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東広島市安芸津町大田に建立されている「永井異太郎顕彰碑」です。
*東広島市の重要文化財「大田首なし地蔵」の少し手前(右手)に建立されています。
猶存社:大正期に国家改造を意図して結成された最初の実践団体。
1919年8月1日満川亀太郎・大川周明らが「革命日本の建設・改造運動の連絡」のために創立。1923年2月解散。

猶存 松阪昭書

碑文の大要は、
永井異太郎翁さんは、1918(大正7)年から、広島県賀茂郡、安芸郡、豊田郡さらに愛媛県越智郡など瀬戸内沿海部の町村に(在来種の煙草種ではなく)米国種の煙草耕作を19年間にわたり指導や組合員間の調停などをしたことに感謝してこの碑を各煙草耕作組合で建立しました。
*解散した猶存社の人物が、碑の題を揮毫した経緯は(わたしには)わかりません。
(裕編集の)永井異太郎顕彰碑
東広島市安芸津町大田に建立されている「永井異太郎顕彰碑」です。
*東広島市の重要文化財「大田首なし地蔵」の少し手前(右手)に建立されています。
猶存社:大正期に国家改造を意図して結成された最初の実践団体。
1919年8月1日満川亀太郎・大川周明らが「革命日本の建設・改造運動の連絡」のために創立。1923年2月解散。

猶存 松阪昭書

碑文の大要は、
永井異太郎翁さんは、1918(大正7)年から、広島県賀茂郡、安芸郡、豊田郡さらに愛媛県越智郡など瀬戸内沿海部の町村に(在来種の煙草種ではなく)米国種の煙草耕作を19年間にわたり指導や組合員間の調停などをしたことに感謝してこの碑を各煙草耕作組合で建立しました。
*解散した猶存社の人物が、碑の題を揮毫した経緯は(わたしには)わかりません。
(裕編集の)永井異太郎顕彰碑
5月28日(安芸区のわが家付近)天候:(本降り)雨。
22.2℃、61%
20世紀初頭の歴史が出てきましたね。
猶存社。大川周明の名が出てきまし
たが、時代のなかでは怪しい存在感
があったようですねぇ。北一輝は佐
渡の人。この時代の歴史を語るとき
に必ず出てきますね。
現代から見ると怪しい人物となるのでしょうね。
大正期まではまだまだ明治維新を成し遂げたと思う人物の影響を得た人物も多かった?
いまは、おかしな時代になったという人物が?