廿日市市宮島町胡町の宮島港ターミナルビルを出てすぐ(左手・西側)の処に植えられている「日本三景寄植の松」です。
※日本三景はどことどこの説明は余計なことでしょうが、
林鵞峰(1618-1680)が、
寛永20(1643)年の著書「日本国事跡考」の中で
“松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀”と記し、これが現在の「日本三景」の由来となったこともご存じでしょうか。
誰でもが横目でみている場所に1993(平成5)年に植えられていますが、
わたしは2007年まで知らなかったのです。
(裕編集の)日本三景寄植の松
※日本三景はどことどこの説明は余計なことでしょうが、
林鵞峰(1618-1680)が、
寛永20(1643)年の著書「日本国事跡考」の中で
“松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀”と記し、これが現在の「日本三景」の由来となったこともご存じでしょうか。
誰でもが横目でみている場所に1993(平成5)年に植えられていますが、
わたしは2007年まで知らなかったのです。
(裕編集の)日本三景寄植の松
12月12日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がりで)晴れてきました。
18.5℃、65%
松島も天橋立の砂州に続く松並木も。
宮島を訪れましたのは日本三景の松が植えられる前でした 松のそろい踏みと言ったところでしょうか。
以前当地海岸線の松が松食い虫に遣られてしまい後に移植しましたが育たず
海岸線の松は少なくなりました。
岩肌に食い込むように潮風にも耐えた
自然美を見せてくれていましたが・・・残念です。
広島も松くい虫で松が枯れた状態を高速(山陽道)を走るとよく目にしたものです。
お話で、尾道でみた“岩割の松”を思い出しました。
http://yutaka901.fc2web.com/page5ix64d.html
ブラタモリ、わたしもみました。
真珠の養殖の前から自然の真珠が有名だったとか。
リアス式海岸が、真珠養殖、養殖魚にもってこいであることなど、
藩政時代、山の産物へ課税されなかったことなどそうだったのかと。
「(裕編集の)日本三景寄植の松」↑も拝見させて頂きました。
呉市江田島は両親が新婚時代に過ごした思い出の地、また私の出生地に
いつも詳しい広島のご紹介を楽しみに拝見させて頂いております。
右に歩き始めますからねぇ。たとえ左に歩いた
としても、この松をジックリ眺めてみる人が
どのくらい居るのだろうか。
宮島って結構路地や階段が多いのですが、多くの
観光客は海沿いに歩いて社殿に詣でる、水族館
へ行く、大聖院や弥山へ行く、そして帰りに
商店街へよる。こんなところでしょうか。
尤も、住んでる人からしてみたら興味本位で
裏筋通られるのはストレスかも知れません。
わたしは、この頁を編集するまで、
日本三景が、松島、天橋立、宮島の選ばれたことは知らなかったのですから。
お話から
・天橋立へは、学生時代ですからもうとうに半世紀以上も前、京都から山陰本線のSLに乗っていたのが初めてで、
した。
2009年広島からバスツアーで妻といったのが二度目でした。
http://masuda901.web.fc2.com/page09lc.html
・松島は、仙台支店勤務時代、仙石線で何度か行きました。
福島市で新婚時代を過ごした妻とも行った事を懐かしく思い出しました。
思い出しても話し相手はいませんが。
云われる行動は、
初詣などで参拝していたころのわが家もでしたが、参拝客のほとんどの方の行動でしょうね。
しかし、「安芸の宮島」編を腰を落として編集しだした2007年ころからくまなく歩きまわった(つもりだった)のですが、
そこで出会ったのは日本人観光客ではなく外国人観光客でした。
米人、仏人、独人たちの興味の持ち方に刺激を受けたものでした。
http://masuda901.web.fc2.com/page7e0.html
観光本には決して負けない頁になったと思ったものでしたが、
まだまだ知らないこっとだらけだろうな~~といまは反省していますが。