2020/09/19
福島次郎は三島由紀夫の唯一の弟子と言われている人物で、東洋大学の学生時代には三島(平岡)家で書生をしていました。熊本県八代市で高校の国語教師を35年間勤め、芥川賞候補になった小説も書いています。
福島は三島より5歳下でしたが、三島と同性愛関係にありました。還暦を過ぎた頃に三島との関係を書こうと思いながら何年も逡巡をして、1998年に書き上げたのが『剣と寒紅』です。
それについて、「序」で筆者はこんなふうに書いています。
〈還暦を迎えた頃、三島由紀夫についての思い出を書き残しておきたいと思ったが、書き出してはやめ、書き出してはやめで、結局書けずに6、7年の月日が経った。
ずっと三島について書くことをためらってきた。三島を書くということは自分の「生理的欠如」を露呈することになるので、改めて掘り出したくはなかった。
『バスタオル』が芥川賞候補になり、自分がどんな小説を書く人間か、家族や世間一般に知られてしまったので、もう隠れる場所がなくなった。
追いつめられた気持ちから、自分自身の触れたくない過去を露呈させてでも、ともかく三島さんのことは、私なりに記述しておかなくてはならないと思い立った。
村松剛の『三島由紀夫の世界』は何が何でも三島のホモ・セクシュアルの気はなかったと弁明しているが、それは不自然で、一種の差別意識だと思われた。ホモであることは、人格の尊厳に傷をつけることであろうか。この本への反発も、書き出した一因になっている。〉(P.6)
この本は、三島の書簡を無断で掲載したことが著作権侵害に当たるとして、三島の遺族である長女と長男から出版差し止めを求める訴訟を起こされています。最高裁まで争い、2000年(平成12年)に敗訴が確定しました。
私は、書簡の著作権のことはよくわからないのですが、手紙の内容を許可なく使われたためというより、同性愛関係や、三島(平岡)家の内情、瑤子夫人から受けた敵意のようなものを書かれたことが、遺族にとっては発表されるのが耐えがたい、というふうに思えました。
この作品の書評や口コミを見ますと、福島次郎は虚言癖があったとか、自分に都合よく書いているという言葉もありますが、細かい部分はさておき、ここに書かれていることはほぼ事実だろうと私は受け取りました。
まず、15通の手紙があり、それは神田の古書店に売ってしまったそうですが、コピーはあり、手紙と照らし合わせれば、この本の筋書きが事実であるかどうかは確認できますから、それほどはずれたことは書いてないのではと思います。
この本によって私は三島の隠された部分を見た気がしたし、知りたかったことを知った、新しい三島の解釈が可能になったと感じました。
その意味で、よくぞ書いてくれたという気持ちがしました。本当に興味深く読みました。
私は大学時代から三島を読んでいましたが、彼が同性愛とは思わず、それは小説の中だけのこと、つまり創作なのだとずっと思ってきました。
そして、2003年に三島の研究者である女性講師(女性学の授業を受けていた先生)の著作を読んで、三島は同性愛だったとわかったのです。
『仮面の告白』も『禁色』もホモ・セクシュアルのことを書いていながら、なぜ、私が三島は同性愛者ではないと思っていたかと考えてみると、その当時の文壇の評論家たちが、三島の同性愛を認めていなかったからだと思うのです。
評論家たちは、当時、いわゆる知識人と言われる中高年男性ですが、ホモ・セクシュアルを話題にするのは恥ずべきことだったのか、隠匿すべきことだったのか、三島のその部分はスルーをしたのですね。だから、洞察力のない時代の私は三島について書かれた評論を読み、三島は同性愛ではないと思っていたのです。
日本では2010年頃になってから、やっと同性愛とかLGBTのことがマスメディアでも語られるようになりました。
長くなりましたので、次回に。
この本、買って読んだ記憶が。訴訟になったことも思い出しました。
捨ててなければ我が家のどこかにあるはず。探してみます。
ご紹介、ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
三島は今年の春に全共闘との対話映画が公開されるまでは、語られることが少なかったように思います。
この本は、三島のもう一つの顔を知るうえで、とても貴重な資料だと思いました。