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HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

廿日市市:厳島神社現・大鳥居は九代目という新説について

2023年02月28日 08時22分05秒 | 神社寺院等
2022年12月(厳島神社)大鳥居保存修理工事完了に合わせて、
現在の大鳥居は九代目と(新聞などの報道で)断定した云い方になっていますので、少しばかりの疑問を持ったわたしです。

*2020年7月20日中國新聞は「(現在の)宮島大鳥居、九代目か?13世紀前半にも再建の新説」との見出しだったのです。
ところが、
2022年12月18日中國新聞特集(下画像)では、
1223(貞応2)年~1240(延応2)頃に二代目が建造され、現在の大鳥居は九代目と断定した記事になっていました。
*中國新聞社は九代目だと確定する歴史的検証をしての記事なのかと(わたしは)少々疑問を持ちました。

2020年7月では、
『1240年に書かれた工事報告書の「伊都岐嶋社内外宮造畢(ぞうひつ)幷未造殿舎注進状(ちゅうしんじょうあん)」の中に、「造畢分」(すでに造り終えた物)として「大鳥居一基」の記述が発見された。
また、厳島神社は1207(建永2)年と1223(貞応2)年に大規模な火災に遭っている。
このときに、内宮(海上社殿)だけではなく、焼失しなかった外宮(地御前神社)も1240年までに再建された。内宮と外宮は一体と考えられていたためとされる。この期間内に、神社のシンボルである大鳥居も再建された可能性が高い』という。

☆上記の文献だけで、二代目の大鳥居が建造されたと結論づけられるのか?
この文献だけだとすると「九代目と考えるられる」というような断定しない云い方が適当なのではないのかと思うのです。
☆二代目建造と考えられるという1207年~1223年の時代背景を考えてみると、
「平清盛(1118-1181)が没し、平家が(1185年4月壇ノ浦の戦い)で滅び、
鎌倉幕府の時代に、三代源実朝(暗殺1219年1月)で執権・北条義時(1224年没)が権力をにぎる。
承久の乱(1221年6月)で、後鳥羽上皇隠岐の島に流され、鎌倉幕府の支配が畿内、西国にも強くおよぶようになたそうで。
安芸の国には武田信光が守護に任命されたが、守護代を派遣していた。
当時の大鳥居は明神鳥居だったので両部鳥居ほどの材料・費用はかからなかったでしょうが。
守護武田氏が二代目大鳥居建造の檀那になったとは考えにくい?ので、
国としてはまだまだ混乱期で、建造資金をだした人物はいないと考えられるのでは?

理工系だったわたしですので、歴史を専門に勉強をしたわけでもないということをお許し願っての素人の疑問です。
・自説に都合がいい文献が出たからと云って、他の文献の補強があれば確定してもいいのかもしれませんが、
中国地方の言論を牛耳る中國新聞であるのだから歴史的検証を経ての記事になったのかと思ったので取り上げたのです。
(裕編集の)現大鳥居は九代目という新説

2月28日(安芸区のわが家付近)花粉飛散多し、天候:はれ
8.8℃、52%

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廿日市市:(厳島神社)大鳥居保存修理工事完了

2023年02月27日 08時57分32秒 | 神社寺院等
廿日市市宮島町の厳島神社の“(厳島神社)大鳥居”「令和の保存修理工事の完了]を取り上げました。
※工事は2019年6月に始まり、2022年12月に完了しました。

大鳥居保存修理工事内容
1. 屋根葺替:檜皮(大屋根、袖 柱上屋根)、前回の葺替から25年が経過していましたので。
2. 塗装塗替:前回の塗替から15年が経過しているので、旧塗装を法令に基づいて掻き落とし処分を行い、朱色塗装(アクリル有機顔料塗装)としました。
3. 木部補修及び調査:以前に自費調査として、東西主 柱の部分的破損調査を行い、
東主 柱の北面袖貫上にウロ(当初からの腐朽による穴)が確認された他、
西主柱の金輪継補強鉄金物の錆による破損が確認されました。
修復では、シロアリによる被害で空洞になっていた主柱の内部に部材をはめ込み、ステンレス製のバンドや炭素繊維を巻き付けて補強した。


(観光舟の人たちで、大鳥居の柱の太さを比べられたらと撮影してみました)


(裕編集の)令和の保存修理工事完了

2月27日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
(朝一の台所室温)7.4℃、50%

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番外:金木犀バッサリ剪定

2023年02月26日 09時47分10秒 | いまだ初心園芸
終の棲家の(いまの)わが家に引っ越してきた平成はじめ、
その記念に金木犀の苗を植えたのです。
金木犀は翌年からわが家前の通学路に花の季節にはその香りをふり撒いてきていました。

これまでもそれなりに剪定してきていましたが、上へ上へと伸びたのです。
植樹した者としての責任を感じ、
ことしになって、ちょこちょこと剪定していましたが、
天皇誕生日のあたりから幹の途中からバッサリ切断することに着手しました。

剪定部分が大きくてわが家前の道路をそろりそろりと引っ張って車庫に入れようとしていました。
登下校小学生の見守隊の方々が見ておられたようで、手助けしていただき
わが家の車庫の中に引き入れることができました。

剪定幹は、(再び擁壁下まで持っていき)綱を付けて金木犀横まで引き上げたのですが、
これが大変で、
今更老齢を嘆いても仕方なかったのですが、すこしづつ引揚ました。



(わが家の)キンモクセイ

2月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
8.3℃、53%

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東区:護法神社

2023年02月25日 08時37分18秒 | 神社寺院等
東区山根町に鎮座している「護法神社」です。

※国前寺を守護する神社として建立されています。
※(現在の)祭神:左座・護法明神、中央・日蓮聖人、右座・稲荷明神。

※もともとは、法華経を守護する三十番神(略して番神)がはじまりだったようです。


本殿屋根は、檜皮葺だと思いました。(こけら葺きではなく)


(裕編集の)護法神社

2月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
10.9℃、57%

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中区:被爆アオギリ2023年2月22日

2023年02月24日 09時45分13秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2023年版」です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。

柵に囲まれた中には、
西側(正面からの画像で左側)に小さいほうの被爆アオギリ、中央に2004(平成16)年台風で倒れた大きい方の被爆アオギリ、
東側に被爆アオギリ2世の三本が現在植えられています。

今月は完全に落葉していました

平和記念公園はコロナ前の普段の冬場に戻ったようでした(ので)。
ここアオギリ周りも冬場の静けさに包まれていました。

(裕編集の)被爆したアオギリ2023年

2月24日(安芸区のわが家付近)天候:小雨→くもり(夕方晴れ)
11.2℃、63%

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中区:平和記念公園2023年2月22日

2023年02月23日 09時14分14秒 | 平和記念公園
中区中島町の平和記念公園2月22日(水)11時半過ぎでした。晴れていました。
行動制限がない現在ここ平和記念公園はコロナ禍前の冬の平和記念公園での人出が戻っているように(わたしには)見えました。
それは、英語・仏語・独語ではない言葉をしゃべっている西洋人たちとの何組かとすれ違いました。また、修学旅行の季節ではないと思いましたが、多くのボランティアガイドがグループになった生徒を引き連れ平和記念公園各所で見ました。

(原爆死没者慰霊碑の前で平伏している方ではなく)
床にこびりついたガムなどをとる作業中でした。


(裕編集の)平和記念公園広場の四季(2023年)

2月23日(安芸区のわが家付近)天候:(小雨模様の)くもり
9.9℃、56%

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廿日市市:諌鼓型燈籠

2023年02月22日 09時11分00秒 | 雑関連
廿日市市宮島町の厳島神社境内に建立されている「諌鼓型燈籠(諌鼓鶏型燈籠)」です。

※諫鼓(かんこ)とは
昔の中国で君主に対して諫言(かんげん≒いさめること)しようとする民衆に打たせるために設けられた太鼓のことで、「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒(けいせい)する想像上の鶏です。
※燈籠の根際に小さな石柱があります。
(遠くからは読めませんが)奉納者、奉納年月日が刻まれているのではと思うのです。

コロナ禍でほとんど参拝客がいなかった2021年1月22日撮影

参拝客がいなかったので、こそっと近づいてみたかったのですが、
立入禁止地区だと思うので、
老人の冷や水になることであろうから遠くから撮影はしましたが、刻まれた文字はわからなかったのです。
(裕編集の)諌鼓型燈籠

2月22日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
6.3℃、53%

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廿日市市:康頼燈籠

2023年02月21日 10時03分28秒 | 各種記念碑等
廿日市市宮島町の厳島神社境内に建立されている「康頼燈籠」です。

『平康頼は平家にとらわれて鬼界ヶ島にながされました。
日々故郷の年老いた母恋しさに歌を詠んで過ごしていましたが、その和歌を千本の卒塔婆に書いて海に流しました。
その一本が(この灯篭の根際の)ここの石に流れ着き、おりからゆかりの者がこれを持って都の母のもとへ届けたそうです。
のち、許された康頼はお礼に燈籠を寄進した。』と平家物語に出てくるそうです。

厳島神社では最も古い石燈籠だそうです。


(裕編集の)康頼燈籠

2月21日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(雪ちらつくときあり)
8.6℃、56%

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中区:(レストハウス展示)明子さんの被爆ピアノ

2023年02月20日 09時04分54秒 | 被爆建造物等
中区中島町の平和記念公園レストハウスに展示されている「明子さんの被爆ピアノ」を取り上げました。

設置の説明板によると
『このピアノは1926年、米国のボールドウィン社で製造され、同(大正15)年5月25日にロサンゼルスで生まれた河本明子さんが愛用していました。
1938(昭和8)年、明子さんは父源吉さん、母シヅ子さん、弟信彦さんとともに広島に移り住みました。
1945(昭和20)年8月6日、広島に(米軍)原爆投下。(広島女学院専門学校3年時)学徒動員で奉仕活動中だった明子さんは爆心地から約1km(の現在の合同庁舎辺り)で被爆し、翌7日夕方に19歳の生涯を閉じました。病名は「急性放射能障害」でした。
明子さんの自宅(当時三滝町山65-1)にあったピアノも爆風により、多くのガラス片で傷つきました。・・・・』とあります。

側面に原爆の爆風で飛んだ硝子片による傷跡がみえます


(裕編集の)(平和記念公園レストハウス展示)明子さんの被爆ピアノ

2月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、はれ
(朝一の台所室温)10.3℃、63%

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番外:アオキの実熟れてきて

2023年02月19日 09時12分37秒 | いまだ初心園芸
わが家のナンテンの実は野鳥に食べられ、
ピラカンサの実もすっかり食べられてしまいました。
おまけに、ごとごと音がしているなと思っていたら、
わずかばかり残っていたゆずの実は野猿に食べられた(ようです)。

アオキの実が熟れてきました。


(わが家の)アオキ

2月19日雨水/二十四節気(安芸区のわが家付近)天候:雨
13.0℃、68%

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廿日市市:(厳島神社)門客神社

2023年02月18日 09時33分52秒 | 神社寺院等

2023年2月12日撮影
右楽坊 右門客神社   左門客神社
(コロナ前の人出が戻ったようにみえました)

廿日市市宮島町の厳島神社境内に鎮座している「門客神社(かどまろうどじんじゃ)」です。
※(東側)右門客神社:祭神・櫛磐窓神(くしいわまどのかみ)
※(西側)左門客神社:祭神・豊磐窓神(とよいわまどのかみ)


2021年1月22日撮影
左門客神社   右門客神社 右楽坊
(コロナ禍で参拝客がほとんどいませんでした)


"オーバーツーリズム”という京都では、´一日バス乗り放題切符’の販売をやめるそうです。
(地下鉄+バス一日乗り放題は、高いのでやめないそうですが。)
ここ宮島では、入島税@100円/人を10月1日より始めるそうです。

(裕編集の)(左・右)門客神社

2月18日(安芸区のわが家付近)天候:雨模様
11.6℃、63%

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安芸郡:JR海田市駅・寒緋桜2023年2月15日

2023年02月17日 08時36分03秒 | 雑関連
安芸郡海田町新町のJR海田市駅構内に植えられている「寒緋桜」です。
※1番ホーム西側(広島側)端の山側に1本植えられ、早春に咲くのでニュースなどでよく取り上げられます。


*今(2023)年は、2月15日に撮影しました。
撮影時、雪がちらついていた寒い日で、
この冬は雪の日も多くあった(からでしょう)。
この日見たところでは、やっと咲きはじめというような状態でした。


2020年2月14日は、満開でした。
2021年2月18日は、三分~五分咲きでした。
2023年2月15日は、咲き始めでした。
(裕編集の)(JR海田市駅)緋寒桜

2月17日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
7.5℃、53%

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廿日市市:厳島神社本社

2023年02月16日 09時23分27秒 | 神社寺院等
令和の大改修が終わった"(厳島神社)大鳥居”ですので撮影に行ってみなくてはと思っていても、
老人の死者は減ることがないコロナ禍の2023年を迎えました(ので)。
2月12日になりましたが、宮島口に着いたとたんに人出の多さに圧倒されました。
大鳥居を海側から撮影するにはJR連絡船に乗らなくてはと並びましたが、多くの方が並んでいました。

ここでの記事は、「厳島神社本社」で、コロナ禍の中で今までわたしは経験したことがなかった閑散とした2021年正月、観光客が画像に映り込むを心配することもなく、参拝したあと撮影した拝殿から本殿を見たところです(上画像)。
祭神は、市杵島姫命、 田心姫命、 湍津姫命


振り返り、祓殿をみました。


(裕編集の)厳島神社本社

2月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
8.1℃、49%

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廿日市市:宇都宮丹靖句碑

2023年02月15日 08時35分01秒 | 各種記念碑等
令和の大改修が終わった"(厳島神社)大鳥居”ですので撮影に行ってみなくてはと思っていても、
老人の死者は減ることがないコロナ禍の2023年を迎えました(ので)。
ここ宮島への多くの観光客が戻ってきたとのローカルニュースに接していたので撮影に行くことをためらっていました。

ここでの記事「宇都宮丹靖句碑」は、コロナ禍の中で今までわたしは経験したことがなかった閑散とした2021年正月、観光客が画像に映り込むを心配することもなく撮影した画像です。





















(裕編集の)宇都宮丹靖句碑

2月15日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
8.2℃、56%

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東広島市:(広島新生学園)被爆石で作られた敷石

2023年02月14日 09時12分17秒 | 被爆建造物等
東広島市西条町田口の広島新生学園管理棟前の敷石は“被爆石”で作られています。

慰霊碑に頭をたれ、撮影させていただいた後、
管理棟に帰ったとき、上栗(現)園長先生がここで取り上げた敷石について説明されたので、撮影しました。
『1971(昭和46)年4月広島新生学園が広島市基町の旧野砲部隊跡地から現在地(東広島市西条町田口)に移転する時、
基町で被爆した石を持ってきて、
新天地でも広島新生学園開園の精神を忘れないようにと管理棟前の敷石として利用しました。』ということだそうです。

(裕編集の)(広島新生学園)被爆石で作られた敷石

2月14日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
9.9℃、57%

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