2022/09/27
今日は安倍氏の国葬。
私はこのことを書くのは気が進まないけれど
でも、自分のブログで自分の気持ちを
書かないのも本意ではない。
以前の私なら政治と宗教のことは
書かないでおこうというスタンスでした。
けれど
世間にはさまざまな意見が溢れています。
世間にはさまざまな意見が溢れています。
SNSで個人も意見を発信できる時代になった。
これからは、思うことがあるならば
自分の意見は意見として
発信していくべきではないかと
思うようになったのです。
もちろん、何のお別れも言わずに
ある日、命を絶たれてしまった安倍氏の無念さ
家族の悲しみの深さは理解できるつもりでいます。
悼む気持ちも持っています。
でも7月12日に安倍氏の葬儀は終わっており
親しい人々、支持していた人々との
お別れはすんでいるのです。
国民の60%が反対しているとなれば
国葬を決めたことが早計だったとして
国葬を決めたことが早計だったとして
「撤回します」で、よかったのでは。
それが国民の声を聞くことではないでしょうか。
私が今回学んだのは
(今回もですが)
政権は間違っていても
絶対に訂正しないということ。
無理に押し切るということを
安倍政権時代から繰り返してきました。
そのやり方が
今回の国葬でもそのまま継承されていた
ということです。
国民はそのたびに自分たちの意見は
受け入れられることはないと
絶望的に感じるのです。
反対が多いとなったら
「弔問外交」という言葉を使い出しましたが
10∼15分で大切なことを
話し合えるんでしょうか。
話し合えるんでしょうか。
何かの政治的合意ができるんでしょうか。
G7の首相は誰も来日していません。
218の国、地域が参列しましたが
多くの国は日本にいる駐日大使だそうです。
(上記の217ではなく218が正しいです)
国葬をやろうというのは
麻生氏の意見が大きかったと
言われています。
閣議決定で決まったと
岸田首相は言っていますが
麻生さんに押し切られたのでしょうか。
今回の国葬を請け負った会社は
安倍氏の桜を見る会を受注した会社と
同じだというではありませんか。
入札もしないで1社に丸投げだなんて
あきれますね。
今日の国葬を見ていて
自衛隊はまるで軍隊だなと思いました。
日本は軍隊のない国とはとても思えない。
この制服の人たち(儀仗隊)を見ていたら
三島由紀夫の楯の会を思い出しました。
皇室の葬儀でもなく、無宗教の葬儀というと
自衛隊が出てくるんでしょうか。
どうして大砲(戦争に使う兵器)が
葬儀に必要なの?
菅さんの弔辞がよかったという声もありますが
「総理、あなたの判断はいつも正しかった」
という菅さんの言葉は引っかかります。
「特定秘密保護法、一連の平和安全法制、
改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、
すべて成立させることができました。」
これらの法案は成立させてほしくない
危険な法案ばかりなのです。
親しい友人としての情や悲しみは
感じますが
判断がいつも正しいというのは間違いです。
これが国葬について私の感じたことです。
内田樹氏のご意見
「国葬という政治的失着」
私は、安倍氏個人としての死を悼むのにやぶさかではありませんが、国葬は、歴代の首相との整合性がないように思います。
うまくまとめていただいてありがとうございました。
私自身の考えがまとまり、ちょっとすっきりしました。
コメントありがとうございます。
応援すると書いてくださってうれしいです。
安倍さんの国葬は国民の賛否を二分しましたね。
安倍さんの業績には賛否の分かれるところがあります。統一教会との関係は根深いものがあったと思われるのに、それが何も問われないまま国全体で安倍さんを悼む葬儀を行うのは、どうかと思います。
コメントありがとうございます。
国葬が政治を考えるきっかけになったとしたら、それはよかったと思います。
安倍さんや彼の周辺の人々は、国の政治は自分たちの一存でどのようにもできるという政治の私物化があったと思うのです。これは長期政権の害悪ですね。(岸田さんは国葬の理由に長期政権をあげていたけれど)
国葬決定の過程では、国民全体がどう考えているかという視点がまったく欠けていたと思います。
今後は安倍さんが撃たれる原因となった統一教会の問題も、うやむやにすることなく解明してもらいたいと思っているのですよ。