2025/01/12
目黒区駒場公園内の
日本近代文学館で開催中の
「三島由紀夫 生誕100年祭」を
見に行ってきました。
三島は今年生誕100年なんですね。
2020年は没後50年で
様々なメディアで取り上げられた
記憶も新しいところです。
今年は昭和100年でもあるのですが
三島の生まれた1925年は昭和元年で
三島の年齢は昭和と同じなので
わかりやすいのです。
さて、展示は撮影禁止なので
写真はないのですが
興味深い展示がたくさんありました。
三島の原稿や手紙、ハガキが
たくさん展示されておりました。
他の作家や編集者と比べても
はっきりした字が美しい人でした。
厳しかった祖母に仕込まれたのかな
などと感じました。
などと感じました。
昔はメールがないので
必然的に手紙を書かざるを
得ないのでしょうが
それでも筆まめな人だったのでしょう。
必然的に手紙を書かざるを
得ないのでしょうが
それでも筆まめな人だったのでしょう。
几帳面な字なのです。
その几帳面さ、気真面目さが
あの事件と無関係ではないように
思われました。
パンフレットの写真はいかにも
男っぽく豪放磊落に見えますが
三島を知っている人たちによれば
気が小さく、怖がりで、不器用な人
だったようです。
きっと無理をして演技して
自分を造り上げていったのでしょう。
展示では楯の会の制服が箱に入ったまま
(デパートで買った時の箱)
展示されていました。
写真で見たことのある夏服と冬服を
初めて間近で見ました。
袖を通したことがあるのかどうか
きれいな状態でした。
制帽と履いた跡のある編み上げ靴。
それを見た時に三島は本当にいたのだと
胸に迫るものがありました。
つまり私にとって三島は
実際には会ったこともない架空の
人物のようでもあり
本に載っている歴史上の人物だったから。
もっとも胸に迫ったのは
森田必勝の写真でした。
丸顔のまだ子どもっぽいといっても
いいような笑顔の写真があって
なぜ、健康そうなこのコは
あのように道づれで死んだのか‥。
やりきれない思いがつのりました。
三島の担当編集者として
20年近く歩みを共にしてきた菅原國隆氏は
私も今回初めて、その名前を知ったのですが
他の編集者に「作家と編集者の関係を超えた」
と評された「親友」の関係だったそうです。
家族ぐるみの付き合いもあったようです。
毎日新聞の記事
三島が楯の会を作ったときに
反対をしたために
三島から疎まれ遠ざけられたと言います。
その後、菅原氏は三島との付き合いは
一切語ることなく
1992年にこの世を去ったのでした。
私がこの三島展を知り
見に行くきっかけになったのは
この毎日新聞の記事からですが
菅原氏の存在も初めて知ったのでした。
私にとって三島は昔は「憧れの人」であり
死後は「不可解な人」であり
今は「可哀そうな人だった」と
知るほどに、その姿を変えています。
憧れはいつか地に墜ちてしまったけれど
今でも三島の何かを目にするたびに
知りたいという興味は尽きることが
ありません。
三島に対するトークイベントが
いくつかあるようですが
知ったのが遅かったので
既に終わっていたり、満席だったりして
それが残念です。
今年は生誕100年なので
今後も何か回顧展があるかもしれません。
それを楽しみにしています。