2010年12月4日交流ウォーク下見で訪れ、管理事務所の方に18日の交流ウォーク本番の集合場所にさせていただきたいとお願いし、その許可を頂きました。
その時、この壁画の作者を尋ねたのです。
ルイ・フランセン作品で、「作者の言葉」が柱の方に取付けてありますと教えていただき、作者がわかりました。
ルイ・フランセン作:猫田記念体育館陶板壁画
広島ぶらり散歩「野外彫刻など」HP編
その時、この壁画の作者を尋ねたのです。
ルイ・フランセン作品で、「作者の言葉」が柱の方に取付けてありますと教えていただき、作者がわかりました。
ルイ・フランセン作:猫田記念体育館陶板壁画
広島ぶらり散歩「野外彫刻など」HP編
12月30日、雨→晴れ
1階ギャラリー壁に設置の陶板壁画の作者が(仏人)ルイ・フランセン作品とわかり、
何度訪ねても新しい事を知ることができましたので、追加撮影し、
今回この頁は建物画像を追加再編集しました。
猫田記念体育館
広島ぶらり散歩「建物」編
何度訪ねても新しい事を知ることができましたので、追加撮影し、
今回この頁は建物画像を追加再編集しました。
猫田記念体育館
広島ぶらり散歩「建物」編
12月29日、晴れ
大量消費者としては、既にその座を息子たちに譲ったわたしですので、
次々と新しい飲み物の硝子瓶の製品を求めることがなくなりましたが、久しぶりに年末の大掃除で硝子瓶を片付けましたので、頁を更新していこうと思っています。
大正製薬のリポビタンDの瓶です。1995年のラベルとは「医薬部外品」と表示が変わっていました、
中身の成分も進化したのかもしれませんが、比べてはいませんのでわかりませんが。
雑貨コレクション
次々と新しい飲み物の硝子瓶の製品を求めることがなくなりましたが、久しぶりに年末の大掃除で硝子瓶を片付けましたので、頁を更新していこうと思っています。
大正製薬のリポビタンDの瓶です。1995年のラベルとは「医薬部外品」と表示が変わっていました、
中身の成分も進化したのかもしれませんが、比べてはいませんのでわかりませんが。
雑貨コレクション
厳島献備常夜灯は、燈明台ともいい、常夜燈として夜間海上交通の安全を祈って、本川に出入りする舟の便利のため設けられたものだそうです。
(南千田の)厳島献備常夜灯
広島ぶらり散歩「石燈籠など」編
(南千田の)厳島献備常夜灯
広島ぶらり散歩「石燈籠など」編
12月28日、曇り
いわゆる下水処理場の前を通りましたので、道路から撮影しただけの画像しかありませんが、
広島市のパンフレットに施設に関しての資料がありましたので、頁に編集しました。
かってこの地に、帝国人絹(株)が建設されていたそうです。
千田水資源再生センター
広島ぶらり散歩「建物」HP編
広島市のパンフレットに施設に関しての資料がありましたので、頁に編集しました。
かってこの地に、帝国人絹(株)が建設されていたそうです。
千田水資源再生センター
広島ぶらり散歩「建物」HP編
線路名称上では山陽本線単独駅だそうですが、運転系統上呉線の列車も乗り入れています。
広島~海田市間は複々線(山陽本線・呉線)になっていますが、天神川駅、ここ向洋駅は上下線のホームだけで、路線別のホームはありません。
今回(上りの)4番ホームから(下りの)1番ホームを撮影した画像などを追加し頁を更新しました。
JR向洋駅
広島ぶらり散歩「JR駅舎」編
広島~海田市間は複々線(山陽本線・呉線)になっていますが、天神川駅、ここ向洋駅は上下線のホームだけで、路線別のホームはありません。
今回(上りの)4番ホームから(下りの)1番ホームを撮影した画像などを追加し頁を更新しました。
JR向洋駅
広島ぶらり散歩「JR駅舎」編
12月27日、曇り
「新庄の宮の社叢」は、クスノキ、タブ、サカキなどの常緑広葉樹、ケヤキ、エノキ、ムクなどの落葉広葉樹からなる社叢です。
その内のクスの大木2本が夫婦楠と呼ばれています。
樹齢は400年とも500年とも云われています。
(新庄之宮神社)夫婦クス
広島ぶらり散歩「植物」編
その内のクスの大木2本が夫婦楠と呼ばれています。
樹齢は400年とも500年とも云われています。
(新庄之宮神社)夫婦クス
広島ぶらり散歩「植物」編
新庄之宮神社の本殿、拝殿は、
爆心地から≒2900mで被爆した建物です。(被爆当時町名:三篠本町4丁目)
今回、神社の頁から分離独立させ再編集しました。
(新庄之宮神社)被爆建物
広島ぶらり散歩「被爆した建物等」編
爆心地から≒2900mで被爆した建物です。(被爆当時町名:三篠本町4丁目)
今回、神社の頁から分離独立させ再編集しました。
(新庄之宮神社)被爆建物
広島ぶらり散歩「被爆した建物等」編
12月26日、曇り
昭和27年三篠神社から分離して旧熊野神社を新庄之宮神社として昭和46年紀伊国熊野本宮大社依り家都御子大神を勧請した。そうです。
いままで神社の由緒について記述していませんでしたが、広島県神社誌を参照して追記し、頁も再編集しました。
新庄之宮神社
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編
いままで神社の由緒について記述していませんでしたが、広島県神社誌を参照して追記し、頁も再編集しました。
新庄之宮神社
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編
昭和37年建立の由来板が境内にありましたので、由来などが分かりこの地が八日市と呼ばれていたことも知りました。
(西原)胡子神社は、今を去る約五百年前即ち明応年間当地に住する人々相集まり物々交換をするため月の八の日を市と定め商いをなす此の時商売繁盛並に住民の福利増進を祈願するため胡子神社を建立したるものなり・・・・
(西原)胡子神社
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編
(西原)胡子神社は、今を去る約五百年前即ち明応年間当地に住する人々相集まり物々交換をするため月の八の日を市と定め商いをなす此の時商売繁盛並に住民の福利増進を祈願するため胡子神社を建立したるものなり・・・・
(西原)胡子神社
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編
12月25日、曇り(この冬、わが家の溜水に氷が、はじめてはりました)
『安川歩道橋南詰近くに立つクスノキの大木は昭和3年御大典を記念して植樹したものと伝えられている。』と安佐南区区政振興課発行のマップに紹介がありましたので撮影しました。
(安佐南区・大町東)昭和御大典記念クスノキ
広島ぶらり散歩「天皇関連碑など」編
(安佐南区・大町東)昭和御大典記念クスノキ
広島ぶらり散歩「天皇関連碑など」編
12月24日、晴れ
広島市教育委員会発行「広島の石碑」に『大町の県道と共力橋を結ぶ道路改修の推進役をつとめた事を表彰。』と紹介があり
『松本五郎』と紹介がありますが、(漢字苦手のわたしがどうみても)『松本五助』とみえましたのでわたしの頁ではそうしています。
(大町)道路改修・松本五助翁表彰碑
広島ぶらり散歩「道標など」編
『松本五郎』と紹介がありますが、(漢字苦手のわたしがどうみても)『松本五助』とみえましたのでわたしの頁ではそうしています。
(大町)道路改修・松本五助翁表彰碑
広島ぶらり散歩「道標など」編