♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:きょうは呉線に乗って・・・

2017年08月31日 22時35分46秒 | 雑関連
呉線(くれせん)でまだ撮影していないJR広(ひろ)駅から先の駅々を撮影に出かけました。

画像は、安芸津(あきつ)駅の一つ前の風早(かざはや)駅です。
18年ほど前安芸津で仕事をした時、安芸津駅を利用していましたが、一度だけ夕暮れの瀬戸内海をみながら風早駅まで歩きここから広駅行きの電車に乗ったことがあるので、久しぶりの風早駅だったのです。

当時も無人駅でしたが、切符は駅前の売店で売っていましたので、いまはとみたのが下画像です。

もう店じまいしていました。切符売場と書かれていたテントもかけていました。
思い出すと、当時切符を売っていたおばさん後継者がいなかったら店じまいだったろうな~~と自分の今の歳のことを思い感傷的になりましたので、
頁は今後編集予定ですが。

(裕が訪ねた)「広島県のJR駅舎」編
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番外:(宇部駅前)最上寿之作「ポカポカオヒサマテルホドニ」

2017年08月31日 07時43分05秒 | 何処へ行っても
山口県宇部市西宇部南のJR宇部駅前のロータリー部に建立されている最上寿之作「ポカポカオヒサマテルホドニ」です。
カタカナでだらだらと記述された作品ですが
「ぽかぽかお日様照るほどに」と記述するとすぐに意味が分かりますね。


JR宇部駅を撮影しようと途中下車した時に目に飛び込んできたのがこの彫刻でした。
近づき見ると作品プレートで最上寿之の1983年作品ということがわかりました。

(裕編集の)最上寿之作:ポカポカオヒサマテルホドニ

8月31日(安芸区のわが家付近)天候:(いまは)くもり

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何処へ行っても:JR宇部駅

2017年08月30日 08時24分13秒 | 何処へ行っても
山口県宇部市西宇部南にある山陽本線「JR宇部駅」です。JR宇部線の駅でもあります。
※明治43年7月1日開業した駅だそうです。

0番ホームに停車の電車に乗りました。


(宇部線の)JR常盤駅に行くには、山陽本線で新山口駅(昔の小郡駅)で宇部線に乗り換え常盤駅に行くのが距離的にも時間的にも短くて済むのですが、待ち時間が長すぎるのです。
時刻表をみると
山陽本線で、ここで取り上げた宇部駅まで行き、宇部線に乗り換え常盤駅の方に行く方が早く着くことがわかりましたので、宇部駅で宇部線に乗り換えの間をみて撮影しました。

(裕編集の)JR宇部駅

8月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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何処へ行っても:尼崎市のマンホール蓋

2017年08月29日 08時33分57秒 | 何処へ行っても
兵庫県尼崎市水明町・琴浦町の一部でみた「尼崎市のマンホール蓋」です。
*尼崎競艇場周りのごく限られた地区でみたものですので、種類としてはわずかなものでしょうが頁を編集しました。

上画像のマンホール蓋は、
『水辺・魚・トンボなどを(尼崎市)市花である夾竹桃の花びらで周りを囲み「水のまち尼崎」をデザイン化しています。』だそうです。

(裕編集の)尼崎市のマンホール蓋

8月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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何処へ行っても:尼崎市・琴浦神社

2017年08月28日 07時30分31秒 | 何処へ行っても
兵庫県尼崎市琴浦町に鎮座している「琴浦神社」です

※尼崎市教育委員会設置の説明板によると
『この神社は、源融公が祭神として祀られています。かれは嵯峨天皇の皇子で、その邸宅京都六条の河原院に陸奥の塩釜の風景を模して庭園をつくり、毎日三十石の潮水をここから運んで、塩を焼かせたと伝えられています。また、海岸の景色が他所より勝れているので、異浦(ことうら)とよばれたともいわれて・・・・』とありますが、
この琴浦神社創建についての記述が無いのが寂しい説明板でした。



(裕編集の)琴浦神社

8月28日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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何処へ行っても:阪神電車・尼崎センタープール前駅

2017年08月27日 08時43分52秒 | 何処へ行っても
兵庫県尼崎市水明町に開業されている「阪神電車・尼崎センタープール前駅」です。
*阪神電気鉄道本線の駅だそうです。
*「センタープール」とは、尼崎競艇場の競艇用水溜り(競走池)のことです。



(裕編集の)阪神電車・尼崎センタープール前駅

8月27日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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何処へ行っても:阪神路面電車(阪神71形71号)

2017年08月26日 08時17分43秒 | 何処へ行っても
兵庫県尼崎市水明町の水明公園内に展示されている「阪神(路面)電車」です。

※設置の説明板によると
『この阪神電車は、昭和2年7月西野田~東神戸間26.0kmが開通して以来昭和50年5月までの48年間、私たちの足として長年親しまれたことを記念し、郷土の歴史の一環として保存展示するものです。・・・』とあります。


(裕編集の)(水明公園展示)阪神71形電車

8月26日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がり)くもり

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何処へ行っても:(尼崎)水明公園

2017年08月25日 07時17分26秒 | 何処へ行っても
兵庫県尼崎市水明町に設置されている「水明公園」です。

※国土交通省都市公園データによると公園面積19,533㎡程ある広い公園です。
公園にはバラ園が整備され5月~6月と10月~11月に咲く、約 60種類2,900本のバラがあるそうです。
また、過って活躍していた阪神路面電車が展示されています。(集会所として利用されているようです)



(裕編集の)水明公園

8月25日(安芸区のわが家付近)天候:(くもりがちの)はれ

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番外:昨日は三江線に乗りに行く

2017年08月24日 07時07分35秒 | 雑関連
1975年やっと全通したというのに、来(2018)年4月1日廃止が決まっているJR三江線(108km)、
浜原駅に建立の「三江線全通記念」碑を撮影に行ったのです。
(この列車から浜原駅で降りた人はわたし以外はありませんでした。乗る人も無しでした。)

2013年に口羽駅に建立の「三江線全通記念碑」は撮影し頁を編集していたから浜原駅の記念碑もと思ったからです。

いつもこのくらいの乗客なら廃線はなかったでしょうが


今後、JR浜原駅。浜原駅建立の「三江線全通記念」碑。JR粕淵駅などの頁を編集する予定ですので。

8月23日(島根県美郷町付近)天候:はれ
8月24日(安芸区のわが家付近)天候:くもりがちのはれ

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呉市:長岡強作:若人

2017年08月22日 08時10分19秒 | 野外彫刻等
呉市広古新開の広市民センター内に建立されている長岡強作「若人」です。

※文化庁主催第8回県展選抜展1969年広島県代表としての作品だったことが作品プレートでわかりました。



(裕編集の)長岡強作「若人」

8月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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呉市:松本隆司作:奉仕

2017年08月21日 07時57分23秒 | 野外彫刻等
(現在は)呉市広古新開の広市民センター前に建立されている松本隆司作「奉仕」です。

*呉東ロータリークラブが広公園に頼山陽文学碑(35周年記念)を建立したことをNET検索で知った時、(建立当時)広青少年教育センターに松本隆司作「奉仕」(10周年記念)として館内に建立されていることも知りました。(ので)今回撮影できました。



(裕編集の)松本隆司作「奉仕」

8月21日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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呉市:大林源蔵翁頌徳碑

2017年08月20日 08時41分10秒 | 各種記念碑等
(現在)呉市広古新開の広市民センターに建立されている「大林源蔵翁頌徳碑」です。

※碑文によると『・・・大林家中興の祖とも云われる大林源蔵翁は、寛永10年に生れ、元禄14年に歿しました。
在世六十余年の間に公共の福祉の増進に貢献したが中でも、荒れ果てた広村開発に思いをいたし、長年苦労の末 広村大新開132町1畝6歩、広村源蔵新開4町5反8畝11歩、隣村仁方村塩浜新開21町5畝?歩などの新田開発事業は、その最も顯著なるものです。工事にあたっては、土木技術の幼稚であったと思われる当時、道路、渠溝、樋管、水溜等、実に綿密周到な計画のもとに耕地整理を行ない、今日広町発展の礎を築きました。』とあります。


(裕編集の)大林源蔵翁頌徳碑

8月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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呉市:広青年教育センターの蘇鉄

2017年08月19日 07時36分34秒 | 雑関連
(現在は)呉市広古新開の広市民センターに移植されている「(広青年教育センターの)蘇鉄」です。
※以前の建物の名称・広青年教育センターを冠していますが、現在は広市民センターへと改築・改称されています。

呉市指定文化財第29号に指定されており、雄株のソテツで約500年ほどの歳月を重ねた大木です。

(裕編集の)(呉市天然記念物)蘇鉄

8月19日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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呉市:広邑新墾碑

2017年08月18日 08時03分26秒 | 各種記念碑等
(現在は)呉市広古新開(ひろ こしんがい)の広市民センターに建立されている「廣邑新墾碑(ひろむら しんこんひ)」です。
廣邑新墾碑は、廣村の大庄屋・多賀谷武兵衛が独力で文化8年に、弥生新開の開拓事業を竣工し、39町あまりの新田を造成した功績を、
文化15年に頼山陽(1780-1832)が選書したものです。
ただ、名文だという碑文を(わたしは)読み下せないのが情けないところです。


後方からみました。

※このブログ頁のタイトルが誤字でしたので訂正しました。
本文中に記述している「広邑新墾碑」が正解です。


(裕編集の)広邑新墾碑

8月18日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(てきました)

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中区:平和大橋下流側の「かき舟」撤去

2017年08月17日 08時34分34秒 | 乗り物関連
元安川に架橋の平和大橋下流側にあったかき舟、
2016年に「かき船かなわ」が撤去され、2017年3月中旬に「かき舟ひろしま」が撤去されました。

「かなわ」は2015年10月同じ元安川上流側に新規開店していますが、
「ひろしま」は本川に移転はしていませんのでこのまま閉店になるのかなと思っています。


2013年11月撮影。東側「かなわ」、西側「ひろしま」


(裕編集の)かき船:かなわ、ひろしま

8月17日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


昨(8月16日)日夕方久しぶりに虹をみました。

わが家から撮影

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