2017年7月16日(日)
『南葛城山』
<南葛城山までは山耀会の皆さんと一緒に>
[コースタイム]
[滝畑ダムバス亭]→[休憩所&トイレ]9:11→[岩湧山分岐(体操)]→[林道歩道分岐]→9:55[50cm幅鉄板橋]→[大滝]→12:19[一本杉]→12:32[南葛城山]13:00→13:26[桃の木ダオ]→14:50[丹生神社]→15:12[県道61号線]→15:29[蔵王峠]→16:13[堀越観音]16:20→17:20[東谷バス亭]
<やはり蔵王峠へ>
河内長野駅前のバス亭で声を掛けられたのが縁で南葛城山まで御一緒した。声を掛けてくださったのは、Y(女性)さんとT(男性)さんで、御二人は[山耀会]という集まりで[ノゾキ平]経由で[南葛城山]へ行くのだという。[南葛城山]までは、奇しくも僕の計画と同じであったゆえ、「一緒に行きませんか」と誘われ快諾したのだ。
[山耀会]は大勢の集まりで、リーダーを含めて28名。40歳ぐらいの方から60歳代後半の男女半々という構成であった。「1000人の方と山に行くのが目標」「現在400名くらい」とリーダーは語ったのだが、さて、現在何人位の会員が居られるのだろうか。
スタートしてから直ぐの処、岩湧山との分岐で体操をする。其処で実感したのは、皆さんと比して我が身体が非常に硬いということと、平衡感覚が極めて劣っているということであった。片足で立って一方の足を後側に折り曲げ、その足を手で持ち静止するのだが僕には出来なかった。しかし多くの方は器用に熟しておられたのだ。
次に感心したのは、[南葛城山]での昼食時のことであった。出来合いの弁当を購入して来られている男性もおられたが、女性は手造り弁当を持って来られており、僕のようにパンではなく、皆さんはしっかりとご飯を食べておられるのだ。そのうえ、クーラーバックを準備しておられる方もあり、ビール始め、ピクルスやパイナップル、バナナ等の果物や菓子類が次から次へと現れるのだ。皆さんのザックはさぞかし重かったのだろう。そしてもう一つ感心したことがある。それは「歩くのが速い」ということであった。
[ノゾキ平]へは、[林間歩道の分岐]から[関電道]を登るのが僕の予定であったのだが、[山耀会]は、その分岐から少し上手にあった幅50cmほどの鉄板橋を渡ったのだ。ところが、暫くして踏み跡が無くなり引き返すことになる。結果的には大滝をやり過ごし暫く歩いて千石谷を徒渉し北尾根を登り[一本杉]から[南葛城山]到着となった。
リーダーには「一緒に行こう」と何度か勧められたが、[南葛城山]で別れを告げ計画通り[蔵王峠]へと向かった。[南葛城山]を出発するのが、計画より50分遅れたのだが、前回のように道に迷ったり、時間が足らなくなれば引き返せばよいと考えた。
[蔵王峠]への道は道標が極めて少なかった。分岐が度々現れ、どちらの道を選択しようかと思案するが、基本的には西方へと向かう。また分岐では、戻らなければならない時の為にやって来た道を振り返り景色を覚えるよう努める。時には、特徴ある石を置いて目印にしたりもした。道が無くなり引き返すのを何度か繰り返す内に足が攣り始めた。時間に追われてペースオーバーになっていたのだろう。しかし、[東谷]の夕刻一本のみのバス時刻に間に合う必要があり、時間を置いてシャクヤクカンゾウトウを二袋服用し、ペースダウンをして騙し騙し歩き続けた。県道61号線に飛び出したときには安堵したのだが、それより[堀越観音]を経由して、[東谷]のバス亭への道程は辛い二時間あまりとなった。
「千石谷林道」で見掛けた花は、黄花の[キツネのボタン]と白花の一輪の[ホタルブクロ]ぐらいだったろうか。それより[県道61号線]に飛び出す少し手前で[ヤブカンソウ]に出合うまでは花を見ることはなかった。[蔵王峠]より車道を行くとき、[オカトラノオ]や[ネムノキ]「マルバハギ?」などに助けられて痙攣する脚を騙し騙し歩いたように思う。[堀越観音]のお参りを済ませてから直ぐの処で今日最後の花となった[ギボウシ]が現れた。
ところで、[千石谷]から[一本杉]へと登るとき、林立する桧の木肌が紅く染まっている景観があった。それは、神社や仏閣の屋根を葺く為に用いられる桧の皮、所謂、檜皮葺(ひわだぶき)に使用するために桧の皮を剥いだ後の姿であった。
『南葛城山』
<南葛城山までは山耀会の皆さんと一緒に>
[コースタイム]
[滝畑ダムバス亭]→[休憩所&トイレ]9:11→[岩湧山分岐(体操)]→[林道歩道分岐]→9:55[50cm幅鉄板橋]→[大滝]→12:19[一本杉]→12:32[南葛城山]13:00→13:26[桃の木ダオ]→14:50[丹生神社]→15:12[県道61号線]→15:29[蔵王峠]→16:13[堀越観音]16:20→17:20[東谷バス亭]
<やはり蔵王峠へ>
河内長野駅前のバス亭で声を掛けられたのが縁で南葛城山まで御一緒した。声を掛けてくださったのは、Y(女性)さんとT(男性)さんで、御二人は[山耀会]という集まりで[ノゾキ平]経由で[南葛城山]へ行くのだという。[南葛城山]までは、奇しくも僕の計画と同じであったゆえ、「一緒に行きませんか」と誘われ快諾したのだ。
[山耀会]は大勢の集まりで、リーダーを含めて28名。40歳ぐらいの方から60歳代後半の男女半々という構成であった。「1000人の方と山に行くのが目標」「現在400名くらい」とリーダーは語ったのだが、さて、現在何人位の会員が居られるのだろうか。
スタートしてから直ぐの処、岩湧山との分岐で体操をする。其処で実感したのは、皆さんと比して我が身体が非常に硬いということと、平衡感覚が極めて劣っているということであった。片足で立って一方の足を後側に折り曲げ、その足を手で持ち静止するのだが僕には出来なかった。しかし多くの方は器用に熟しておられたのだ。
次に感心したのは、[南葛城山]での昼食時のことであった。出来合いの弁当を購入して来られている男性もおられたが、女性は手造り弁当を持って来られており、僕のようにパンではなく、皆さんはしっかりとご飯を食べておられるのだ。そのうえ、クーラーバックを準備しておられる方もあり、ビール始め、ピクルスやパイナップル、バナナ等の果物や菓子類が次から次へと現れるのだ。皆さんのザックはさぞかし重かったのだろう。そしてもう一つ感心したことがある。それは「歩くのが速い」ということであった。
[ノゾキ平]へは、[林間歩道の分岐]から[関電道]を登るのが僕の予定であったのだが、[山耀会]は、その分岐から少し上手にあった幅50cmほどの鉄板橋を渡ったのだ。ところが、暫くして踏み跡が無くなり引き返すことになる。結果的には大滝をやり過ごし暫く歩いて千石谷を徒渉し北尾根を登り[一本杉]から[南葛城山]到着となった。
リーダーには「一緒に行こう」と何度か勧められたが、[南葛城山]で別れを告げ計画通り[蔵王峠]へと向かった。[南葛城山]を出発するのが、計画より50分遅れたのだが、前回のように道に迷ったり、時間が足らなくなれば引き返せばよいと考えた。
[蔵王峠]への道は道標が極めて少なかった。分岐が度々現れ、どちらの道を選択しようかと思案するが、基本的には西方へと向かう。また分岐では、戻らなければならない時の為にやって来た道を振り返り景色を覚えるよう努める。時には、特徴ある石を置いて目印にしたりもした。道が無くなり引き返すのを何度か繰り返す内に足が攣り始めた。時間に追われてペースオーバーになっていたのだろう。しかし、[東谷]の夕刻一本のみのバス時刻に間に合う必要があり、時間を置いてシャクヤクカンゾウトウを二袋服用し、ペースダウンをして騙し騙し歩き続けた。県道61号線に飛び出したときには安堵したのだが、それより[堀越観音]を経由して、[東谷]のバス亭への道程は辛い二時間あまりとなった。
「千石谷林道」で見掛けた花は、黄花の[キツネのボタン]と白花の一輪の[ホタルブクロ]ぐらいだったろうか。それより[県道61号線]に飛び出す少し手前で[ヤブカンソウ]に出合うまでは花を見ることはなかった。[蔵王峠]より車道を行くとき、[オカトラノオ]や[ネムノキ]「マルバハギ?」などに助けられて痙攣する脚を騙し騙し歩いたように思う。[堀越観音]のお参りを済ませてから直ぐの処で今日最後の花となった[ギボウシ]が現れた。
ところで、[千石谷]から[一本杉]へと登るとき、林立する桧の木肌が紅く染まっている景観があった。それは、神社や仏閣の屋根を葺く為に用いられる桧の皮、所謂、檜皮葺(ひわだぶき)に使用するために桧の皮を剥いだ後の姿であった。
堀越観音より