活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

絵を書く少年、銅版製作をする人

2006-12-22 16:37:43 | Weblog
 「おっぱい岩」、どっきとするようなネーミングですが、鬼池からしばらく走ると、国道右手の海岸に、巨大な茶色の乳房そっくりの岩が見えてきます。干満によって見えたり、見えなかったりですから、見えれば、ラッキーとしましょう。
 
 ここは苓北町。戦国時代、徳川時代を通じて天草の中心として栄えました。この町と活版印刷とのつながりは、1592年から1601年までここにあったというセミナリヨによります。
 セミナリヨといっても、ここにあったのは画学舎、いまでいえば、美術工芸学校
だったと思われます。音楽課程もあったようですので、芸術学校でしょうか。

 苓北に本格的にキリスト教をもたらしたのはルイス・アルメイダで、彼は「この島には、絵を書く少年たちや銅版製作に携わる人や司祭や修道士がいた」と日本史の中で紹介しています。

 残念ながらこの町でも画学舎の所在を確定することはできません。戦国時代の武将、志岐麟泉が城主だった志岐城のふもとに、「姫屋敷」と呼ばれていたところがあります。私は地元で中学校長を長くつとめられた郷土史の鶴田倉造さんが、このあたりではないだろうかといっておられましたので、志岐城跡を訪ねてみました。

 ここで製作された銅版がおとなりの河浦の印刷所に渡されて印刷されたり、あるいはここで教会の祭壇画やマリア像、信者用の護符が描かれたことは想像にかたくありません。
コメント
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