♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

平和記念公園8:あなた読んだ"原爆ドーム説明板”

2023年07月31日 07時38分53秒 | 平和記念公園
2023年7月20日撮影

広島市中区大手町の平和記念公園の原爆ドーム南側に設置されている「原爆ドーム説明板」です。

説明板には、
・「広島県物産陳列館の建設」
・「原爆ドームへ」
・「保存への取り組み」
・「世界遺産への登録」について簡潔に説明・解説しています。
(裕編集の)原爆ドーム説明板

「広島県物産陳列館の建設」の説明板には、
『チェコ人の建築家ヤン・レツル(1880-1925)※1の設計により
1915(大正4)年4月に広島県物産陳列館として完工し、
特徴のある緑色※2のドームによって市民に親しまれていました。・・・・』

※1:設計者ヤン・レツルは、竣工式に招待されなかったのです。
 なぜだか、考えてみてください。
*ヒント:20世紀は戦争の世紀とも云われていますよね。
(裕編集の)ヤン・レツルの略歴

※2:銅板葺きでしたので、竣工時は銅板色だったのです。
  銅板が年を経るごとに緑青(ろくしょう)が出てきて緑色になったのです。


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月31日(安芸区のわが家付近)天候:曇り気味(はれ)
28.3℃、73%

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平和記念公園7:あなた読んだ“猿楽町通り周辺・原爆被災説明板”

2023年07月30日 08時45分13秒 | 平和記念公園
広島市中区大手町の平和記念公園原爆ドーム東北側に建立されている「猿楽町通り周辺・原爆被災説明板」です。

『この地域一帯は、藩政時代からの城下町として、能楽(猿楽)師、細工師、医師をはじめ大小の商家が軒を並べてにぎわっていました。
1945( 昭和20) 年8 月6 日午前8 時15分、人類史上初めての原子爆弾が細工町の島病院の上空約580m(≒600m)でさく裂し、爆心直下のこの一帯は、人も街並みも全滅しました。
焼け跡には、広島県産業奨励館の残骸(現在の原爆ドーム)だけが象徴的な姿をさらしていました。』
(裕編集の)猿楽町通り周辺・原爆被災説明板

説明板には、
この一帯が最も活気あふれていた1940(昭和15)年前後を生存者の情報をもとに再現したものがあります。
(裕編集の)(猿楽町通り周辺)復元戸別地図


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月30日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(いまは曇り気味)
28.9℃、79%

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平和記念公園外6:あなた知ってる”爆心地”

2023年07月29日 08時37分14秒 | 被爆建造物等
広島市中区大手町の島内科医院前に広島市によって「爆心地・原爆被災説明板」が設置されています。
※(広島の)爆心地には、原爆被災説明板しかありません。

当時:廣島市細工町(さいくまち)29-2 島病院

写真右奥の鳥居は廣島護國神社のもので、現在は場所を移されていますが健在です。

島薫院長の遺稿集(1983年編纂)では
「80人ばかりの人が亡くなった」とあります。
「病室はほとんど満員で50人は入れました。それに、食事の支度をする患者さんの家族が付き添っていました。看護婦はいずれも住み込み。10人はいたと記憶しています。」
病院は6人部屋から個室までの15室を備え、困窮患者をみる木造の施療7室もありました。
敷地面積は約1,320㎡でした。
(裕編集の)爆心地・原爆被災説明板


国土地理院の地図を使用しています。


7月29日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
29.6℃、69% 朝から暑い

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平和記念公園外5:あなた知ってる“原爆投下目標・相生橋”

2023年07月28日 08時07分50秒 | 平和記念公園
広島市中区本川町と大手町・基町(もとまち)を結び、橋中央から中島町の平和記念公園を繋ぐT字型をした「相生橋(あいおいばし)」です。
爆心地から≒300m。
※原爆は、1945年8月6日(月)安芸郡府中町(広島市矢賀)付近上空≒9,600mで投下され放物線をえがきながら落下していき、(43秒後と云われているようですが)この相生橋から南東の島病院上空≒600m(午前8時15分に)炸裂しました。
※投下目標相生橋からそれほど離れていない島病院だったのは、
原爆の模擬弾(長崎投下原爆と同じ≒5トン)を全国各地で投下訓練をしていたからだとも云われています。


「原爆被害の(旧)相生橋」(通称)原爆資料館展示写真 撮影:川本俊雄さん 
(建物は商工会議所)



国土地理院の地図を使用し加筆しています

5)相生橋説明碑
説明碑は、次の3ヶ所に分かれて設置されています。
(1)相生橋東詰根際には建設省広島国道工事事務所が設置した説明碑。
(2)建設省広島国道工事事務所設置の説明碑から少し南側に行った処に広島市設置の説明碑。
(3)相生橋南詰東側(中島町慈仙寺の鼻)に広島市設置の説明碑。
(裕編集の)相生橋説明碑

5-2)相生橋趾碑〔皇紀2600年(1940年)建立〕
(裕編集の)相生橋趾碑

7月28日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
28.9℃、69%

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平和記念公園4:あなた知ってる“国土交通省(内務省)原爆殉職者慰霊碑”

2023年07月27日 07時46分46秒 | 原爆慰霊碑等
広島市中区大手町の平和記念公園(原爆ドーム北西側)に建立されている「(内務省)中国四国土木出張所職員殉職碑」です。
※1947年木製碑で建立されましたが、
1954年に(現在の)自然石の歌碑に取替えられたそうです。


2023年7月20日撮影  原爆ドームへの防犯カメラがあります

歌碑裏面の碑文は、
『元内務省中国四国土木出張所職員五十二名は国民義勇隊として作業中昭和二十年八月六日の原爆並びに戦災により、平和の礎となりこの地に眠る
昭和二十九年八月六日 建設省中国四国地方建設局 職員一同建之』とあります。

歌碑の歌も編集しています。
(裕編集の)中国四国土木出張所職員殉職碑


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月27日スイカの日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
28.7℃、72%

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平和記念公園3:あなた読んだ”原爆ドーム説明碑"

2023年07月26日 08時02分58秒 | 平和記念公園
原爆ドームの北側に広島市によって設置されている3つの説明碑を取り上げました。
西側から
「世界遺産原爆ドーム」説明碑(1996年設置)+「原爆ドーム」説明碑(1967年設置)+「原爆ドーム保存工事」説明碑(第3回まで)

2023年7月20日撮影


2003年(中央の)原爆ドーム説明碑汚損事件がありました。
その機会に「原爆ドーム」説明碑の説明文は書き起こしていましたが、両側の説明碑文は読み飛ばしていただけでした。
2023年の今になりましたが。書き起こしてみたのです。

もしも読んでおられない方は、おせっかいを承知で、読まれませんか。
(裕編集の)(ドーム北側設置)原爆ドーム説明碑他
*ドーム南側には原爆ドーム説明板が設置されています。(後日取り上げる予定です)

(裕編集の)世界遺産登録への歩み
(裕編集の)原爆ドーム保存への歩み


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月26日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
28.3℃、71%

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平和記念公園2:あなた知ってる“広島県地方木材統制(株)慰靈碑”碑文

2023年07月25日 08時02分25秒 | 原爆慰霊碑等
広島市中区大手町の平和記念公園原爆ドーム北東側に建立されている「広島県地方木材統制株式会社慰靈碑」です。
1967年8月6日建立。
建立者:広島県地方木材株式会社旧役職員一同。

広電電車の原爆ドーム前電停で降り、
平和記念公園に入って最初に目にする原爆関連の慰霊碑です。

2023年7月20日撮影


この慰霊碑が建立されていることを多くの方々はご存じでしょうが、
碑の裏側に刻まれた碑文を読まれた方は少ない?

もしも、読んでおられないなら昭和42年に刻まれた碑文を読んでみませんか。
(裕編集の)広島県地方木材統制株式会社慰靈碑


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり・はれ
28.7℃、76%

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平和記念公園1:あなた知ってる“原爆ドーム”

2023年07月24日 08時07分39秒 | 平和記念公園
1915年4月5日竣工した"廣島縣物産陳列館”でしたが、
1945年8月6日米軍投下の原爆で破壊されました。
戦後、破壊した姿からいつしか"原爆ドーム”と呼ばれるようになりました。

2023年7月20日撮影


1)原爆ドームのドームは楕円形なのです。
2)廣島縣物産陳列館は湾曲した建物なのです。
3)中庭があるおしゃれな建物だった。

2000年ごろからHPを編集しだして知ったことでしたが、
それまで、(わたしは)漫然と見ていましたので気が付かなかったのです。
頁を編集していますが、もしご存じなかったら見てやってください。
1)(原爆ドームのドーム部分は)楕円形
2)(被爆当時名称・広島県産業奨励館は)湾曲した建物
3)(旧広島県産業奨励館)中庭避難用螺旋階段


国土地理院の地図を使用し加筆しています

7月24日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
28.0℃、74%

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番外:花が終われば種になり

2023年07月23日 08時17分03秒 | いまだ初心園芸
鉢で育てているわが家のネジバナ。

花が終わり、種になってきました。
そのついでに、一回り大きな鉢に植え替えました。


(7月9日の記事)わが家のネジバナ満開

7月23日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(気味)
27.6℃、78%

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中区:平和記念公園広場2023年7月20日

2023年07月21日 08時49分15秒 | 平和記念公園
7月20日(木)11時を回っていました。
曇はありましたが晴れで、暑い日でした。(帰宅後、梅雨が明けたことを知りました)

今月は、来月6日の通称・平和記念式典までまだ2週間もあるというのに式場のテント設営が行われていました。
さすがに暑い日で、先月までの人出はありませんでした。

今月は、修学旅行はひと段落したようで、お弁当屋さんの車も留まっていませんでした。

観光バスは(この広場には)留まっていませんでした


(裕編集の)平和記念公園広場の四季(2023年)

7月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもあるが晴れ(洗濯日和)
26.4℃、74%

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中区:SUIKO作「TORUSPEAK」

2023年07月20日 08時01分06秒 | 野外彫刻等
広島市中区鉄砲町の建物外壁に描かれたSUIKO作「TORUSPEAK」を取り上げました。
※社会実験「#カミハチキテル3 ‐URBAN TRANSIT HUB‐」の中で展示された外壁画でした。
※実施期間:2022年9月~11月でした。


『2022年7月23日24日に実施した広島市現代美術館主催のワークショップ、「2m26と!八丁堀にチョーばりでっかいテーブルをつくる編」にて制作しました。
ドーナツ型のテーブルイスについても、実施期間中ずっと展示・活用しておりますので、ぜひ現物を見に来てください!』と立て看板で云っています。


バスの中から見たのがカミハチキテルと名乗っているフラワーボックスなどを見たのです。
(後になって知った既に3回目の社会実験だったのですが)
何やらお金をかけてコロナ禍で人出が少なくなった八丁堀あたりに人出をもとめようとしているのだろうな~と思ったのです。
帰宅前に八丁堀にもよってみたときにみたSUIKOさんの外壁画でしたので、撮影し頁を編集することにしました(編集時の2023年には既に見ることができない作品ですが)。
(裕編集の)SUIKO作「TORUSPEAK」

7月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
26.9℃、76%


帰宅して知りましたが、
きょう7月20日、広島地方気象台は、中国地方の「梅雨明け」を発表しました。
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安芸区:船越南第一公園

2023年07月19日 08時37分57秒 | 公園・緑地等
広島市安芸区船越南に設置されて「船越南第一公園」です。
※国交省の資料によると公園面積は1,066㎡、公園開設は1987年だそうです。

※ブランコなどの遊具、水飲み場はありますが、公衆便所は設置されていません。

ここ数年安芸区役所西側に位置するK眼科で診てもらっているのです。
その薬局前の道がこの公園通りの北側に位置しています。
地図を見て近くに公園があることを知ったので一度撮影に行ってみるかと思ってから時は経ちましたが、2022年12月定期健診で、K眼科で診てもらった後立ち寄ってみたのです。
公衆便所がない公園でした。
垣根として植えられていた山茶花(椿かもしれません)が花咲いていましたので心なごむ公園でした。

(裕編集の)船越南第一公園

7月19日(安芸区のわが家付近)天候:(早朝雨)くもり
早朝雨の中、カナカナ(ヒグラシ)がわが家付近で初鳴き。
28.0℃、77%

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南区:舟越保武作「牧歌」廃棄される

2023年07月18日 15時37分36秒 | 野外彫刻等
2023年7月17日中國新聞報道(木原由維記者署名記事)によると、
『旧広島駅ビルの壁面を55年間にわたって飾った、彫刻家舟越保武(1912-2002)の作品「牧歌」が、2020年の同ビル建替工事に伴い廃棄されていたことが分かった。
作品は、旧駅ビルを運営していた広島ステーションビル(2010年、中国SC開発に吸収合併)が1965年の同ビル開業に合わせ、舟越に制作を依頼。
ブロンズ製で、高さ約1.5mの横笛を吹く少年、花を持つ少女と、数羽の小さなハトで構成。同ビル南口の玄関付近の壁面に取り付けられた。
中国SC開発とJR西日本中国統括本部によると、廃棄は2020年春ごろ。
作品は(2005年)当時、同ビルの専門店街「広島アッセ」の壁面に移設されていた(が、改装工事で撤去され、保管されていた)。
JR西日本が進める新駅ビル(25年開業予定)の建設に伴う広島アッセ解体工事の際に廃棄された。
吸収合併前の広島ステーションビルが作成した旧駅ビルの財産リストに、作品の記載はなかった。中国SC開発の田尻寛総務部長は中国新聞の取材に対し「作品の存在と芸術的価値について認識できず、作品を失う事態を招いた。再発防止策を徹底したい」と説明する。・・・』

大切に保管されていると聞いていた
(裕2006年編集の)舟越保武作「牧歌」

2010(平成22)年駅ビル管理会社が他社に吸収合併されるときに、この作品の引き継がれなかったことが廃棄につながったのでしょうが、
2020(令和2)年まで保管されていた彫刻作品が廃棄処分が決定されたとき廃棄担当者が直接立ち会わなかった?ことにも因るように思えてなりません。
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廿日市市:(瀬戸内シーライン)高速船:おやしお

2023年07月18日 08時00分14秒 | 乗り物関連
廿日市市宮島町の宮島桟橋に停泊中の高速艇「おやしお」をみました。

本土から宮島へは連絡船で行かねばなりません。
宮島口~宮島間の連絡船は、JRと松大汽船が営業しています。
ここで取り上げた“おやしお”は、瀬戸内海汽船G〔瀬戸内海シーライン(株)〕の高速船で、広島港~元宇品プリンスホテル桟橋~宮島間を運行している宮島への連絡船です。
2023年4月現在。
広島港~(プリンスホテル経由)~宮島を、約30分余で結び、運賃は、@2,100円/大人だそうです。


消防艇「もみじ」と 高速艇「おやしお」

廿日市市消防艇もみを撮影した時に根際に、ここで取り上げた“おやしお”が停泊していたのです。
(わたしははじめて見る船だなと思ったので)撮影したのです。
“おやしお”といえば自衛隊・潜水艦おやしお型がまず思い浮かぶところなのですが、
民間企業が“おやしお”の名を付けても何ら問題はないのでしょうから、この高速艇に“おやしお”と名付けられたのだろうと思ったので取り上げました。

(裕編集の)高速艇おやしお

7月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
27.8℃、79%

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番外:仏壇花の水替え

2023年07月17日 08時53分04秒 | 雑関連
ことしも、
昨日(16日)から仏壇花の水替えを、朝・昼・晩の3回することにしました。
まだ湿度は高いようで梅雨が明けたわけではありませんが、
ここのところ花もちが悪くなっていました。

山野辺のわが家、風はあったのですが、昼過ぎの室温が32.3℃もあったので水替えをしました。

これからは、買い物に行くときに花を買うので、
花もちが悪く寂しい仏壇花になるときもあるでしょうが、
いまから妻に許しを乞うておかなくてはならない季節になったようです。

7月17日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(orはれ)
27.2℃、77%



妻が先に逝くと、ものぐさ亭主は困ることばかり。
昨日、鉢ものたちに水を撒いていたら、
外壁にカマキリがいました。
まだ、雄を食べるという大きさではないようでしたが、
亭主が先に逝くのがいいのかなと追記してみました。
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