大判カメラ日記。

ワイズクリエイト オフィス・木戸嘉一のブログです。

PHOTO NEXT 2010 開催!

2010年06月30日 | 日記
昨日から「PHOTO NEXT 2010」が開催され久しぶりに東京ビックサイトを訪ねた。1年ぶりの東京ビックサイト周辺は更なる都市増殖が活発になり大きなビルが増え、人は臨海部を目指しているかの様な印象を持った。さて話は「PHOTO NEXT 2010」に戻りますが、一般の人にはあまり馴染みが薄いプロ向けの写真フェアなのです。来場者は写真館、カメラ店、観光写真業者、ブライダル業者、コマーシャル分野、等々何らかの形で写真で飯を食っている人達が対象で、展示物もこれに付随し一般の人が見てもあまり興味が沸くものは無いかもしれない。またこのフェアの特長のひとつは同時開催の「飛躍スタジオの新切り口を発見せよ」「新カメラマン必見!現場で活かせる女子力」「撮影から熱心にフォトブックへ結びつける」「フォトブックコンテストに見る消費者動向」等たくさんのセミナー、ワークショップがある事だ。これに参加するために遠くから来場する方も多い。ただ個人的な意見で申し訳ないが、大きな方向性は皆同じ様な気がして主催者、講演者には申し訳ないが皆スルー。プロ写真業界もこの混迷する時代に何かをしなければならないと手探りで試行錯誤しながら少しずつ少しずつ前進をしようとしている態だ。それにしてもこの会場内で何年振りかになる業界関係者と何人もお会いした。皆さんそれなりに年齢を重ねられた印象を持ったが、10年以上振りにお会いした韓国の写真関連会社の女性社長はぜんぜん変わらずにビックリ。キムチパワーなのかも?

観潮楼からの東京スカイツリー!

2010年06月29日 | 東京散策
久々に千駄木の地を訪れた。千駄木は森鴎外、川端康成、高村光雲、光太郎など多くの文人が住んだ由緒ある町として有名だが、今もその名残からか高台の高級住宅地として人気がある。私はこの千駄木周辺で根津神社の北参道から永井荷風で有名な薮下通りを抜け、団子坂上を通り、動坂上まで続く道を歩くのが好きだ。眼下に谷中の町を見下ろす場所もあり、緑地有りで、本郷台地という高台のへり沿いをゆっくり歩くといろいろなモノに出会え、たまらなく気持ちの高揚を覚える事がある。このモノのひとつが「観潮楼」だ。森鴎外が30歳から60歳で亡くなるまで住んだ観潮楼は団子坂に出る手前に今でも本郷図書館森鴎外記念室として残ってる。因にこの「観潮楼」は鴎外の建て増した2階から東京湾、品川沖が眺められた事から「潮を観る楼閣=観潮楼」と鴎外が自ら命名した。観潮楼の前には緑で少しだけ熱い日差しを遮る小さな公園が造成されている。名前に因んでベンチに座って遠く海を見ようとしても、今はビル、ビル、ビルで白波を見つける事は出来ない。ただじっと見つめているとビルの谷間の僅かな隙間に東京スカイツリーが見えた。激動の明治、大正、昭和、そして平成のうねりの中で時代は大きく確実に動いていた。鴎外も観潮楼から遠くこの様な摩天楼を見つけるとは思ってもいなかった筈だ。

コマーシャルスタジオがペット写真館に!

2010年06月28日 | 撮影
ワイズより徒歩1分の松竹堂カフェの2階に、コマーシャルスタジオ「スタジオエメス」があります。ここのオーナーはなかなかのアイデアマンで、数百万円もする中判デジタルバックの早期活用や、本業の撮影の他にも契約農家で採れたこだわり野菜の直売を始めたりしていました。今回は東京都内では珍しい「ペット写真館」を始めました。3ポーズのカットをA5判の台紙に貼付けたプリント3枚とデータCDのセット価格で12000円が基本となり、その他にもアウトドアでの撮影も受け付けると言う。本格的のスタジオで撮影してもらってこの価格は割安と思う。ワンちゃん大好きで興味のある方は是非ご利用下さい。話は人間を撮影する写真館に移りますが、20年前は協会に加盟している日本全国の写真館の数は12,000館あったと記憶している。先日協会関係者にお話を聞いたところ4,000館をきってしまったとの事。この数字の推移は大変大きいもので理由として(1)少子化の影響で七五三等の記念撮影等が減少(2)ライフスタイルの変化で記念撮影をスタジオで撮らなくなった(3)格安の子供写真館等の出現(4)デジタルカメラの普及でだれでもある程度の写真が撮れる様になった。等の理由が考えられますが、ペット写真はこれに反して、ペット数の増加。一般人の撮影技術では良い写真が撮れない。ペットにはお金を惜しまない。等の理由から成長が期待できるともされている。ただいかんせん相手は動物。撮影技術だけでなく、ペットの扱いにもなれていないと大変な事になる。昨年、カメラマンと獣医師のコラボによるペットスタジオ計画があったのを知っている。これは最強かもしれない!

日本リンホフクラブ・大判カメラ勉強会。

2010年06月27日 | 撮影
昨日の土曜日は新宿御苑にて、日本リンホフクラブ主催の大判カメラ勉強会が開催されました。日本リンホフクラブはドイツ・ミュンヘンの120年以上の歴史ある大判カメラメーカー「リンホフ社」の世界初の公認で昨年発足した写真クラブです。会員数は日本全国でまだ100名ほどですが、定例の勉強会や撮影会も開催しています。今回はクラブ会員以外の方でも、また大判カメラを持っていない方でも参加できる無料の勉強会でした。参加者の中に大判カメラをセットで購入したばかりで初めて撮影をする方がいました。新宿御苑・大木戸門前の休憩スペースシートフィルムホルダーへのフィルム装填から、カメラセットの方法、ピントの合わせ方、アオリ方法等を沢山の親切なインストラクターの指導で大判カメラデビューに成功しました。日本リンホフクラブでは今後も下記の日程で新宿御苑での大判カメラ勉強会を開催予定です。先にも述べましたが大判カメラを持っていない方でも参加できます。こんな機会が無いと滅多に触れないカメラです。是非ご参加下さい。参加希望の方は事前に事務局(株式会社ワイズクリエイト TEL03-5689-2776)までお申し込み下さい。

《開催日》
2010年09月04日(土)10:00~13:00
2010年12月04日(土)10:00~13:00
《開催場所》
新宿御苑・大木戸門前・売店横休憩所
《参加費》
無料
《その他》
雨天中止。カメラを持参下さい。※カメラの無い方も参加可能です。

来週は飛びます。飛びます。

2010年06月26日 | 撮影
今日はひとりのーお客さんの話をします。毎年末になると航空写真家の芥川善行さんからB全大のオリジナル航空カレンダーを数十部お送り頂いています。これをご希望のお客様にプレゼントしています。あるお客さんが2010年版の真っ赤に染まった瀬戸内海の夕景写真カレンダーに感激しパネル貼りにして持ち帰られました。暫くしたある日、偶然そのお客さんと芥川先生が当社で一緒になり、芥川先生から航空写真撮影の生の声を聞く事が出来ました。どれほど感激したかはその行動でわかります。1ヶ月後に航空写真用の4x5カメラを用意しニュージーランド上空で航空写真撮影にチャレンジしていたのです。1ヶ月の間に4x5カメラによる手持ち撮影の練習を200カット以上こなしてからの撮影でした。ただ航空写真はそんなにあまいものではなく「納得の1枚」は無かった様子でした。普通、こんなに難しいならやめようとなるのですが、この方、ガッツと行動力があるので更に航空写真撮影を勉強したのでした。今回の来店は調布飛行場でパイロットとの撮影打ち合わせを行なった後での立寄でした。手には滅多に見られない関東地区の航空地図を持ちながら「来週は飛びます!」との事。こんなに一所懸命になるカメラマンならきっと『納得の1枚』が撮れると想像できる。しかし人生不思議なもので1枚の航空カレンダーとの出会いが、この人の写真人生を変える様な気がする。

曽我定昭さんの写真集。

2010年06月25日 | BOOK
曽我さんから三冊も写真集を頂いてしまった。「天城」「天城山」「幽幻」と伊豆・天城の森を題材にした写真集だ。どれもこれもクオリティの高い写真が満載で、見ているだけでワクワク楽しくなる。その中の「幽幻」は一番新しいもので、この写真集制作のために伊豆・天城の森に四季を通して4年間通い続け撮影した1万カットの中からセレクトした秀逸の写真集だ。ページをめくるたびに鳥肌が立つ程の臨場感を受け取る事が出来る。久々に写真集らしい写真集に出会った様な気がする。(神奈川新聞社発行・3150円)そんな訳で久々の感動を表わすために、この写真集をワイズでは在庫して販売します。お気に入りの方はお声がけ下さい。絶対に良い写真集です。※写真集購入者には曽我さんの2011年カレンダーも特別にプレゼントします。

天城を撮影する曽我定昭さん来社。

2010年06月24日 | 日記
「天城」「天城山」「幽幻」等の伊豆・天城の写真集を出版されている写真家・曽我定昭さんが来社された。毎年制作されている「天城」のカレンダーは来年で10年にもなるという。写真は来年(2011年)のカレンダー表紙の色校正用刷り。こだわりのカメラマン曽我さんらしく来年の表紙も絞りにこだわって絶妙な被写界深度の中に主役の「ミツバツツジ」を置いている。1枚見ただけで感動しているので残り12枚を見たら感動も何倍にもなりそう。今から完成が楽しみです。そこでワイズ大中判写真の会会員の皆様に朗報です。カレンダーが完成したら10部を会員プレゼント用に提供して頂く事になりました(会員でない方は別途相談して下さい)。詳しくは毎月発行のワイズニュースにてお知らせ致します。自然の香りがする素晴らしいカレンダーを部屋に飾ると、血圧が下がったりの癒し効果がある事は実証されています。楽しみ!楽しみ!

日本サッカー協会前、シ~ンと寂しく。

2010年06月23日 | 日記
FIFAワールドカップの真っ最中である。日本は多くの予想に反してカメルーンに勝ち、優勝候補のオランダとも接戦を演じる等、開幕前の盛り上がりの無さから一転、あちこちでサッカー熱が高まっている。我がオフィスのある文京区本郷には日本サッカー協会(JFA)がある。日本サッカー協会は2002年に行われたワールドカップの剰余金を元に2003年に本郷にビル購入。JFA事務局の移転と2002年W杯を記念した立派な日本サッカーミュージアムを開設。地元の本郷ではこのビルの前の道を「サッカー通り」と命名しブルーを基調にした「がんばれ SAMURAI BULE」なる横断幕を掲げている。何処よりもワールドカップ熱で火傷をしそうなくらいに盛り上がらなければならないのだが、どういう訳か「シ~ン」と静まりかえっている。写真はサッカーミュージアム前での独り応援団のスナップ。まさかこの人もワールドカップの開催期間中に日本サッカーのお膝元がこんなに寂しいとは思ってもいないでここに来た様子だ。寂しく記念撮影ボードの前で撮影。本来ならここに一番人が集まっている筈だ。「頑張れ!ニッポン!」

アンセル・アダムスの写真展開催。

2010年06月22日 | 日記
知人の写真展を見るために六本木の富士フイルムフォトサロンへ行って来ました。同サロンが改装され今まで1階と2階でのギャラリー展開が1階のみとなった。そして今回が初めての訪問でした。新装なった同サロンは3つのゾーンに分けられる(1)はスペース1ギャラリー(2)はスペース2ギャラリー。そして(3)は写真歴史博物館となる。このうち知人の写真展はスペース1での開催だった。スペース1、2ともゆっくりと写真を観賞し写真歴史博物館に移動。同博物館には古くからのカメラや富士フイルム製品が陳列され見ているだけでも楽しくなるスペース。そんな時、壁面に目をやると『アンセル・アダムス作品展「Portfolio IV」1963年制作』なるタイトルとモノクロ作品が目に飛び込む。アンセル・アダムスは、世界各国の著名な美術館においてその写真作品が収蔵されている20世紀の最大の巨匠。日本の国民栄誉賞と同等の賞をアメリカで受賞もしている。ゾーンシステムに基づいた撮影とプリント作業によって制作された作品はどれも秀逸で20年前以上に小田急デパートで開催されたアンセルアダムス写真展の時、「フェルナンデスの月」と言うプリント1枚に500万円の値段がついた事を記憶している。知り合いのギャラリー関係者に今回の写真展の開催の裏話を聞いたところ、このポートフォリオ15枚は小田原の富士フイルム図書館所蔵品で、世界でも15枚全てが揃っているものは珍しいとの事。絶対に必見です。アンセルアダムスの弟子にあたるジョンセクストン氏とは以前一緒に仕事をしたこともあり、またカーメルの自宅にも訪問した事があるので、何かアンセルアダムス氏は私にとっても特別な存在の様な気がしている。同特別展は2010年6月1日から9月30日までの長期開催との事。この間に4~5回は見に行こう。※写真は写真集。ジョンセクストン氏の作品は10枚程当社で展示。

870万円の時計がやってきた!

2010年06月21日 | 撮影

19日(土)は毎月開催の「ワイズ大判カメラ教室」でした。今回のテーマは『接写』で、接写撮影の基本から、アオリ、レンズ選定、露出倍数等参加すれば大判カメラの接写はマスターできるカリキュラムで開始しました。最初の講義は終了し、実技撮影は備品のミニュチュアカー等を利用。その後の自由撮影は、事前に参加者に写したい小物(時計、アクッサリー)があれば持参して欲しい旨、メッセージを発信していました。この自由撮影の時に事件が起こったのです。参加者のお一人が徐にカバンからカタログと時計を取り出し、「この時計はこのカタログに出ているものなのですが、大判カメラで撮影したくて・・・」と一言。なんか高そうな時計だなとカタログに目をやると80年代のピアジェのビンテージ時計で、何んと870万円也。何が何だかわからないが、オパールの文字盤の周囲には燦然とダイヤモンドが埋め込まれている。「ヒェー」と言って驚いている間にも、自らの腕に付けている時計も外して「こちらも写したいのですが」と。念のためにカタログに目をやると、無垢のゴールドの時計でこちらは560万円也。「ヒェー」「ヒェー」時計2つで1ルームマンションが買えると思ったのは貧乏人の私だけでしょうか?その後の撮影は時計の上にレンズが落ちたり、スタンドが倒れたりしない様に細心の注意で大判カメラ教室は進行したのです。ちなみのこの時計。教室終了後はオーナーが持ち帰っておりますので、くれぐれもドロボーさんは当社に入らないで下さい。※この他にも100万円のタイピン、万年筆等も拝見させて頂きました。羨まし~。

今日は牡蠣が主役です。

2010年06月19日 | グルメ
写真を見て昨日に引き続き芥川先生?と思いでしょうが、今日はワイズより徒歩5分の湯島の「旬菜なんてん」を紹介します。「旬菜なんてん」は湯島の住宅地の中にある、ちょっとやそっとでは見つけ難いお店。今回はインタビューの流れで芥川先生と入店しましたが、まずはお通しがすし2貫出ます。その後今まで見た事も無い長辺20Cmはあろうかと言う殻つきの牡蠣と枝豆、更に新鮮なお刺身盛り合わせ、更に更にサバの焼き物、塩らっきょうと波状攻撃は続きます。ビールが大好きな芥川先生は生ビールをゴクゴクと旨そうに飲みながらこれに応戦。時々身振り手振りの写真談義で反撃。白旗寸前の私は焼きおにぎりのカウンター攻撃で陥落してしまいました。しかし旨い料理と写真談義で至極の時間を過ごしました。「旬菜なんてん」はマスターのこだわりで刺身や煮魚、天ぷらと非常に美味しい料理をだしてくれます。季節になるとふぐコースもあるります。決して宣伝費等は貰っていませんが大推薦です。(文京区湯島2-15-3 03-3834-7010)※写真は携帯電話で撮影。皆様カメラを持ち歩きましょう。下は説明が無いとわからない殻付きの牡蠣。

芥川先生はドラえもん。

2010年06月18日 | 日記
昨日に引き続き芥川先生のインタビューをお伝えします。今回のインタビューは日本リンホフクラブ会報委員の川太泰夫副会長が担当しました。まじめで何時も真摯な態度で有名な川太さんはインタビューに合わせて事前に質問事項を作成していました。インタビューはこの設問の順に進みましたが、芥川善行先生の持つ写真、撮影方法、機材、考え方その他気象学や地質学まで、あまりにも抽き出しの多さと深さに川太さんも私もビックリ。設問を超える内容は、まるで何でもが無限に出てくるドラえもんのポケットの様でした。写真下のカメラ設計図とデッサン画にご注目下さい。これも芥川先生が自ら描いたオリジナルです。因に先生はデザイン画、設計の勉強は何処の学校にも、誰にも習わずに全て独学なのです。このデザイン、設計図の通りの製品が幾つも一般に流通している事を私は知っています。あまり書くとせっかくの日本リンホフクラブの会報とかぶってしまいますので、この続きは会報をご覧になって下さい。ただこのインタビューの後も近くの飲み屋さんで続編があったことはお伝えしておきます。

芥川善行先生をインタビュー。

2010年06月17日 | 日記
昨年発足した日本リンホフクラブの会報誌インタビューのためにわざわざ松山より航空写真家・芥川善行先生が来社されました。それも何と芥川先生設計の「エアロアクタス」をご持参頂きました。インタビューは先生の航空写真家になるまでの経緯や撮影の極意、取り組み方、苦労話等多岐にわたりましたが、ある意味一番気になったのが写真の「エアロアクタス」。4x5インチ航空カメラでありながらレンズ交換可能で無限遠域のピント調整が可能な特殊ヘリコイドまで付いています。これを説明すると、皆さんに「カメラ無限遠はどのくらい?」と聞いたら、50mm、100m、300mm位から等といろいろ答えられると思いますが、芥川先生は300mmから500mmの間の200mmまでを正確にヘリコイドによりピント調整をしているという事になります。要するにプロの技はそこまでのレベルなのです。また狭い機内に有効なレンズガード、小さい窓に合わせたボディ側面のファインダーなどなど随所に航空写真家・芥川善行先生の40年の経験が活かされています。

東京スカイツリーのアオリ撮影は?

2010年06月16日 | 撮影
「無縁坂の東京スカイツリー」の光景に触発されて押上に直行する。東京スカイツリーを真下から見上げる場所は何台もの観光バスと観光客とでごった返していた。移動アイスキャンディ屋も出る程の熱気に包まれている様を見ていると一昔前に行った中国の街を思い出した。私の東京スカイツリーを見ての感想は単純に「大きい!」だった。ただ東京タワーを初めて見た時の感動とは異質のものでもあった。そんな東京スカイツリーを見上げながら、大判カメラの建築写真の基本である、形の修正アオリを必要とする場所はこの場所からどの位離れた所だろうと考え込む。暫し考え込んで出た答えは、『東京スカイツリーは形の修正アオリを必要とする建築物の範疇を超えてしまうくらいに高すぎる!』であった。

無縁坂と東京スカイツリー。

2010年06月15日 | 撮影
東京大学・龍岡門から鉄門前を通りクランク状に不忍池まで下る「無縁坂」は森鴎外の名作『雁』にも登場し、さだまさしの歌にも歌われています。道路沿いの岩崎邸の外壁ともマッチしてとても風情ある道です。そんな「無縁坂」の景色に異変が!なんと、今話題の東京スカイツリーが突如出現したのです。(決して突如でなく気づかなかっただけかも)「無縁坂」を不忍池に向かい降り出すこの場所こそが最高の撮影ポイントです。これ以上、上でも下でも「無縁坂と東京スカイツリー」は美しくありません。もし今の時代に、森鴎外がi生きていたなら『雁』の一節の「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい無縁坂を降りて。愛染川の・・・・」が「岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。東京スカイツリーの見える無縁坂を降りて。愛染川の・・・・」になったかもしれない。