2016年7月30日(日)
『比良山系縦走』
<栗原~蓬莱山>
[コースタイム]
[和邇駅]9:16→(バス)→[栗原]9:29→12:27(縦走路)→13:00[ホッケ山]13:23→13:46[小女郎峠]→14:30[蓬莱山]14:50→15:21[打見山]→(琵琶湖バレイロープウエイ)→[山麓駅]→(バス)→[滋賀駅]
<道無き処を懸命に登る>
[霊仙山口]から[霊仙山]へ登り、[ズコノバン]を通り[権現山]へと進む計画であった。ところが何処で如何道を間違ったのだろうか。[霊仙山]どころか[権現山]も踏むことが出来なかった。道無き処を懸命に登り、到達したのは[権現山]と[ホッケ山]の真ん中くらいの縦走路の鞍部付近であった。
栗原より確認した道標は一本のみ、また二又があり赤テープのあった方を選択したのだが、それが間違いだったのだろうか。何処かで道標や分岐を見落としたのだろうか。分からない。北浜(?)という石柱があり、それより奥の道が判然としなくなったような気がする。沢筋を前進する。登山道より外れたのは間違いがなかった。しかし、この儘北方に向かって登れば縦走路に飛び出すという思いで前進する。懸命に歩くとき、数頭の鹿を見る。羨ましいくらいのスピードで谷筋を駆け下りたり駆け上ったりと、僕の侵入に驚いている様子であった。
あるとき谷筋より離れ左手の尾根らしき処へとトラバースする。かなりの傾斜地を一時間半くらい只管登る。木につかまり、灌木を握りしめ、時には四つん這いになり落葉上を這い登る。眼前の全てが道に見えてくる。そんなとき、腕に痛みを感じる。見ると蛭が肌に食いついていた。また滋賀駅で電車を待つとき、何気なく両足首辺りを見ると血だらけで、帰宅してからその血も蛭が原因であることを理解することとなった。靴下やズボン中にまだ蛭が居たからだ。
[ホッケ山]でお昼を済ませ歩き始めるときに既に両足指に痙攣が生じていた。「トレイルラン靴を履いているのが原因なのだろうか、トレッキング靴ならこのような状態には陥らなかったのではないのだろうか」等と思考しつつゆっくりと歩みを進める。[小女郎峠]からの上り道で両脚が攣ってしまった。シャクヤクカンゾウトウを服用し騙し騙しゆっくりと歩むが改善しない。[蓬莱山]で暫く休憩してみるがこむら返りは改善しない。しかし前進しなければならないゆえ[打見山]まで至極ゆっくりと進む。
[キタダカ道]を下山する計画ゆえ、[キタダカ道]への道の確認を済ませてから、脚の痙攣が治まるのを期待して、展望所の椅子に腰掛けていたのは一時間余りだっただろうか。琵琶湖は終始雲中にあった。歩いたことが無い様子の分からない山道で、もし歩けなくなったら、もし雨に降られたらと不安感が募り歩いて下山する自信がなくなる。思案の結果、ロープウエイを利用し下山するのが肝要だと決心する。
[蓬莱山]と[打見山]には遊具が数多あり、若人や子供連れ家族で賑わっていた。ヒール靴の方もおられたくらいだ。パラッと雨粒が落ちるときもあったが、幸い本降りになることはなかった。お昼にした[ホッケ山]は、[ミドリヒョウモン]と[キアゲハ]の楽園であった。数頭の蝶が慌ただしく飛翔し乱舞するが、足下に停まってくれることはなかった。[ナツアカネ]には其処彼処で出合った。
気付いた花は、縦走路に飛び出してから[ホッケ山]へと向かう時に出合った二種類の黄色い花のみ。一つは[ニガナ]、もう一つは[オトギリソウ]のように思えたのだが当たっているのだろうか。また、赤くて美しい新芽を拡げていたのは[アセビ]なのだろうか。花の如き華やかな葉っぱであった。
『比良山系縦走』
<栗原~蓬莱山>
[コースタイム]
[和邇駅]9:16→(バス)→[栗原]9:29→12:27(縦走路)→13:00[ホッケ山]13:23→13:46[小女郎峠]→14:30[蓬莱山]14:50→15:21[打見山]→(琵琶湖バレイロープウエイ)→[山麓駅]→(バス)→[滋賀駅]
<道無き処を懸命に登る>
[霊仙山口]から[霊仙山]へ登り、[ズコノバン]を通り[権現山]へと進む計画であった。ところが何処で如何道を間違ったのだろうか。[霊仙山]どころか[権現山]も踏むことが出来なかった。道無き処を懸命に登り、到達したのは[権現山]と[ホッケ山]の真ん中くらいの縦走路の鞍部付近であった。
栗原より確認した道標は一本のみ、また二又があり赤テープのあった方を選択したのだが、それが間違いだったのだろうか。何処かで道標や分岐を見落としたのだろうか。分からない。北浜(?)という石柱があり、それより奥の道が判然としなくなったような気がする。沢筋を前進する。登山道より外れたのは間違いがなかった。しかし、この儘北方に向かって登れば縦走路に飛び出すという思いで前進する。懸命に歩くとき、数頭の鹿を見る。羨ましいくらいのスピードで谷筋を駆け下りたり駆け上ったりと、僕の侵入に驚いている様子であった。
あるとき谷筋より離れ左手の尾根らしき処へとトラバースする。かなりの傾斜地を一時間半くらい只管登る。木につかまり、灌木を握りしめ、時には四つん這いになり落葉上を這い登る。眼前の全てが道に見えてくる。そんなとき、腕に痛みを感じる。見ると蛭が肌に食いついていた。また滋賀駅で電車を待つとき、何気なく両足首辺りを見ると血だらけで、帰宅してからその血も蛭が原因であることを理解することとなった。靴下やズボン中にまだ蛭が居たからだ。
[ホッケ山]でお昼を済ませ歩き始めるときに既に両足指に痙攣が生じていた。「トレイルラン靴を履いているのが原因なのだろうか、トレッキング靴ならこのような状態には陥らなかったのではないのだろうか」等と思考しつつゆっくりと歩みを進める。[小女郎峠]からの上り道で両脚が攣ってしまった。シャクヤクカンゾウトウを服用し騙し騙しゆっくりと歩むが改善しない。[蓬莱山]で暫く休憩してみるがこむら返りは改善しない。しかし前進しなければならないゆえ[打見山]まで至極ゆっくりと進む。
[キタダカ道]を下山する計画ゆえ、[キタダカ道]への道の確認を済ませてから、脚の痙攣が治まるのを期待して、展望所の椅子に腰掛けていたのは一時間余りだっただろうか。琵琶湖は終始雲中にあった。歩いたことが無い様子の分からない山道で、もし歩けなくなったら、もし雨に降られたらと不安感が募り歩いて下山する自信がなくなる。思案の結果、ロープウエイを利用し下山するのが肝要だと決心する。
[蓬莱山]と[打見山]には遊具が数多あり、若人や子供連れ家族で賑わっていた。ヒール靴の方もおられたくらいだ。パラッと雨粒が落ちるときもあったが、幸い本降りになることはなかった。お昼にした[ホッケ山]は、[ミドリヒョウモン]と[キアゲハ]の楽園であった。数頭の蝶が慌ただしく飛翔し乱舞するが、足下に停まってくれることはなかった。[ナツアカネ]には其処彼処で出合った。
気付いた花は、縦走路に飛び出してから[ホッケ山]へと向かう時に出合った二種類の黄色い花のみ。一つは[ニガナ]、もう一つは[オトギリソウ]のように思えたのだが当たっているのだろうか。また、赤くて美しい新芽を拡げていたのは[アセビ]なのだろうか。花の如き華やかな葉っぱであった。
アセビ?