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水の惑星は みずから溺れる

2008-06-28 09:32:36 | Weblog
教育の欠陥を示す事例は、まだある。例えば、水素エネルギーへの理解。温暖化防止に有効だとされている燃料電池や水素エンジン自動車が生み出す二次災害が、まったく見えていない。水素をエネルギー転換すると、最終的に水ができるのは常識。学んだはずの知識は、少しも生かされていなかった。

炭素系資源はエネルギー転換で酸化され、最終的に二酸化炭素を生み出した。水素系資源が酸化すると、いうまでもなく水を生み出す。炭素系資源の消費が増えて温暖化が進んだように、水素系資源の消費拡大は、地球全体を水浸しにする。水は分解されても、再び元の水へとを復元されるもの。一度できた水を減らすことは、できない。


この簡単な理屈が、まるで見えていなかった。


科学は19世紀後半から長足の進歩を遂げた。その成果に学んだはずの人類が、温暖化を止めることが今もってできないでいる。代わりにもっと有害な水素資源への転換を図ろうとして、燃料電池の開発にしのぎを削っているというありさま。

水素の弊害で海岸線の縮小が起きることは、みえていなければならないごく簡単なこと。この部分を捨象して燃料電池でひと儲けしようとたくらんできたため、慾に目がくらんでものの道理が見えなくなっているのが実際の姿。


幸いなことに、水素エネルギー社会の実現は停滞したまま、動かない。水の絶対量を増やさない燃料電池に切り替えないと、水素は代替資源となることができない。その方法がない、という訳ではなかった。

だが、もっとよい方法が、あったのだ。最終相のために用意していたものを、プロセスを省いていきなり登場させる必要がでてきた。温暖化が悪化してしまったからである。

超伝導は最終目標だったのだが、その実現を急がざるを得なくなってきた。超伝導と電磁誘導とを結びつけてしまえば、減衰しない電源電流を一次資源とすることが可能になる。文明が消費する電気エネルギーは、そこから誘導される常伝導電流の方を消費すればよい。


基礎があれば、応用は簡単なこと。教育システムがやってきたことは、知識の量的拡大に過ぎなかった。応用がきかない人間だらけになってしまったのは、認識能力の練磨を課題としてこなかったから。

管理する側は、管理され易い学生を優先的に選抜する。この慣習が60年以上に亘って続けられてきた。質が劣化していったのは、当然のなりゆきというもの。


 すぐれた頭脳を腐らせる制度を維持しているのは、問題がまだ見えていないということ。 
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