広島と長崎の青年たちが、1949年広島市で原爆都市青年交歓会を開き、反戦と反核のために立ち上ることを決意したとき、
原爆症のため如己堂で病臥中の永井隆博士は、世界恒久平和確立の願いを込めて、庭に咲いていたこの薔薇の樹を(広島に)贈ってこられました。
資料をみて、この記事を見直していたら、(わたしの)記事が間違っていましたので、5月17日次のように訂正追記します。
バラの木が衰弱しているのを受け、ことしになって樹勢回復がなされたそうです。
2009年5月みた時は弱っているようでした。

(永井隆博士から贈られた)薔薇
広島ぶらり散歩「平和祈念碑等建立地一覧」編
原爆症のため如己堂で病臥中の永井隆博士は、世界恒久平和確立の願いを込めて、庭に咲いていたこの薔薇の樹を(広島に)贈ってこられました。
資料をみて、この記事を見直していたら、(わたしの)記事が間違っていましたので、5月17日次のように訂正追記します。
* | 1949年11月永井隆博士が「広島市民がバラのように美しく幸福に送れるように」との願いを込め自宅庭のバラ1株を寄贈されました。 そのバラは、広島市役所庁舎前庭に植えられました。 ここで取り上げているバラ根際の記念碑は、(当初)1986年8月15日市役所庁舎前に建立されました。 1988年3月24日現在地に移設されました。 この時、永井博士から贈られたバラは市役所前庭に残されました。 この記念碑根際に植えられたバラは、新たに永井博士宅にあった「バラの子孫」を分与されたものだそうです。 |
※ | 2014年4月17日撮影した(上画像の)バラは、もとのバラが樹勢を回復するまでの“代役”として2013年3月に植えられたものだそうです。 代役のバラは、市役所前庭の永井博士から贈られたバラを接ぎ木で苗を増やしていたものの一本だそうです。 |
バラの木が衰弱しているのを受け、ことしになって樹勢回復がなされたそうです。

(永井隆博士から贈られた)薔薇
広島ぶらり散歩「平和祈念碑等建立地一覧」編
5月15日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり