国語(日本語)が苦手のわたしです。
『主水』を『かこ』と読むのは至難の業であるのです。
現在の表示『加古町』を知らなければ・・・
国語辞典をひらがなから引いてみると「かこ」=水夫;水手とある。
逆に「主水」から引くと‘かこ’という読み方はでてきません・・・
『かこ』の「か」は梶(かじ)、「こ」は人の意味だというから『主水』は当て字なのか?
主水町地蔵尊堂をみて祀られている地蔵尊のことを知る
『主水』を『かこ』と読むのは至難の業であるのです。
現在の表示『加古町』を知らなければ・・・
国語辞典をひらがなから引いてみると「かこ」=水夫;水手とある。
逆に「主水」から引くと‘かこ’という読み方はでてきません・・・
『かこ』の「か」は梶(かじ)、「こ」は人の意味だというから『主水』は当て字なのか?
主水町地蔵尊堂をみて祀られている地蔵尊のことを知る
今年咲いているところを見ていないので見に行きました、画像の一輪だけしか咲いていませんでした、散りかけでした。
『原爆で傷ついた方々がハスの葉でその火傷の痛みを癒した・・・被爆して亡くなった多くの方々の鎮魂の意味を込めて平和の鐘の周りの池に大賀ハスが植えられた』ときいているのです。
平和記念公園の草木達
『原爆で傷ついた方々がハスの葉でその火傷の痛みを癒した・・・被爆して亡くなった多くの方々の鎮魂の意味を込めて平和の鐘の周りの池に大賀ハスが植えられた』ときいているのです。
平和記念公園の草木達
『過ち』部分を傷つけられた原爆死没者慰霊碑、7月28日裕撮影
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の碑文については昔(昭和27年)から論議がありました。
昭和58年に『碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている』と広島市が慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置したことで一応の解決がなされたのですが、今回の右翼の青年はそのことを蒸し返した事だとおもいます。
広島平和都市記念碑の碑文が気に食わないから傷をつけて自分の主張を示す行為は許す事はできません・・・が「約束よりも大切なものがある」「人生いろいろ・・」「見解の違い」などといいながらのいまの政治手法と似ているように思えてなりません。
今日撮影した画像を追加した原爆死没者慰霊碑の頁、碑文の論議経緯も少しばかり触れています。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の碑文については昔(昭和27年)から論議がありました。
昭和58年に『碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている』と広島市が慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置したことで一応の解決がなされたのですが、今回の右翼の青年はそのことを蒸し返した事だとおもいます。
広島平和都市記念碑の碑文が気に食わないから傷をつけて自分の主張を示す行為は許す事はできません・・・が「約束よりも大切なものがある」「人生いろいろ・・」「見解の違い」などといいながらのいまの政治手法と似ているように思えてなりません。
今日撮影した画像を追加した原爆死没者慰霊碑の頁、碑文の論議経緯も少しばかり触れています。
先日紹介した畑賀村水害碑と同じ時に被害にあった(下流側の)中野村の水害記念碑です・・・碑文らしきものはなく耕地整理組合関係者の名前が刻まれていました・・・
わたしが知らなさすぎではあるのですが、『わが町附近をぶらり散歩』一覧表を作成しました、まだまだ知らないことだらけですが・・・
わたしが知らなさすぎではあるのですが、『わが町附近をぶらり散歩』一覧表を作成しました、まだまだ知らないことだらけですが・・・
吉備津彦神社へ行く最寄駅です。
吉備津彦神社は社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くから備前国の一宮として崇敬を集め、16世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われたが、元禄10(1697)年に再建された。しかし、昭和5(1930)年本殿、随身門、宝物殿を残して焼失、現在の拝殿等は昭和11(1936)年に建てられたものであるそうです。旧社格は国幣小社。
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)は第十代崇神(すじん)天皇の御代に異母弟・若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこの)命とともに四道将軍の一人となり吉備国で地方政治にあたったといい。「吉備上道臣(きびのかむみちのおみ)の祖なり」ともいうそうです。
吉備津彦神社は社名のとおり吉備津彦命を祭神とし、古くから備前国の一宮として崇敬を集め、16世紀後半に、金川城主松田氏に迫害され、社殿は焼き払われたが、元禄10(1697)年に再建された。しかし、昭和5(1930)年本殿、随身門、宝物殿を残して焼失、現在の拝殿等は昭和11(1936)年に建てられたものであるそうです。旧社格は国幣小社。
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)は第十代崇神(すじん)天皇の御代に異母弟・若日子建吉備津日子(わかひこたけきびつひこの)命とともに四道将軍の一人となり吉備国で地方政治にあたったといい。「吉備上道臣(きびのかむみちのおみ)の祖なり」ともいうそうです。
吉備津(きびつ)神社への最寄の駅となります。
岡山市吉備津にある神社。大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祀る。
1425(応永32)年再建の吉備津造りの社殿は国宝。備中国一の宮。旧社格・官幣中社。
大吉備津彦命→比古伊佐勢理毘古命(ひこいせりびこのみこと)
第七代孝霊天皇の皇子
「古事記」には比古伊佐勢理毘古命またの名を大吉備津日子命といい。
「日本書記」には彦五十狭芹(ひこそさせり)命またの名を吉備津彦命とでているそうです。
岡山市吉備津にある神社。大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祀る。
1425(応永32)年再建の吉備津造りの社殿は国宝。備中国一の宮。旧社格・官幣中社。
大吉備津彦命→比古伊佐勢理毘古命(ひこいせりびこのみこと)
第七代孝霊天皇の皇子
「古事記」には比古伊佐勢理毘古命またの名を大吉備津日子命といい。
「日本書記」には彦五十狭芹(ひこそさせり)命またの名を吉備津彦命とでているそうです。
極北に住むイヌイットが果てしない雪原を犬ゾリで移動するときや、海で漁をするときの道標として古くから使われてきた人型の石像だそうです。
過去に一度も戦火を交えたことがない平和な民族であるイヌイットが環境保護を訴え、平和を希求するシンボルでもあるそうです。
※イヌイットの人々が一度も戦火を交えたことがない事をこの碑ではじめて知りました。
※エスキモーとはインディアンの言葉で「生肉を食べる人」の意味だそうですがわたしも馬刺しを食べたこともありますのでインディアンからみればエスキモーかもと・・生まれたときにお尻に青いあざがあるのでイヌイットの人達と同じモンゴル系のわたしでもありますが・・・
平和の道標の頁です。
過去に一度も戦火を交えたことがない平和な民族であるイヌイットが環境保護を訴え、平和を希求するシンボルでもあるそうです。
※イヌイットの人々が一度も戦火を交えたことがない事をこの碑ではじめて知りました。
※エスキモーとはインディアンの言葉で「生肉を食べる人」の意味だそうですがわたしも馬刺しを食べたこともありますのでインディアンからみればエスキモーかもと・・生まれたときにお尻に青いあざがあるのでイヌイットの人達と同じモンゴル系のわたしでもありますが・・・
平和の道標の頁です。
西応寺は平和記念公園から≒200m南にくだった中島町に位置しています。
『被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会』第一号碑が2002年に建立されています。
木村秀男氏(被爆当時草津国民学校高等科一年)が描かれた2枚の絵が陶板画にされ設置されています
西應寺をもう少しみる。
『被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会』第一号碑が2002年に建立されています。
木村秀男氏(被爆当時草津国民学校高等科一年)が描かれた2枚の絵が陶板画にされ設置されています
西應寺をもう少しみる。
1925(大正14)年2月17日 西総社駅として開業、
1959(昭和34)年11月1日 総社駅に改称したそうです。
吉備路ウォーキング、サイクリングの基点駅ですね・・・
久しぶりに更新した、國鉄の駅舎・JRの駅舎の頁です。
1959(昭和34)年11月1日 総社駅に改称したそうです。
吉備路ウォーキング、サイクリングの基点駅ですね・・・
久しぶりに更新した、國鉄の駅舎・JRの駅舎の頁です。
まちづくり交流ウォークの別バージョンで駅からウォークというものを開催されている、
吉備路健脚コースということでお話を伺ったのですが、
吉備路には行ってみたいと思ってはいたものの健脚ではない私ですので参加は断念したのです・・・
この東総社駅は
1904(明治37)年11月15日 中国鉄道の総社駅として開業、
1959(昭和34)年10月1日 東総社駅に改称したそうです。
備中一の宮・総社宮へ参拝するには大変便利な駅で東へ歩いて直ぐなのです。
久しぶりに更新した、國鉄の駅舎・JRの駅舎の頁です。
吉備路健脚コースということでお話を伺ったのですが、
吉備路には行ってみたいと思ってはいたものの健脚ではない私ですので参加は断念したのです・・・
この東総社駅は
1904(明治37)年11月15日 中国鉄道の総社駅として開業、
1959(昭和34)年10月1日 東総社駅に改称したそうです。
備中一の宮・総社宮へ参拝するには大変便利な駅で東へ歩いて直ぐなのです。
久しぶりに更新した、國鉄の駅舎・JRの駅舎の頁です。