熊野神社は、萬寿3(1026)年に紀州熊野大社より勧請と伝えられています。
戦国期領主・阿曽沼氏により再建され、
江戸時代海田市の繁栄とともに総氏神新宮社であり、広島藩主浅野氏の尊崇をも受けたていたそうです。
3年ほど前に参道横に建立の戦没者原爆死没者慰霊塔を訪ねてはいたのですが、石段をのぼって熊野神社をお参りはしていなかったのです。
お参りしながらこんなに大きな神社だったのかと思ったのでした・・・
熊野神社 わが町附近をぶらり散歩一覧
戦国期領主・阿曽沼氏により再建され、
江戸時代海田市の繁栄とともに総氏神新宮社であり、広島藩主浅野氏の尊崇をも受けたていたそうです。
3年ほど前に参道横に建立の戦没者原爆死没者慰霊塔を訪ねてはいたのですが、石段をのぼって熊野神社をお参りはしていなかったのです。
お参りしながらこんなに大きな神社だったのかと思ったのでした・・・
熊野神社 わが町附近をぶらり散歩一覧
宝暦2(1752)年に鋳直されたもので、これを製作した鋳物師(いもじ)金屋(植木)源兵衛・新兵衛は、当時一里塚附近に住み芸州鋳物師筆頭総代で名工といわれた人だそうです。
この前は何度となく通っていたのに海田町が設置している説明板を読んだこともなかったのです・・・
明顕寺 わが町附近をぶらり散歩一覧
この前は何度となく通っていたのに海田町が設置している説明板を読んだこともなかったのです・・・
明顕寺 わが町附近をぶらり散歩一覧
このグミは、原爆で地上部を焼失したが、
被爆後数年して、根元から芽を吹き返したそうです。
清住寺は爆心地から≒520m、原爆でご住職はじめご家族五人の方々は即死だったそうです。
(清住寺)被爆樹木・グミ 被爆樹木一覧
清住寺 広島の神社仏閣ぶらり散歩一覧
被爆後数年して、根元から芽を吹き返したそうです。
清住寺は爆心地から≒520m、原爆でご住職はじめご家族五人の方々は即死だったそうです。
(清住寺)被爆樹木・グミ 被爆樹木一覧
清住寺 広島の神社仏閣ぶらり散歩一覧
全日空ホテルをバックに被爆したセンダンを撮影しました。
ここ白神社前平和大通り附近は国泰寺が位置していたところで
いろいろな木々が被爆の惨禍を経験しながらいまも緑を保っているところです・・・
平和大通り側を通っているときいままで気が付かなかった被爆樹木・センダンを撮影しました。
(平和大通り)被爆樹木・センダンなどなど
被爆樹木一覧
ここ白神社前平和大通り附近は国泰寺が位置していたところで
いろいろな木々が被爆の惨禍を経験しながらいまも緑を保っているところです・・・
平和大通り側を通っているときいままで気が付かなかった被爆樹木・センダンを撮影しました。
(平和大通り)被爆樹木・センダンなどなど
被爆樹木一覧
爆心地から≒410mであったことから、地上部は焼けてしまったそうです、
原爆の惨禍にあって5年目に根株から新しい芽を出したというこのクロガネモチ・・
(わたしは、ひこばえ・蘖という言葉をはじめて知りました)
いまは5mを越すほどに成長しています・・・・
(頼山陽史跡資料館)被爆クロガネモチ
被爆樹木一覧
原爆の惨禍にあって5年目に根株から新しい芽を出したというこのクロガネモチ・・
(わたしは、ひこばえ・蘖という言葉をはじめて知りました)
いまは5mを越すほどに成長しています・・・・
(頼山陽史跡資料館)被爆クロガネモチ
被爆樹木一覧
クスノキがあったかなクスノキの並木道のようになっていたかな~と・・・
ここ郵便貯金会館は以前住んでいた牛田からそう遠くはないところなのです。
被爆樹木であることを知り、撮影に出かけたのです。
(郵便貯金会館東側)被爆樹木クスノキの並木道
被爆樹木一覧
ここ郵便貯金会館は以前住んでいた牛田からそう遠くはないところなのです。
被爆樹木であることを知り、撮影に出かけたのです。
(郵便貯金会館東側)被爆樹木クスノキの並木道
被爆樹木一覧
中区寺町は2004年9月交流ウォークでまわったところでした。
北東に行けば広島別院(被爆ソテツ)、北隣が報専坊(被爆イチョウ)を訪ねてはいたのでしたが、この善正寺がここにありサルスベリがあったのかと今回知ったのです、わたしは・・・
(善正寺)被爆樹木・サルスベリ
被爆樹木一覧
北東に行けば広島別院(被爆ソテツ)、北隣が報専坊(被爆イチョウ)を訪ねてはいたのでしたが、この善正寺がここにありサルスベリがあったのかと今回知ったのです、わたしは・・・
(善正寺)被爆樹木・サルスベリ
被爆樹木一覧
昨年11月にわからなかった、被爆したクスノキです。
1月の交流ウォークのとき
皆さんから離れこのクスノキを探したのでした。
被爆したマツの木と同じ方向に曲がっているように思ったのですが・・・
(鶴羽根神社)被爆樹木クスノキ
被爆樹木一覧
1月の交流ウォークのとき
皆さんから離れこのクスノキを探したのでした。
被爆したマツの木と同じ方向に曲がっているように思ったのですが・・・
(鶴羽根神社)被爆樹木クスノキ
被爆樹木一覧
明治天皇の広島滞在は1894(明治27)年9月15日から1895(明治28)年4月27日までの7ヶ月に及んだのです。
大本営がここ広島城に置かれました。
1945(昭和20)年8月6日(月)8:15、米軍投下の原子爆弾で建物などは悉く倒壊し礎石がいまに残るだけになっていると思っていました。
爆心地から≒910m、大本営の前庭にあったクロガネモチが生きの残っていたことを知り撮影したのです。
赤い実を付けたクロガネモチ、現在も元気で生き続けていました。
(広島城)被爆樹木・クロガネモチ
大本営跡
軍都・廣島関連施設戦跡
大本営がここ広島城に置かれました。
1945(昭和20)年8月6日(月)8:15、米軍投下の原子爆弾で建物などは悉く倒壊し礎石がいまに残るだけになっていると思っていました。
爆心地から≒910m、大本営の前庭にあったクロガネモチが生きの残っていたことを知り撮影したのです。
赤い実を付けたクロガネモチ、現在も元気で生き続けていました。
(広島城)被爆樹木・クロガネモチ
大本営跡
軍都・廣島関連施設戦跡
広電猿候橋電停横のシダレヤナギが2006(平成18)年1月枯死したと確認され、
2月9日伐採されたと、報道で知りました。
今回街に出ましたので駅からすぐですので立ち寄りました、
撮影しながら目頭が熱くなってしまいました。
昨年10月立ち寄った時はもう枯れているのではと沈んだ気持ちになったのでしたが・・・
(左の画像は昨年撮影したものです)
(猿候橋町広電電停前)
被爆樹木・シダレヤナギ
被爆樹木一覧
2月9日伐採されたと、報道で知りました。
今回街に出ましたので駅からすぐですので立ち寄りました、
撮影しながら目頭が熱くなってしまいました。
昨年10月立ち寄った時はもう枯れているのではと沈んだ気持ちになったのでしたが・・・
(左の画像は昨年撮影したものです)
(猿候橋町広電電停前)
被爆樹木・シダレヤナギ
被爆樹木一覧