
広島市中区幟町の歩道脇(和菓子の青柳屋本店前)に設置されている「西國街道・表示碑」です。
17世紀現在の形にできた西国街道は、
当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。
これが基になって、今の国道2号になっています。
福島正則藩主時代(在任:1600-1619)に広島城下へ西国街道が整備されました。
(それまでは広島の北の方を通っていた)そうです。

2008年はじめて撮影した時、青柳屋の2階は表千家茶道教室でしたが、
昨(2023)年撮影した時は空き店舗になっているようでした。
(裕編集の)(石見屋町)西國街道・表示碑
17世紀現在の形にできた西国街道は、
当時陸上の大動脈として文化、社会の交流に役立っていました。
これが基になって、今の国道2号になっています。
福島正則藩主時代(在任:1600-1619)に広島城下へ西国街道が整備されました。
(それまでは広島の北の方を通っていた)そうです。

2008年はじめて撮影した時、青柳屋の2階は表千家茶道教室でしたが、
昨(2023)年撮影した時は空き店舗になっているようでした。
(裕編集の)(石見屋町)西國街道・表示碑
4月25日(安芸区のわが家付近)天候はれ
17.8℃、66%
定期検診です。
今では街中でかつての名残をしのぶものは
こうしたものしかないでしょうね。当時は
どんな風景だったでしょう。特に幕末維新
期。たくさんの人が往来したと思います。
つい、そんなことを考えてしまいます。
西国街道の残り香を、
紹介した石柱や、歩道に埋め込んだ旧町名板。
また、一里塚跡碑が建立されたり
http://masuda901.web.fc2.com/page1ag07a2.html
最近では、西国街道だった処に西国街道デザインのマンホール蓋。
そして、街道沿いに設置されている郵便ポストにそのシールと。