重い気持ちで中に入ったのでした。(そしたら行くなよなー ^^;)
入ると、息子が言ってたように、膨大な量の書の展示。よ、読めない・・・、でも、心に沁みてくる字がたくさんありました。なんつー稚拙な感想・・・。
書の展示。今までも何回も足を運んでいるけど、書のときって特に人の動きが流れないのです。ガラスに張り付いて解説を聴きながらずーっと並行移動していく人の波。
と、その外側で時おり人が薄いところだけひょひょいと観ていくもうひとつの人の波。
私は・・・もちろん、外側です。じーっと全体を観続けるのは私にはできないのだ。
私はひとつの展覧会で1時間半強が耐久時間の限度。それ以上になるとヘトヘトになって、楽しさが半減してしまうので、ほんとに観たいとこだけをなるべくじーっと観ることにしています。
でも、隅から隅まできちんと観ている(ように見える)人たちってたくさんいらっしゃいます。
いつもすごいなあと思うのだ。それも、今回、特にお年を召した方が多かったように思います。ゆっくり時おり座って休んでいる方もいるけど、全体を見終わったらいったい何時間かかるんだろう、私がせっかちなだけなんだろうか・・・などと展示と全然関係ないことを思いながら、ずんずん観ていくのでした・・・。
中国っていろんな字があって、それぞれ評価されていて、すごいなあと感じました。日本とは違う文化なんだなあと、これだけでも思う。
パンフ裏面より。
私は書はこの右上の黄庭堅(こうていけん)のが好きでした。なんか、圧倒された。自由でのびやかで何度見ていても飽きませんでした。
クリアファイルも買いました。今回買ったのはこれだけ。
難しいことはわからないので、(中国だし、その中国語単位アウトの経験で気弱になるので)、印象に残ったことだけをいくつか。
面白かったのは「題跋(だいばつ)」。
中国の書画の後ろには作品を見た感想が書き連ねられていく、そのことだそうで、この書と文章も鑑賞のポイントだと初めて知りました。中には延々と書き連ねられているものや、絵の間に書かれているものもあり、乾隆帝は同じ作品に三度も書いていたりして、興味深かったです。
そういえば、この乾隆帝の、いろいろな身分の人物に扮した肖像画は見ていて楽しかったなあ。遊び心を感じてしまいました。
もうひとつ印象に残ったのは、展示そのものではなく、展示に添えられていた解説なのですが、文化についてのくだりで
「悠久の歴史をもつ中国大陸では古くから人間の生活文化が多様に発展した。とりわけ天然の材料を利用し、人工の産物を創出する工芸の発達には、世界史的に見てもすばらしいものがある」
ということ。
つまり、今回出展されていた陶磁も漆工も琺瑯も染織も、もともと天然に存在する土などの素材からできている、あたりまえのことなのですが、それが人の技術と感性で工芸品となって生み出されてきている。それって今あるものもそうなんだなあ、この何百年前に生まれたものと今作られているものと変わらないのだということ、あらためて知りました。
息子のひと声がなければ、寒いしバタバタと予定もあったし、行かなかっただろうなあ。でも、思い切って行ってよかった。
そういえば、この少し前に私は絶対観たい展覧会があって、でも行きそびれていたらそのどうしても観たかった作品は売れて買われて行ったから、永遠に観ることができなくなってしまった・・・という、ちょっとさびしいできごとがありました。
その作品にとっても作家さんにとっても買った方にとってもそれはとてもいいことだと思うのですが、心残りとなって。
だから、やっぱり、行こうかなと思ったときは観ておいたほうがいい気がします。観たこと観たものは、目に見えなくても何かしら自分の中に何かを残す気がするから。
この「北京故宮博物院」は「明の永楽帝から清の宣統帝溥儀まで24人の皇帝が居城とした紫禁城に由来する」(パンフより)とのことで、歴史の時間がババっとシンクロしたりして、頭が少しショートしていましたが、やっぱり中国すごい!と、過去の暗い中国語体験もぶっ飛ぶくらい、壮大な展示だったと思います。
明日で閉幕、またすごい人だろうな。じっくり見ている人はいったい何時間費やすのだろうか聞いてみたい、と結局そんなことを考えている今夜です。
あ。帰りにいつものお楽しみ。館内の「鶴屋吉信」でお菓子を買いました。
春らしいお菓子は4個で525円でした。写りは悪いけど、おいしかったです♪