絶対合格

熱血塾教師35年+教育コメンテーターのオールマイティー井澤が 「受験」、「子育て」の成功法を公開!

「忍耐強く待つと言う名の放任=教育放棄」(No.1263)

2023年02月21日 12時14分29秒 | 受験・学校

「忍耐強く待つ」と言えば、

「私達は子供達にああしろ、こうしろと大人の都合で押しつけたり、大人が良いと思う子供像にはめこもうとしません。どうあるべきか自ら気づき、そうなりたいと思い、自ら動き出すまで忍耐強く待ちます。」という考え方があります。

 こう言われると、「凄いな!いいね!自主性を重んじ、子供達の人格を一人の人間として尊重しているのが素晴らしいね!」と思います。

 ここで言っている「子供達」が高校生以上(または、開成・桜蔭などの中高一貫進学校の中学生以上)なら私も諸手を挙げて賛成です。私も生徒を子供扱いしない高校出身ですから、よ~くわかります。

 しかし、この考え方の「子供達」がまだ常識や道徳などが身についていない私立小学校の小1の生徒だとしたら・・・・どうでしょうか?家庭ではある程度しつけをされていて、家庭ではそれを守っているお子さんも、学校で集団行動のとき、まったく別の行動をとることがあります。そのとき、それが良いことであればイイです。しかし、他人に迷惑をかけたり、最寄り駅で危険なことをしたり、または他人を貶めるようなことをしていたら、どうでしょうか。

 やはり、叱らずに、本人がいけないことをしていると自覚し、気づき、自らそういうことをストップするまで忍耐強く待つのでしょうか?

 理想的なことをおっしゃるのは簡単です。しかし、現実に教育の場で子供達の安全を守り、常識ある人間として育てるためには忍耐強く待っているだけではなく、「指導力の高い教師による指導」が不可欠だと思います。忍耐強く待っている間に、最愛の我が子が通学途中の駅のホームで大騒ぎをしている同じ私立小学校の友人に押され、ホーム下に転落したらどうするのでしょうか。

 生徒が小1でも「子供達を型にはめて押しつける教育」には私も反対です。しかし、だからといって、「忍耐強く待つと言う名の放任=教育放棄」にはもっと反対です。安全や公徳心はもちろん、「人としての心のありよう」について教えず、学力と自主性だけ伸ばすのは×だと思います。「自主性尊重」という名の下に「自己中心的な人間」を造り出す虞があるからです。


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