♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:ヨム・サンウク作「Self-consciousness」

2018年01月31日 09時03分32秒 | 何処へ行っても
(山口県)宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている
ヨム・サンウク作品の野外彫刻「Self-consciousness」です。
※Self-consciousness 自意識



*ここときわ公園は、よく管理された公園だなと思っていましたので、
遠くからこの作品をみた時、(なにがしかの外因で)転げたままにされることはないだろうからこの作品の最初からの作品の姿だろうと思いました。
近づくと作品プレートがあり『・・・外から強要されて、中から煩悶して、・・・再び立ち向かう。』という言葉を読んで、転がされても立ち上がろうとしている処を表したのかなと思った作品でした。
(裕編集の)
ヨム・サンウク作「Self-consciousness」

1月31日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、はれ

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番外:永廣隆次作「杜」

2018年01月30日 08時53分18秒 | 何処へ行っても
(山口県)宇部市大字沖宇部のときわ公園に展示されている永廣隆次作野外彫刻の「杜」です。


*ここときわ公園で、この作品「杜」を見る前に同じ永廣隆次作品の「森」をみていました。
日本語発音では“もり”、
英語表記では“FOREST”と同じ表記でした。
杜と森の違いを永廣隆次作品で考えた時、杜は背が高い人工林、森は背が低い木々が密集した場所とでも解釈になるのでしょうかね~。
「杜」「森」を漢和辞典で引いてみましたが小さな字がみえなくなってしまったと意味をみる前に歳老いたと思いました。
小さな字でしたが杜を引いて森と同じという項目もありました。

(裕編集の)永廣隆次作「杜」

1月30日(安芸区のわが家付近)薄っすら雪景色
天候:はれ、くもり

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番外;(島根県)川本町のマンホール蓋

2018年01月29日 09時28分35秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡 川本町川本でみたマンホール蓋です。

*下水の処理は浄化槽の設置でまかなおうとしているようですし、
農業集落排水事業は三原地区と云うことですので、ここでみたマンホール蓋は上水道用ではないかと思いますが。

(裕編集の)川本町マンホール蓋
広島ぶらり散歩「マンホール蓋」編

1月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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ホームページ表紙の更新

2018年01月28日 22時37分43秒 | カテゴリー以外
HPの「広島ぶらり散歩」の項目と表紙画像に経年の差異が生じていましたので、
昨日から画像を見直し、更新しました。

(裕編集の)広島ぶらり散歩
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番外;(江の川に架かる)川本東大橋

2018年01月28日 09時39分59秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡川本町の江の川(ごうのかわ)に架かり川本地区と久座仁地区を結ぶ「川本東大橋」です。
※右岸側は1981年3月製作、中国地方建設局建造一等僑でボルト構造。昭和57年6月竣工。
※左岸側は1967年3月製作、島根県建造二等橋でリベット構造。


朝日新聞『江の川橋めぐり』の記事を参照すると、
初代の橋は、1923年架橋の吊橋で、全長115mでした。当時日本最大級の吊橋でした。
1965年の洪水で流出。
1967年7月(左岸側)ランガー橋+(右岸側)桁橋で架橋されました。
1981年(左岸側元のまま)ランガー橋+(右岸側が)ランガー橋になる。
「広報かわもと」平成27年9月号の“昭和58(1983)年7月豪雨で増水した江の川”の写真に(左岸側)ランガー橋+(右岸側)桁橋の川本東大橋が写っていますと紹介していました。

NET公開の広報を(わたしが)みると確かにランガー橋+桁橋の画像がありましたが、
年代に矛盾がありました。
橋竣工板から昭和56年竣工は間違いないでしょうから広報で云う昭和58年の江の川増水時は間違っているのではないかと思います。
朝日新聞の記者はそこまでみてはいないということはないのでしょうが記事には指摘がありませんでした。

(裕編集の)川本東大橋

1月28日薄っすら雪景色。
(安芸区のわが家付近)天候:みぞれ気味の雪

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番外:(川本町)ふくむら食堂

2018年01月27日 09時23分19秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡 川本町川本にある「ふくむら(福村)食堂」です。
※食堂オススメ:マジカルオムライス、和定食、中華ランチ
※休:日曜・祝日。営業:11:00~19:00

マジオム:マジカルオムライスの略

現在は(ふくむら食堂で昼食を摂った日も)は廃線バブルで今(2018)年3月まではお客さんも多いのだろうと思いましたが廃線後は?と余計なことを考えたわたしでした。
しかし廃線バブル前は、ここ石見川本駅で乗り降りする乗客は少なく廃線が決まったという経緯を考えれば、廃線バブル前からここふくむら食堂はパパママ食堂として経営が成り立っていたのではと云う息子の考えに(わたしもそうだったのだろうな~と)これからもパパママが引退するまでは味を守り存続するだろうな~と思いました。

食物関連の記事は、極端に少ないわたしのブログですが、
このふくむら食堂への応援として頁を編集しました。
(裕編集の)ふくむら食堂

1月27日(安芸区のわが家付近)薄っすら雪景色
天候:くもり

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番外:小西山 妙船寺

2018年01月26日 08時50分39秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡川本町川本に創建されている「妙船寺(みょうせんじ)」です。
※山号は小西山で、日蓮宗の(興統法縁会島根尊門会に属する)お寺のようです。
※天正6年権大僧都日顕上人によって開基されたそうです。


*やけに簡素な(釣鐘はありませんが)鐘楼門だなと思ったのです。
もらった川本町探索マップに“水害に耐え続けた山門です!”とあることから
この地が“江の川”の根際ですので水害の被害に遭い修繕してもすぐに水害に遭い続けて今の姿なのだろうと納得したのですが、余にも寂しい山門でした。

(裕編集の)(小西山)妙船寺

1月26日(安芸区のわが家付近)積雪なし、厚めの氷はる
天候:くもり(雪ちらちら)

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番外:創天秤鞴記・碑

2018年01月25日 07時40分44秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡川本町大字川本に鎮座の弓ヶ峯八幡宮境内に建立されている「創天秤鞴記」碑です。
「てんびんふいごをはじむるのき」と読み下すそうです。

碑文を解読した渡里忠男氏の説明板が碑の根際に設置されています。
碑の概要は、『天秤鞴(てんびんふいご)は、江戸時代享保の頃ここ川本の老工・清三郎という人によって考案されました。
その威力によって当時の製鉄業が大きく発展しました。
この石碑は、清三郎の功績をたたえ安政4年清三郎の百年忌に(玄孫清三郎によって)建てられたものです。』

*JR石見川本駅で降り立った時にもらった「川本町探索マップ」をみると駅から徒歩10分(老人のわたしにはチト無理な急ぎ足ででしょう)と紹介がある弓ヶ峯八幡宮その下に
ここで取り上げた創天秤鞴記・碑を「天秤ふいごの碑」として掲載されていました。
この地方のたたら製鉄に関するふいごの碑かなと思いましたのでみなくてはと思ったのです。

(裕編集の)創天秤鞴(ふいご)記・碑

1月25日(安芸区のわが家付近)道路にも積雪あり
天候:雪(降っています)

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番外:弓ヶ峯八幡宮

2018年01月24日 08時40分56秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡川本町大字川本に鎮座の「弓ヶ峯八幡宮」です。
*石段を上る途中にこの神社の「御傳記」碑をみました。
『時の領主小笠原長親が天福元(1233)年に宇佐八幡宮から勧請し・・・・』とあります。
Wikipediaの石見小笠原氏によると
『1221(承久3)年承久の乱後阿波守護職となった小笠原長房の子、(四郎)長親が1281(弘安4)年弘安の役の軍功によって、石見国邑智郡村之郷を得て、移り住んだ事に始まる・・・・』とあり御伝記との年代に少しばかりの違いがあるようです。



(裕編集の)弓ヶ峯八幡宮

1月24日(安芸区のわが家付近)家々の屋根に積雪あり
天候:くもり

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番外:(島根県)川本町役場-旧庁舎-

2018年01月23日 08時20分27秒 | 何処へ行っても
島根県邑智郡川本町大字川本にある「川本町役場旧庁舎」です。
*1964年4月島根県合同庁舎として竣工した建物で、
  1985年8月から川本町役場庁舎となりました。
*昨日このブログで紹介した川本町役場庁舎は、2016年1月1日より旧保健所を改築した建物に移転しています。



「邑智裁縫女学館之跡」碑、「姉妹縁組記念樹」碑、「邑智郡役所之跡」碑の三つの石柱が建立されていました。
邑智裁縫女学館は、
1907年4月15日島根県邑智郡川本町に邑智裁縫女学館創設。
1963年1月 男女共学制を実施、江の川高等学校と校名変更。
<島根県での高校野球の強豪として名をあげていました>
2009年4月石見智翠館高等学校へ校名を変更しています。

(裕編集の)川本町役場旧庁舎

1月23日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(もや)

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番外:島根県川本町役場-現庁舎-

2018年01月22日 08時59分27秒 | 何処へ行っても
島根県邑智(おおち)郡川本町(かわもとまち)大字川本にある「(邑智郡)川本町役場」です。
RC5階建てのやけに立派な建物なのだと思った建物は、島根県合同庁舎の建物だったのです。
(画像手前の)太陽パネルをのせた平屋と2階建ての建物が川本町の現在の庁舎だったのです。

川本町役場に入り、町民憲章碑がないか昼休み中の職員の方に聞こうとしたとき、
見知らぬわたしたちに「こんにちわ」と役所の人に積極的に先に挨拶されたことに戸惑うわたしでしたが町民憲章碑が建立されていないか尋ねました。
最初の方はわかりませんでしたが担当の方が来られ挨拶から始まり、碑は無いが玄関風除室にボードが設置されているとそこまで案内していただき、恐縮したあと撮影しました。
トイレも利用させてもらう時、庁舎内であった職員の人たちそれぞれに「こんにちは」と(先に)挨拶されたことにこのような町役場がいまの時代は、あるのだと戸惑いうれしくなる出来事でした。

*定礎板より昭和60年3月竣工の建物ということがわかりました。
*役場庁舎としては、平成28年1月1日よりこの旧保健所を改築した建物に移転していたそうです。

(裕編集の)川本町役場

1月22日(安芸区のわが家付近)天候:あめ

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番外:金印論争再熱?

2018年01月21日 21時25分05秒 | 何処へ行っても
(きょうの)午後7時のNHK・TVニュースをみていたら、
福岡市博物館での金印論争シンポジウム、
福岡市博物館に展示されている国宝「漢委奴國王」印いわゆる金印の真贋論争を取り上げていました。

“真印”だと信じているわたしには見入るニュースでした。
ニュースの中では“江戸時代の贋作”と主張する学者は一歩も引く気配がないようでした。


しかのしま資料館展示の模造品を撮影

(裕2008年編集の)金印について

2011年福岡市博物館に展示の国宝・金印をみに行きました。
撮影禁止とありましたので撮影した画像はありません(見学者がいなかったので撮影できたのです)が
(裕2011年編集の)福岡市博物館
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番外:JR石見川本駅

2018年01月21日 09時42分53秒 | 何処へ行っても
島根県邑智(おおち)郡川本町にあるJR三江(さんこう)線の「石見川本(いわみかわもと)駅」です。
※1934年11月8日国有鉄道三江線石見川越駅~石見川本駅間開業。(当初は終着駅でした。)
2018年4月1日JR三江線の廃線に伴い、この駅も廃止予定です。


帰るとき車内から撮影しました。

*三次(みよし)駅から江津(ごうつ)駅まで直通があればそうしたのですが、不幸中の幸いと云うべきか、ここ石見川本駅(が終着)まで乗って、一休みして石見川本駅発で江津駅までとなったのです。

(裕編集の)JR石見川本駅

1月21日(安芸区のわが家付近)天候:くもり時々はれ

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中区:被爆したインドハマユウ

2018年01月20日 21時45分46秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆したインドハマユウ」です。通称・被爆ハマユウと呼ばれています。
*ハマユウとインドハマユウは違う植物ですので、インドハマユウを(わたしは)使っています。


今朝紹介した被爆アオギリから西側に行ったすぐ近くに移植されていますが、普段見る人は少ないので、
折角、被爆アオギリをご覧になったらこの被爆インドハマユウもみてから帰っていただきたいと思っていますので(花時でもないこんげつの)18日に撮影しました。

2002年NHK・TVで取り上げていましたので、通称・被爆ハマユウのことを知ったので撮影に行ったのです。
(裕編集の)被爆インドハマユウ
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中区:被爆したアオギリ2018年1月18日

2018年01月20日 09時05分18秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆したアオギリ」です。
落葉樹ですので、今月はすっかり落葉しています。


裏側(北側)からみました。
この地で育ったアオギリ二世、大きな被爆アオギリ、小さな被爆アオギリ


ことしも元気でいてくれと願いながら被爆アオギリを見ていきたいと思っていますが。
(裕編集の)被爆アオギリ2018年

1月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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