
東区二葉の里(ふたばのさと)の鶴羽根神社に建立されている「翼山石井先生碑」です。
※大正8(1919)年10月26日建立。
※題:陸軍中將從四位勲二等功二級田部正壮(1849-1939)。
※撰文:從六位山田養吉(十竹:1834-1901)。
2008年撮影して碑文の全文は解読できなくても石井翼山先生が如何なる人物がわからないかと思いましたが、わたしには読み解けずわからなかったので、
頁の編集完了に至っていなかったのです。

ことしになって、国立国会図書館がデジタルコレクションということで各種の書籍を公開していることを知り、
その中に「広島県書画家伝」があり、その中にここで取り上げた石井翼山に関する記述がありました。
石井翼山(1812~1883)
『名は義宣、字は明郷、眞澄と称し、号が翼山。
廣島鶴羽神社の神職。垂加學を加藤棕盧(1790-1851)に受け、書は初め菫其昌(とう きしょう:明の文人)を学び、後ち諸家の法帖(≒先人の筆跡または碑文など)を習ひ、一機軸を出し、韻致(≒風雅な趣)ある書でした。・・・・』
長い事編集完にならずほったらかしだったのですが、
人物像がわかりましたので頁編集完了公開することができました。
(裕編集の)翼山石井先生碑
※大正8(1919)年10月26日建立。
※題:陸軍中將從四位勲二等功二級田部正壮(1849-1939)。
※撰文:從六位山田養吉(十竹:1834-1901)。
2008年撮影して碑文の全文は解読できなくても石井翼山先生が如何なる人物がわからないかと思いましたが、わたしには読み解けずわからなかったので、
頁の編集完了に至っていなかったのです。

ことしになって、国立国会図書館がデジタルコレクションということで各種の書籍を公開していることを知り、
その中に「広島県書画家伝」があり、その中にここで取り上げた石井翼山に関する記述がありました。
石井翼山(1812~1883)
『名は義宣、字は明郷、眞澄と称し、号が翼山。
廣島鶴羽神社の神職。垂加學を加藤棕盧(1790-1851)に受け、書は初め菫其昌(とう きしょう:明の文人)を学び、後ち諸家の法帖(≒先人の筆跡または碑文など)を習ひ、一機軸を出し、韻致(≒風雅な趣)ある書でした。・・・・』
長い事編集完にならずほったらかしだったのですが、
人物像がわかりましたので頁編集完了公開することができました。
(裕編集の)翼山石井先生碑
5月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
長い年月を経て肝心の碑文が読み取れないのは残念ですね。
年代的に西南戦争で活躍された方の碑を書かれたのでしょうか
碑文に書かれている人より撰文した人より先に逝かれ
門人達によって建立されたのはそれ程慕われていたからでしょうか 肝心の文字が読み取れないのが残念です。
理工系のわたしが漢文を読み解くのは難解だということがまずありますが、その碑の人物像がわからなくても、
題を揮毫した人物が犬養毅など有名人物だと頁を編集し公開したこともありますが。
翼山先生の題を揮毫した人物は後に廣島市長になった人物です。
撰文は、前身が藩校で、のち修道の校長先生を務めた方ですが、
翼山先生の人物像がわからなくてはと思ったのです。