奈良の総本山長谷寺に行くとき、僕りんはふつう、東京から京都まで新幹線で行き、京都から近鉄の特急で八木、八木から鈍行で長谷寺駅に行きます。そこからはお土産物屋をひやかしながら参道をてくてく歩いていきます。
さて、その近鉄が、、、やってくれたのう!車内でパン食い競争させるとは。パチパチ!
近鉄で吊革をぶら下げる鉄棒に、試供品やクーポン券をぶら下げることになったらしい。しかし、なんかそういうの取るの人に見られたら恥ずかしいよな、、、と思うのは関東人の発想なんだろうか、、、?
それにしても、あるホームページを見て本当に胃が痛くなった。マジです。志の輔が「今度の事件で何が辛いって、日本人が実は全然考え方が違うグループの集まりだと分かってしまったことです、、、」と苦悩の表情で語っていたけど、僕りんも本当にビックリしました。ホントに180度違うんだよなあ。ああいう人達を説得するには一体どうしたらいいのだろう?自分が間違っているかも知れないと何度も考えるのだが、やっぱりおかしい。論点がずれてる。みんな冷静になっていない。なんだかマルチ商法をすすめる大して親しくもない知人の説得を聞いているようで、こちらには何も響いてこないし、全く納得できない。正直こわいです。
ルールとマナーはどちらが大事なんだ?マナーがあればルールはいらない。しかし、それは机上の空論でルールが無ければ混乱するだけだ。なんでルールを破る人達をみんな擁護するんだろう。
それが人情さ、というのならいちいち理論武装なんかしないで丸腰で意見して欲しい。
かつて不良と呼ばれた学生達は、喧嘩の仲裁を決して先生たちに頼まなかった。学校や先生達に散々逆らってやりたい放題やって、いざとなったら「先生助けて」なんて虫が良すぎる。しかし、先生は見て見ぬふりはしないだろう。ちゃんと大事に至らないよう奔走するはずだ。ふだん保護者懇談会なんかに来たこともない不良グループの親が金切り声で叫ぶ。「先生!何でもっと早く気づかなかったのよ!」しかし危うく警察沙汰になるところがすんでの所で大規模な喧嘩にはならずに済んだ。周りで傍観していた他の学生は、いろいろ言うだろう「なんだAのヤツ、先生に泣きつくなんて不良の恥だ」「そうか?やっぱ不良ってかっこいいよ。俺には無理だもの」「Aってさ素敵な詩を詠むらしいよ」「そもそもAが不良になったのは先生が悪いんだからケツ拭くのは当然じゃん?」「っていうか俺、先生昔から嫌い」「あっ俺も。大体この学校変だよ、校則がおかしいよ」
どんどん論点がずれていく、、、
もう、お腹いっぱいです。まんじゅうこわい。
なんだか全然分からない文章で最後まで読んでくれた方ごめんなさい。私自身友達や知り合いと今回の事件でいろいろと話し合ってみたいです。ぜひビール(発泡酒でも可)とカラムーチョを持って遊びに来て下さいね。
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