人形町の話題が続きましたが、今日も人形町に多少関連した話です。先日のブログでも書きましたがワイズクリエイトの創業地は人形町の隣町である日本橋小舟町でした。1999年に創業した時は殆ど借入金で会社を作ったものですから死にものぐるいで働きました。休みは正月と盆だけで359日は朝から夜まで、ある時は泊まり込みで働いたものでした(若かったのですね。ただ休み前になると倒れていました)。あの時は体力と運の良さだけが取り柄で、創業まもなくに木製カメラ製造の匠の技を持つ今は亡き横木正夫さんと出会い、ワイズブランドの木製フィールドカメラ「ワイズ45S」と木製中判カメラの「ワイズ69ハンディ」「ワイズ67ハンディ」を世に送り出し、製造メーカーという立場でも幸先の良いスタートをきれました。特に「ワイズ69・67ハンディ」はレンズ部とバック部をパンタグラフ式のヒンジで繋いで、その中に蛇腹を配した独特の設計が人気を呼び、多くの問い合わせや注文を頂きました(今でも問い合わせがありますよ)。ある時「そんな楽しいカメラが自分で作れたらいいのにな~!」との思いから、横木正夫さんを口説き落とし指導講師になってもらい「木製中判カメラ製作教室」を企画・催行しました。いや~っ、当たりましたね。男の人は何かモノを作るのが好きで毎回教室は一杯になり、参加者は自分で組み立てたカメラを教室終了後に嬉しそうに持ち帰っていました(1枚目の写真がワイズ67ハンディで2枚目の写真がその情景写真)。そんな人気の教室だったからか沢山のメディアにも紹介されたり写真3~4枚目の様にカメラ雑誌の特別取材もありました。因みに写真の白髪を後ろでまとめている老人が横木正夫さんで食事は2~3日に1回で良いという仙人みたいな人でした(この時で90才くらい)。この日本橋小舟町・人形町時代には「ピンホールカメラ製作教室」、「ポラロイドプリント転写教室」、フジGA645Ziを参加者に貸し出した「人形町ワークショップ」に始まり、月何回かの撮影会まで催行していたのですから今考えても信じられないくらいです(休めないわけですね)。時代は変わり、今はこんな製造教室は出来なくなりました。当時は「波に乗ってしまえ」とばかりに「大判カメラ組み立てキット」の販売計画もありましたが、いろいろあって実現できませんでした。それでもある意味、良い時代だったのかもしれませんね。
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