お盆で田舎がひとときの賑わい、野営のボーイスカウトが帰った
この子たちが帰ると夏の終わりを感じる。
<ボーイの野営の片付け・洗いもの>
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<稲穂が実り辺りはいよいよ秋の装い>
夏休みで朝の散歩で出会う顔ぶれが違う、いつものおじいさんお婆さんではない
服装も都会風、オシャレな帽子に服装も、里帰りかペンションの泊まりかな・・・。
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遊歩道にある柿の木、カラスかタヌキが種を運んだのか・・・
この木に秋の七草、葛が登っています。
ここを通るたびこの子が液肥を与える・・・肥料が豊富なのかすこぶる元気に成長
野良仕事のおじいさんが休憩をされる木陰でもある。
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柿の木と言えばずいぶん前にこのブログでこんなことを書いていました。
「かたらい」
京都の街なかを散歩の途中、交番の前の植え込みに柿の種を植え、毎日そこを通るたびにペットボトル一杯の水をかけているおじいさんがいる。
その柿の木が大きくなり、秋には実をつけるようになった。
これは俺の木だと満足そうに眺め、これが散歩の途中の楽しみの一つ。
交番の前なので柿の実を取るものはいない。
この木の下は地下鉄工事で土が少なく育ちにくい場所。
北のほうの町屋、玄関の半開きの戸を猫が片手で開けるしぐさをした彫刻がある、どんな人が彫られたものか知らぬが、なんとも微笑ましい家がある。
あにき、まぁ今度、京都に行ったら見てみ・・・弟が仕事で帰ってきた、くだらぬ夕べの話題。
どんな小さなことでも楽しみの一つとなる、蒔かぬ種は生えん、喜びをつくり出すことは大切だ。
今日は曹洞宗のお寺さんにお参りすることがあった、「無一物」と書かれた掛け軸がかけられていた。
「本来無一物」禅の訓え、心を曇らせているのは自分の妄想なのだ。
この子たちが帰ると夏の終わりを感じる。
<ボーイの野営の片付け・洗いもの>
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<稲穂が実り辺りはいよいよ秋の装い>
夏休みで朝の散歩で出会う顔ぶれが違う、いつものおじいさんお婆さんではない
服装も都会風、オシャレな帽子に服装も、里帰りかペンションの泊まりかな・・・。
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遊歩道にある柿の木、カラスかタヌキが種を運んだのか・・・
この木に秋の七草、葛が登っています。
ここを通るたびこの子が液肥を与える・・・肥料が豊富なのかすこぶる元気に成長
野良仕事のおじいさんが休憩をされる木陰でもある。
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柿の木と言えばずいぶん前にこのブログでこんなことを書いていました。
「かたらい」
京都の街なかを散歩の途中、交番の前の植え込みに柿の種を植え、毎日そこを通るたびにペットボトル一杯の水をかけているおじいさんがいる。
その柿の木が大きくなり、秋には実をつけるようになった。
これは俺の木だと満足そうに眺め、これが散歩の途中の楽しみの一つ。
交番の前なので柿の実を取るものはいない。
この木の下は地下鉄工事で土が少なく育ちにくい場所。
北のほうの町屋、玄関の半開きの戸を猫が片手で開けるしぐさをした彫刻がある、どんな人が彫られたものか知らぬが、なんとも微笑ましい家がある。
あにき、まぁ今度、京都に行ったら見てみ・・・弟が仕事で帰ってきた、くだらぬ夕べの話題。
どんな小さなことでも楽しみの一つとなる、蒔かぬ種は生えん、喜びをつくり出すことは大切だ。
今日は曹洞宗のお寺さんにお参りすることがあった、「無一物」と書かれた掛け軸がかけられていた。
「本来無一物」禅の訓え、心を曇らせているのは自分の妄想なのだ。