♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

和船雛形

2006年02月28日 10時33分38秒 | 旧瀬野川町附近
 この和船雛形は、享保2(1717)年に海田市の嶋屋傳右衛門が熊野神社に奉納したもので、全長≒1.8m、和船の古い形式を伝えているそうです。
船に関する知識は皆無といっていいのですが、辞書をひっくり返していると、
この和船雛形は、どうも弁才船といわれている船のようです。

せっかくの展示品、展示位置が高すぎると・・・
見上げることだけしかできなくて、底だけ見ればいいのさ、と思われているようでみる人のことを考えない展示だな~~と・・・
(熊野神社社蔵で現在海田町ふるさと館に保存展示されている)和船雛形


どこかで和船をみたなと考えてみると、因島水軍城の展示にあったな~と・・・
因島市・村上水軍城

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(海田市)熊野神社

2006年02月28日 08時52分13秒 | 旧瀬野川町附近
 熊野神社は、萬寿3(1026)年に紀州熊野大社より勧請と伝えられています。
戦国期領主・阿曽沼氏により再建され、
江戸時代海田市の繁栄とともに総氏神新宮社であり、広島藩主浅野氏の尊崇をも受けたていたそうです。
3年ほど前に参道横に建立の戦没者原爆死没者慰霊塔を訪ねてはいたのですが、石段をのぼって熊野神社をお参りはしていなかったのです。
お参りしながらこんなに大きな神社だったのかと思ったのでした・・・

熊野神社    わが町附近をぶらり散歩一覧
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明顕寺の梵鐘

2006年02月27日 20時09分57秒 | 旧瀬野川町附近
宝暦2(1752)年に鋳直されたもので、これを製作した鋳物師(いもじ)金屋(植木)源兵衛・新兵衛は、当時一里塚附近に住み芸州鋳物師筆頭総代で名工といわれた人だそうです。
この前は何度となく通っていたのに海田町が設置している説明板を読んだこともなかったのです・・・

明顕寺     わが町附近をぶらり散歩一覧
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2月の原爆ドーム-2

2006年02月26日 00時08分56秒 | 平和記念公園
原爆ドームを元安橋上(≒南西)からみる。
左側に相生橋が見えます。



原爆ドームを≒南東からみる。
画像の左側(西側)に平和の時計塔が見えます。
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2月の原爆ドーム-1

2006年02月25日 11時46分09秒 | 平和記念公園
(歩道に近いところの)足場には養生用メッシュシートを貼った原爆ドームを≒北西(相生橋上)からみる。
画像右側(西側)の橋は元安橋です。



原爆ドームを≒西側(元安川越しに)からみる。

廣島縣産業奨励館 の歴史。
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(調査中の)原爆ドーム

2006年02月25日 06時49分37秒 | 平和記念公園


 前回の原爆ドームの調査は2001年に行われました。
前回の調査では、窓部や倉庫部分の屋根にひび割れがあったことで、
2002年の原爆ドーム現状維持工事工法などの資料となりました。

前回の時撮影したものです。保存工事調査用足場

原爆ドームの四季
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(電車道越しの)原爆ドーム

2006年02月25日 00時08分41秒 | 平和記念公園

 
 早く行ってみようと思っていたのですが・・・
原爆ドーム健全度調査用の足場が2月になって組立てられたと報道で知ったので撮影に行ってみなくてはと思っていたのです。
今(2006)年はじめて立ち寄って撮影しました。

原爆ドームの四季 
  
原爆ドーム
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(清住寺)グミ

2006年02月24日 15時38分27秒 | 被爆樹木たち
このグミは、原爆で地上部を焼失したが、
被爆後数年して、根元から芽を吹き返したそうです。
清住寺は爆心地から≒520m、原爆でご住職はじめご家族五人の方々は即死だったそうです。

(清住寺)被爆樹木・グミ    被爆樹木一覧

清住寺   広島の神社仏閣ぶらり散歩一覧

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中区:(平和大通り)センダン

2006年02月24日 08時49分59秒 | 公園・緑地等
全日空ホテルをバックに被爆したセンダンを撮影しました。
ここ白神社前平和大通り附近は国泰寺が位置していたところで
いろいろな木々が被爆の惨禍を経験しながらいまも緑を保っているところです・・・
平和大通り側を通っているときいままで気が付かなかった被爆樹木・センダンを撮影しました。

(平和大通り)被爆樹木・センダンなどなど   
被爆樹木一覧
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(頼山陽資料館)黒鉄黐

2006年02月23日 14時41分15秒 | 被爆樹木たち
爆心地から≒410mであったことから、地上部は焼けてしまったそうです、
原爆の惨禍にあって5年目に根株から新しい芽を出したというこのクロガネモチ・・
(わたしは、ひこばえ・蘖という言葉をはじめて知りました)
いまは5mを越すほどに成長しています・・・・

(頼山陽史跡資料館)被爆クロガネモチ       
被爆樹木一覧   
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(郵便貯金会館横)クスノキ

2006年02月23日 10時22分25秒 | 被爆樹木たち
クスノキがあったかなクスノキの並木道のようになっていたかな~と・・・
ここ郵便貯金会館は以前住んでいた牛田からそう遠くはないところなのです。
被爆樹木であることを知り、撮影に出かけたのです。

(郵便貯金会館東側)被爆樹木クスノキの並木道      

被爆樹木一覧   
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(善正寺)サルスベリ

2006年02月22日 17時58分19秒 | 被爆樹木たち
中区寺町は2004年9月交流ウォークでまわったところでした。
北東に行けば広島別院(被爆ソテツ)、北隣が報専坊(被爆イチョウ)を訪ねてはいたのでしたが、この善正寺がここにありサルスベリがあったのかと今回知ったのです、わたしは・・・

(善正寺)被爆樹木・サルスベリ     
被爆樹木一覧
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(鶴羽根神社)クスノキ

2006年02月22日 07時59分51秒 | 被爆樹木たち
昨年11月にわからなかった、被爆したクスノキです。

1月の交流ウォークのとき
皆さんから離れこのクスノキを探したのでした。
被爆したマツの木と同じ方向に曲がっているように思ったのですが・・・

(鶴羽根神社)被爆樹木クスノキ     

被爆樹木一覧
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臨時首都・廣島

2006年02月21日 11時03分23秒 | 軍都広島関連等
明治天皇の広島滞在は1894(明治27)年9月15日から1895(明治28)年4月27日までの7ヶ月に及んだのです。
大本営がここ広島城に置かれました。
1945(昭和20)年8月6日(月)8:15、米軍投下の原子爆弾で建物などは悉く倒壊し礎石がいまに残るだけになっていると思っていました。
爆心地から≒910m、大本営の前庭にあったクロガネモチが生きの残っていたことを知り撮影したのです。
赤い実を付けたクロガネモチ、現在も元気で生き続けていました。

(広島城)被爆樹木・クロガネモチ

大本営跡     

軍都・廣島関連施設戦跡
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枯死した被爆樹木

2006年02月20日 13時38分26秒 | 被爆樹木たち
広電猿候橋電停横のシダレヤナギが2006(平成18)年1月枯死したと確認され、
2月9日伐採されたと、報道で知りました。

今回街に出ましたので駅からすぐですので立ち寄りました、
撮影しながら目頭が熱くなってしまいました。



 昨年10月立ち寄った時はもう枯れているのではと沈んだ気持ちになったのでしたが・・・
(左の画像は昨年撮影したものです)


(猿候橋町広電電停前)
被爆樹木・シダレヤナギ

 被爆樹木一覧
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