いろいろな方法があります。お子様の現在の年齢、性別、性格によって手法も変わってきますので・・・・・<o:p></o:p>
例えば、お子様が3歳~5歳の就学前(幼稚園年少~年長)とします。同じ3歳でも個人差がかなりあるので一概には言えませんが、一般論として、この時期は好奇心に富んでいて、「何でも知りたい。」「何でもやってみたい。」というお子様が多いです。この時期に、周囲の大人のほうが仕事が忙しいとかの理由で話し相手をしてあげなかったり、質問に答えて上げないとせっかくの知的好奇心の芽をつむことになります。逆に過保護の御両親はお子様がせっかく「じぶんひとりでやってみたい。」とお子様が言い出したのに「危ないからやらなくていい」、「お母さんがやってあげるからあなたは見ていなさい。」といってほんの小さなリスクしかないこともすべて大人がやってしまい、一切やらせないと、せっかくの自主性や創意工夫の芽をつむことになります。無論、どちらの御両親も悪気があってそうしているわけではなく、「なんとなくそうしてしまった。」という方が多いです。<o:p></o:p>
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実はこれが問題なのです。日々の暮らしの中でのことなので、なんとなくそう対応してしまっているのですが、本来子育ては長期人材育成計画なのです。子供が生まれる前から35年後は我が娘(息子)にはこれこれこういう人になって、立派な社会人として世のため人のために活躍して欲しい。だから、30年後にはこうなった欲しいし、こうあるべきだ。すると25年後はこうなっているはず。それでは20年後は・・・・、大学は・・・・その年齢のときの人柄は・・・私生活は・・・15年後は・・・高校は・・・中学は・・・・10年後は・・・小学校は・・・・5年後は・・・・3年後(中期計画)は・・:・来年は(短期計画)は・・・。<o:p></o:p>
もうおわかりですよね。まるで経営計画のようですよ。最愛の我が子の子育てです。誰もいい加減には考えてはいないはずですが、つい日々の暮らしの中で流されがちです。だからこそ、長期計画(ヴィジョン)であり、中期計画があり、短期計画での毎年の見直しなのです。<o:p></o:p>
「子育てなんて計画を立てても、どうせ計画通りに実行できないし、そうならないから無計画。」そうではないでしょう?あるべき姿を明確に決め、高き旗を掲げ、その目標(理想)に向かって少しでも近づこうと日々努力する。その中で人は成長するのです。<o:p></o:p>
お子様が20歳になったとき、過去20年間の子育てを振り返ってみれば、当然20年前に立案した長期計画とは細かい点でさまざま異なっていると思います。子供自身の自由意志もありますから当然です。しかし、人としてどういう人に成長して欲しいという大筋を外していなければ長期子育計画は途中経過としてOKではないでしょうか?<o:p></o:p>
つまり、まず親自身が我が子の長期子育て計画を立て、日々その目標に近づけるよう努力し、毎年短期計画を修正し子育てを実行していくのです。なんとなく流され「気づいてみたら子供はもう中学生だった。」というのはあるべき姿ではないと思います。<o:p></o:p>
そうやって周到に準備し、計画立てて実行しても、子供は親の思うようにはなかなか育ちません。しかし、あるべき姿を持たずになんとなく子育てをするよりもお子様ははるかに立派に育ちます。<o:p> </o:p>
そして、付言すれば、「子供というのは親の言うようには育ちません。親のするように育つのです。」つまり、親の考え方、親の行動を日々間近に見て育つので、本人も気づかないあいだに良くも悪くも親と同じようなことをしています。<o:p></o:p>
そうすると、親の責任は重大で、将来我が子になって欲しい社会人に現在ただ今自分がなっていなければいけません。偉そうなことを言っても、私自身単なる塾屋であり、そんなに立派な人物ではありませんが、「いくつになっても人生の様々な分野で理想の旗を高く掲げ、それに向かって地道に日々努力している。」というお手本にはなりたいと思っています。先達(親)とはまさに厳しいものです。<o:p></o:p>