2020年03月15日(日)
『山野歩』
<高雄~愛宕山~水尾~JR保津峡駅>
[コースタイム]
[槇ノ尾] 9:00 → 9:20 [高雄山・神護寺] 10:00 → 11:02 [梨ノ木林道分岐] → (堂承川) → 11:25 (梨ノ木谷) → [月輪寺への分岐] → 12:55 [月輪寺] 13:05 → 13:42 [大杉谷分岐] → 14:12 [愛宕神社]14:30 → 15:07 [水尾分かれ] 15:15 → [嵯峨水尾] → 17:20 [JR保津峡駅]
◆所要時間:8時間20分
<つらくとも こらえて登れ皆の衆>
15時40分頃にはJR保津峡駅に到着するであろうという予定であったので、
また、日没時刻がだいぶん遅くなってきたこともあり、
槇ノ尾バス停より直ぐのところに位置する、弘法大師縁の高雄山・神護寺を拝観する。
明王堂より五大堂、毘沙門堂、太師堂、金堂、多宝塔へとゆっくりと歩み、
ほぼ40分を費やするが、十分に観ることができなかった。
なかでも金堂内部を。いつの日にか一度、神護寺のみを目的にやって来たいと思う。
清滝の流れを見つつ、先週の山の会山行時の辛かった脚の痙攣を思い出しながら、いつもの我が足取りでゆっくりと歩む。
堂承川を確認し、月輪寺への分岐点で小休止して梨ノ木谷沿いの道をホンの少し進むと、立入禁止の柵が設けられている。
理由として、「倒木多数 難路・危険 梨ノ木谷」と記されている。
計画通りサカサマ峠を踏みたいと思ったが、
「倒木はきっと大変だろうと考え「無理をしたらあかん」と、月輪寺への分岐へまで戻り月輪寺へと向かう。
月輪寺参道はかなりしんどかった。脚が攣らないように気を配りながら50分近く歩いたころに、
「つらくとも こらえて登れ皆の衆 大師聖人にあうと思え」という木製看板に眼が留まった。
誰もがこの登り道はしんどいに違いないと納得し、
そこにあったベンチで小休止して再び歩き始めやっとこのことで到着した月輪寺は、
荒廃しているという景観でがっかりしてしまう。
「月輪」という名称の寺とは、どんなに綺麗なお寺なのだろうかと期待し楽しみにしてやって来たのだが、
その様子は鄙びたというものではなく、ただ手が入っていないだけという印象が強かった。
併しだ、改修のための寄付金として300円を木箱に納めた。
神護寺に立ち寄り、40分余り時間を費やしてしまったことを後悔しながら歩き続け、
登り道の傾斜が緩くなったと思ったら愛宕神社階段下到着であった。
長い石段を、トレッキングポールに身体を預けながら懸命に上がり、
愛宕神社到着は計画よりも1時間50分も遅い時刻であった。
お参りを済ませ、愛宕神社より出て来ると雪が風に吹かれ舞っていた。
それは暫時のことであったが、それ以降も大気は冷気に包まれた状態が続いた。
水尾分かれにあった小屋で小休止にして水尾へ向かう。
それより小一時間しっかりとした道を下ったころだろうか、
黄色い蜜柑が生っている樹木が目立ち始めると嵯峨水尾到着で、
看板に記されていたように、ゆず風呂の営業を営んでいる家屋が数軒あり、
黄色い柚子の果実を其処彼処に見ることとなった。
その水尾では柚子だけでなく、梅や桜、そしてシキミの薄黄色の花にも出合い、我が眼を愉しませてもらう。
また今日出合った花は、前記以外にアセビとヤブツバキと木本のみで、咲く草本に出合えなかったのが至極残念であった。
今朝出掛けるときになって、ザックに入れていた雨カッパを放り出し、ヤッケをゴアテックスのものに替える。
それはザックを少しでも軽くしたいという思いからだったのだが、
もう直ぐ保津峡駅というころになって冷たい雨が降り始めた。しかし傘も持っていたので、然程濡れることはなかった。
『山野歩』
<高雄~愛宕山~水尾~JR保津峡駅>
[コースタイム]
[槇ノ尾] 9:00 → 9:20 [高雄山・神護寺] 10:00 → 11:02 [梨ノ木林道分岐] → (堂承川) → 11:25 (梨ノ木谷) → [月輪寺への分岐] → 12:55 [月輪寺] 13:05 → 13:42 [大杉谷分岐] → 14:12 [愛宕神社]14:30 → 15:07 [水尾分かれ] 15:15 → [嵯峨水尾] → 17:20 [JR保津峡駅]
◆所要時間:8時間20分
<つらくとも こらえて登れ皆の衆>
15時40分頃にはJR保津峡駅に到着するであろうという予定であったので、
また、日没時刻がだいぶん遅くなってきたこともあり、
槇ノ尾バス停より直ぐのところに位置する、弘法大師縁の高雄山・神護寺を拝観する。
明王堂より五大堂、毘沙門堂、太師堂、金堂、多宝塔へとゆっくりと歩み、
ほぼ40分を費やするが、十分に観ることができなかった。
なかでも金堂内部を。いつの日にか一度、神護寺のみを目的にやって来たいと思う。
清滝の流れを見つつ、先週の山の会山行時の辛かった脚の痙攣を思い出しながら、いつもの我が足取りでゆっくりと歩む。
堂承川を確認し、月輪寺への分岐点で小休止して梨ノ木谷沿いの道をホンの少し進むと、立入禁止の柵が設けられている。
理由として、「倒木多数 難路・危険 梨ノ木谷」と記されている。
計画通りサカサマ峠を踏みたいと思ったが、
「倒木はきっと大変だろうと考え「無理をしたらあかん」と、月輪寺への分岐へまで戻り月輪寺へと向かう。
月輪寺参道はかなりしんどかった。脚が攣らないように気を配りながら50分近く歩いたころに、
「つらくとも こらえて登れ皆の衆 大師聖人にあうと思え」という木製看板に眼が留まった。
誰もがこの登り道はしんどいに違いないと納得し、
そこにあったベンチで小休止して再び歩き始めやっとこのことで到着した月輪寺は、
荒廃しているという景観でがっかりしてしまう。
「月輪」という名称の寺とは、どんなに綺麗なお寺なのだろうかと期待し楽しみにしてやって来たのだが、
その様子は鄙びたというものではなく、ただ手が入っていないだけという印象が強かった。
併しだ、改修のための寄付金として300円を木箱に納めた。
神護寺に立ち寄り、40分余り時間を費やしてしまったことを後悔しながら歩き続け、
登り道の傾斜が緩くなったと思ったら愛宕神社階段下到着であった。
長い石段を、トレッキングポールに身体を預けながら懸命に上がり、
愛宕神社到着は計画よりも1時間50分も遅い時刻であった。
お参りを済ませ、愛宕神社より出て来ると雪が風に吹かれ舞っていた。
それは暫時のことであったが、それ以降も大気は冷気に包まれた状態が続いた。
水尾分かれにあった小屋で小休止にして水尾へ向かう。
それより小一時間しっかりとした道を下ったころだろうか、
黄色い蜜柑が生っている樹木が目立ち始めると嵯峨水尾到着で、
看板に記されていたように、ゆず風呂の営業を営んでいる家屋が数軒あり、
黄色い柚子の果実を其処彼処に見ることとなった。
その水尾では柚子だけでなく、梅や桜、そしてシキミの薄黄色の花にも出合い、我が眼を愉しませてもらう。
また今日出合った花は、前記以外にアセビとヤブツバキと木本のみで、咲く草本に出合えなかったのが至極残念であった。
今朝出掛けるときになって、ザックに入れていた雨カッパを放り出し、ヤッケをゴアテックスのものに替える。
それはザックを少しでも軽くしたいという思いからだったのだが、
もう直ぐ保津峡駅というころになって冷たい雨が降り始めた。しかし傘も持っていたので、然程濡れることはなかった。
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