広島市南区比治山(ひじやま)本町の鶴見橋東詰北側にある「被爆したシダレヤナギ」です。
爆心地から1,700mに位置しています。
*2004年はじめて撮影した時は、親株も弱ってはいるようでしたが健在だったのです。
※2008年被爆シダレヤナギの親株は、枯死したようでした。
しかし、根元からの‘ひこばえ’部分が生長し、
現在はそのひこばえ部分のシダレヤナギが大きくなり新しい白色の被爆樹木標識が付けられています。

≒東側からみました。
手前側:茂っているのが" ひこばえ幹"
南側から見ました。
西側に曲がった幹が、枯死した親株です。

これからも近くに行ったときには撮影していこうと思っていますが、
いつまで元気でおれますか。
(裕編集の)(鶴見橋東詰)被爆したシダレヤナギ
爆心地から1,700mに位置しています。
*2004年はじめて撮影した時は、親株も弱ってはいるようでしたが健在だったのです。
※2008年被爆シダレヤナギの親株は、枯死したようでした。
しかし、根元からの‘ひこばえ’部分が生長し、
現在はそのひこばえ部分のシダレヤナギが大きくなり新しい白色の被爆樹木標識が付けられています。

≒東側からみました。
手前側:茂っているのが" ひこばえ幹"
南側から見ました。
西側に曲がった幹が、枯死した親株です。

これからも近くに行ったときには撮影していこうと思っていますが、
いつまで元気でおれますか。
(裕編集の)(鶴見橋東詰)被爆したシダレヤナギ
2月27日(安芸区のわが家付近)はれ。
10.7℃、49%
哀れです。
ダメージが大きかったのでしょうね。
被爆したシダレヤナギに思いを寄せる方が
裕さん以外にも居られて。
千羽鶴が物憂げです。
云われるように被爆によるダメージが大きいことだったのでしょうが、
1984年の台風が追い打ちになり弱ってきたようですが、枯死するまd20年余頑張ったようです。
まだ生きていた時を見ていますので、
枯死した姿は悲しみしかありませんので、切断し保存してくれと云っているのではとわたしは思うのですが。
どんな形であれ、被ばく樹木として
題を重ねていますね。何よりですねぇ。
爆心地近くの被爆樹木と云われるものは、ひこばえから育った樹木が多くあります。