PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



青少年補導、千葉県下一斉の広域列車パトロールでした。パチパチ!
ご存知のように、ゲームセンターに行くと、青少年より、お年寄りたちが目立ちます。本人たちは「ボケ防止」、というのですが、本当でしょうか?あの大音量や大光量の中で一日過ごしたら、かえって、いろんな感覚が鈍くなっていくような気が、、、、
このまま、フレイルと呼ばれる状態にすすんでいくのなら、この時期、朝から渋谷にでも行って、街の掃除をすれば、健康にもいいし、みんなに喜ばれると思うのですが。

幼児教育の現場におられる方が、昨今のハロウィン騒ぎについて
「子どもの頃、外遊びや群れ遊びをしていないからじゃないの?」
と半分冗談で、半分真面目におっしゃってました。

ものをひっくり返すとか、ペットボトルで水を流すとか、多分、お砂遊びをしていた子たちは、砂場で散々やりつくしたことでしょう。仮装にしても、基本はおままごととか、仮面ライダーごっこ、ウルトラマンごっこなどのごっこ遊びな訳で、せいぜい小学生くらいまでの子が対象だったんじゃないでしょうか。幼児期にごっこ遊びや、身体を使った外遊び、群れ遊びをしなかった分、成人してから一生けんめいに外で群れて身体を動かしている、という意見に、ちょっと笑えないな、当たらずも遠からずだなと思いました。


おまけ~
もちろん、お寺でもお菓子を配りました(^^)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




成田山新勝寺、最終回にお付き合いください。パチパチ!


現本堂である大本堂(昭和43年〈1968〉~)の裏手には、八大童子や三十六童子などの不動明王眷属、役行者などが祀られています。




こちらは釈迦堂。現在、厄除け祈願、お祓い所として使われていますが、実は移築された、前の本堂(安政5年〈1854〉~昭和43年)なのです。




瓦の紋は菊。明治になるまでは、成田山の寺紋は菊だったのだそうです。




光明堂。前の前の本堂(元禄14年〈1701〉~安政5年)を移築したもの。この御堂を曳家するときに使われたものは、当時、自然界で最も丈夫と言われた、、、、、なんと、女性の髪の毛を束ねた綱で、ひっぱったのだそうです。




変わった額も奉納されていました。因みに、流山の近所だと、野田の清水公園、金乗院には算額が奉納されています。




光明堂裏手の奥ノ院。奥行11mの洞窟の奥に、大日如来さまが祀られています。壁に使われているのは、板碑(石で作られた卒塔婆)です。




今年、落慶された醫王殿と、山上にそびえたつ平和大塔(へいわのだいとう)。この大きさのバランスも素晴らしい。





平和大塔の下には英国風の庭園が。




駅へ向かう参道には名物の鰻屋さんが軒を連ねます。串打ち三年裂き八年焼き一生と言いますが、熟練の技についつい見入ってしまいます。
※私は聖職者なのでウナギは食べません。



参道の中ほどにある、薬師堂。1655年に本堂として建立され、江戸の終わりにこの地に移築されました。つまり、前の前の前の本堂(明暦元年~元禄14年)。



成田山の何が凄いって、歴代本堂がきちんと残されていること、そして、作り直すたびに大きくなっていること。町中にあるほとんどの寺院は、境内スペースの関係で、旧本堂は解体処分するしかなく、また、大抵、作り直すたびに小さくなります、、、、。

円東寺はこれ以上、小さくなりようが無いのですが、さて!?



以上、宗吾霊堂と成田山のお参り記録でした~。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いよいよ成田山新勝寺へお詣りです。パチパチ!
境内から総門を振り返る。




53段の階段を昇って、総欅造りの仁王門へ。53と聞いてピンときた方、その通り!華厳経の入法界品で善財童子が53の善知識を尋ねて回る物語から取っているそうです(※東海道五十三次も、華厳経に由来するの説有)




仁王門の脇。この畳2枚分ほどの広さの板に注目。
気付きますでしょうか、、、、ナント、一枚板なんです!いかに巨大な欅(ケヤキ)を使ったかが分かります。




本堂前に到着。お正月や縁日の御護摩では、一度に1000人の参拝客が本堂内に座ります。ちょ、1000人って、、、、(^^;)




本堂上手の三重塔は、300年前に建てられた国指定重要文化財。こんな豪華絢爛な三重塔、ちょっとありません。




これ、単なる絵じゃないんです。きちんと彫り込まれています。




一重目は龍


二重目は麒麟


三重目は獏

それぞれにちゃんと阿形吽形がいて、こんなところも凝ってるなー。

~まだ続きます。もう少しお付き合いくださいまし~


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




宗吾霊堂に続きまして、成田山新勝寺へ。パチパチ!
まずは、総門入って左の光輪閣を御案内いただきました。あまりにびっくりして顎が外れました、、、、。


ばばーん!ここが光輪閣ッス。




どうぞ、と通されましたが、キンチョーしてなかなか座れません。
窓の外に見えるのは、明治天皇行在所(天皇陛下が明治14年、15年と二度の成田行幸の折に泊まられた建物)。




お庭もステキ。




そりゃあ、オリエンタルランドも寄附したくなります。




エレベーターの扉。いたるところに、成田山の寺紋である「葉牡丹」が。




不動明王のステンドグラス。かっちょいい!




大山忠作画伯による、日月春秋襖絵。驚いたことに、襖に引手がありません。




4階の「光輪の間」ナント400畳。外れた顎が床に落ちました。




正面のカンマン字(お不動様の種字)もかっちょいい!キリク(阿弥陀如来)やタラク(虚空蔵菩薩)もいいけど、やはり種字はカンマンに限る。カーンじゃなくてね(中二病ど真ん中)。




いい眺め。眼下に総門が見えます。





おまけ~
御祈願の申込用紙はエアシューターで本堂まで運ばれ、即座に護摩札に名前がしたためられます。

ちなみに円東寺の場合は、私が口頭で頼まれ、私が書いて、私が拝み、私がお渡しします、、、、(^^;)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




宗派の調査研修で、成田市の祈願寺院をお参りしました。パチパチ!
初日は、『佐倉義民伝』で、知られる宗吾霊堂へ。
宗吾霊堂は、正しくは東勝寺といい、真言宗豊山派の寺院です。


参道と仁王門。



参道脇にある、佐倉宗吾(本名・木内惣五郎)と子どもたちの墓。この場所で宗吾は処刑されたと言われます。



大本堂。お正月には護摩祈祷を受ける方々で境内が埋め尽くされます。



「佐倉」で「桜」とは、洒落が効いてます(^^)



奥に見えるのは慈眼閣。



本坊の大広間。廊下にも畳が敷かれ、合わせると380畳だそうです、、、、




20年近く前、初めて御一代記館に入ったときは、うちの娘が3歳の頃でした。宗吾の末娘トチと被り、自然と涙が出たのですが、、、、(^^;)


おまけ~
宗吾は、将軍に直訴する前に、久世大和守にも訴えを起こしているんですね。久世大和守って、もしや、、、と思い、調べたら、やはり、関宿の久世広之でした。青虫を食べて料理番を助けた話とか、好きなんですよねー。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨夜のリチャード・ターナーのカードマジックが凄すぎて、熱が出そうです。パチパチ!
スーパースローで見せてくれたセカンドディールに大コーフン。
それにしても、毎日10時間から16時間の練習を、ン十年してるって、、、、むーん。

以前、字の上手な先輩住職に「いやー、私も、うまくなりたいですよー」と言った際、
「お前、1日どれくらい練習してるの?やりもしないで、人のことをうらやましがるなよ」とサクッとたしなめられました。
何かを成し遂げたかったら、積極的に時間を作らないとなー。


“時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情を言う”  ラ・ブリュイエール



、、、、、とはいえ、そもそも、自分は何を成し遂げたいのだ(^^;)?




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨夕は、流山本町に「白みりんと切り絵行灯の夕べ」を鑑賞に出掛けました。パチパチ!
流山キッコーマン特製の「みりん蜜白玉団子」をいただきました。



流山駅脇の切り絵フォトスポット



わーい!“ながれー”と“りゅうのしん”だー!遠くに“ながれやマン”も。

※ホントはチーバくんも来てほしかったのだそうですが、大人の事情で、、、、だそうです。秋はイベントが多いですからねー。


流山駅前通り



「越中八尾おわら風の盆」を踊る、流山市内の愛好者の方々。遠目山越え笠の内とはよく言ったもので、、、、(^^;)



閻魔堂横丁



横丁に設置された薄桜鬼のパネル






切り絵の作者、飯田信義さんと、たまたま3日前に一緒で「写真撮るなら前日がいいよ。試験点灯すっから」と聞いてはいたのですが、前夜は雨だったため諦めました。そして、当日も、まさかの突然の雨(^^;)

私は円東寺お寺ヨーガがあったので、早めに失礼しました。おかげで、まったく濡れず、なんだか申し訳ない限り。今年の変わりやすい天気には、主催者も参加者も泣かされますね、、、。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東葛飾地区の公立中学71校による、東葛駅伝大会でした。パチパチ!
私は、奇数大会だと中継所になる市野谷の割烹せきや前で応援させてもらいました。今年は偶数大会で松戸スタートなので、中継点はここから500m先の総合運動公園になります。

ラストスパートをかける各選手たち。



サングラスを外した大門軍団、、、ではなく、市野谷の宮田モータース社長他、審判団の方たち。自分の責任です、、、じゃなくて、お疲れ様です!



結果は、なんと、我孫子の白山中が3連覇!すげーっ。毎年、我孫子勢は強いなー。
1位:白山中(我孫子)
2位:我孫子中(我孫子)
3位:松戸一中(松戸)
4位:湖北中(我孫子)
5位:久寺家中(我孫子)
6位:西原中(柏)
7位:南流山中(流山)
8位:柏五中(柏)
9位:常盤平中(松戸)
10位:松葉中(柏)

流山市内の中学校は南流山中の7位が最高で、以下、東部中・13位、東深井中・15位、南部中・21位、常盤松中・28位、西初石中・42位、北部中・51位、おおたかの森中・53位、八木中・63位
でした。
噂によると、南流山中は、今年赴任してこられた先生の指導がかなりいいそうです。3連覇した白山中の練習内容なども気になりますねー。
ともあれ、事故無く棄権校なども出ず、無事に終了し何よりでした。選手も応援団もお疲れ様でした~。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




流山市青少年補導員の視察研修でした。パチパチ!
今年は、茨城の水府学院(第一種少年院。旧法だと中等少年院)。

一番近いコンビニまで3キロ。緑あふれる環境です。
よく誤解されるのですが、罪を償うところは少年院や鑑別所ではなく、少年刑務所。
少年院は、法務省矯正局によれば
「家庭裁判所の決定により保護処分として送致された少年を収容する施設」
です。

私の大雑把な認識だと、罪を犯し、審判が下るまで入るのが鑑別所。家庭裁判所から「ちょっと生活環境変えた方がいいよ」と判断された子が行くのが少年院。家庭裁判所から「あなたは犯した罪を償いなさい」と言われ、刑事裁判にかけられ実刑となった子(成人)が行くのが少年刑務所。

「馬を水場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない。少年たちにたくさんヒントを与えはするが、彼らが自分で気付かないといけないのです。」
毎日まいにち、入院者たちとガチンコで向き合っている、職員の方々の言葉は、いつ聞いても、胸の奥に刺さります。
今日はこんな話を伺いました。

「幸い、ここは、たくさんの自然の教科書に囲まれています。以前、農作業実習を行っていた時です。
職員がトラクターで土を耕していると、小石を拾い集めていた在院者が突然『先生!止まってください!』と叫びました。見ると、すぐ目の前の地面にひばりの巣があるではありませんか。そこには、トラクターの振動に震えながらも、小さな羽をいっぱいに広げ、ヒナたちを身を挺して守っている母鳥がいたそうです。すると、その少年が突然泣き出しました。

『先生!僕は親なんかいらないと思ってた。親は僕に何もしてくれないと思ってた。だけど、違いました。僕が朝まで家に帰らなかったときに、一晩中寝ないで探し回ってくれたり、万引きした店に行って、いつもぺこぺこ頭を下げてくれていたんです。そのことを今、思い出しました!』

そういうと彼は、再び大声で泣きました。」


今まで周りの大人から「バカだ、グズだ、ダメだ」と言われ続けた少年たちが、ようやく自分たちと向き合ってくれる大人に出会い、ガチガチの心がほぐれていきます。そして自然に囲まれ、土いじりをすることで、感情がとても豊かになるそうです。
うつ病の治療にも、土いじりが有効です。陶芸もいいそうですが、あれもやっぱり土いじり。土って何なんでしょうね。オロナインより凄い、心の万能薬だと思います。



おまけ~
皆さん、おみやげを買って帰りました。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近々の、流山市が取り上げられるテレビの放映予定です。パチパチ!

10/19(金)午後6時10分~ 午後6時52分  NHK総合 『首都圏ネットワーク』 
10/22(月)午後11時59分~ 午前0時54分 日本テレビ 『月曜から夜ふかし』
10/27(土)午前9時52分~ 午前10時30分 日本テレビ 『ぶらり途中下車の旅』

流鉄流山線や、流山本町だけでなく、利根運河のビリケンさんについても取り上げられるようで楽しみです。来月、流山市観光協会の理事さんたちで、本家ビリケンさんを表敬訪問しに大阪まで行く計画がありまして、、、とっても行きたいのですけど、先約が、、、ううっ(T_T)

おおたかの森も商業だけでなく、史跡巡りやお散歩でも取り上げてもらえるといいのですが、うーむ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ