座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

花祭りのこと(2)

2009-03-27 | おしゃべり
当山の総代長は 大正3年のお生まれです。 

若い!(笑)

総代長の子どもの頃の記憶に、
子ども会とは何だ? 
子どもを買いに来るらしい、
大変だゾ、
と大騒ぎをした、
というのがあるそうです。

そうとう、記憶の底の方かと思われます(笑)。

「子ども会」というものが それまでの吉祥寺には なかったんですね。





調べてみますと、先々代は 明治25年のお生まれ。

吉祥寺に入ったのが 27歳の時、これが大正7年11月。

(大学を卒業したのが 大正7年の3月でした。)

吉祥寺の住職を拝命したのが 大正11年11月。

大正3年生まれの総代長が 小学校に入学なさった頃、
ちょうど 子ども会が誕生したのかもしれませんね!






ところで、先々代は 以後 
関西のお寺様の方へ行ってしまい、
吉祥寺に長く留まってはもらえませんでした。

関西へのご縁の最初が 昭和11年11月で
恩師が関西の寺院の門主となられてから執事を務めたのが皮切りです。

その直後の 昭和11年12月、
皇太后陛下から 
わが県の社会福祉事業家として 表彰されています。

県内を巡教して 県民の生活と精神の貧困を救った功によるものだそうです。



おそらくは 仏教を、とか 我が宗派を、とかではなく、
広く 荒廃していた日本の文化・精神を 再構築した、
という功績ではなかったろうかと思います。

『中道』に見られるような 講演をなさったことが
中心だったのではないでしょうか。

加えて 仏教青年会・婦人会・天狗会、そして 子ども会などを作り
(総代長によりますと‘天光会’というのもあったそうです)
(総代長の天狗会でのお名前は「南山」とおっしゃるそうです)、
檀徒・信徒の皆さんに 精神の修養の場を設けて
心のゆとりや 魂の気高さなどが育つように努力を続けたこと、
それらが認められたということではないでしょうか。

(そうそう、皆さんに一番馴染み深いのは 「修養会」でしたね。)

その時、まだ31歳の若さです!

(亡くなったのは昭和51年の11月、満84歳でした。)



先々代からの遺産、子ども会。

子ども会では毎年4月8日に 花祭りを開催していました。

これからも 吉祥寺の花祭りは 
4月8日、お釈迦さまのバースデイに行われると思います。






 
鐘楼の基礎も




南門も 

そろそろ工事終了になりそうです。