青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

越中黒部&能登半島一周ツアー その8

2006年05月17日 10時37分18秒 | 日常
(写真:能登金剛・関の鼻から)

黄昏迫る旅の終わり。
能登半島は広かった。

続き。
能登空港を離れ、県道経由で再びR249へ復帰する。廃線になったのと鉄道の末端部分に沿って、これからはひたすら海沿いを行く。廃線になってまだ1年足らずという事で線路も駅舎もまだそのまま放置されており。
と言うか、撤去するにも金がかかるからそのままなんだろうね。

鵜川駅へ立ち寄ってみる。
既に打ち付けられた扉の前に赤々としたチューリップが、役目を終えた駅の前で静かに咲いている。廃線を何とかして食い止めたかったのだろう「未来へ続くのと鉄道」と言う看板も虚しい。駅の中にもホームと線路の間には誰かの手が入っているかのような花壇があり、ここでも真っ赤なチューリップが風にそよいでいる。その色の鮮烈さが、打ち捨てられた鉄道風景と対をなしているかのようで非常に印象的だ。こう言う光景は自分としては悪くない。寂寥感を感じる場所と言うのは好きだ。
帰宅してからネットで色々調べると、北日本新聞の記事が出て来た(結構読みごたえある記事です)。花壇の主は、列車の来なくなった駅でも、花壇の手入れを続けているのだろう。もう列車の来ることのない駅に、せめてもの慰めと錆びたレールの上にチョロQを走らせるへんしうちょ。彼なりの手向け、なのだろうか(笑)。
奥能登へ進むに連れて田舎具合は段々と濃くなるようで、車窓にはカラスの羽根のような黒々とした木造の漁村集落が続く。矢波、波並、藤波と、確かに波をかぶりそうな海沿いの集落を経て宇出津(うしつ)。ここからR249を一旦離れ、海岸線沿いに縄文真脇遺跡なぞに行ってみるのだが、何とも印象のない「遺跡風公園」で特に私には面白みが感じられず、もっぱらこちらのほうの見学に時間を割いたのは言うまでもない(笑)。

恋路海岸、珠洲市街を経て、とうとう能登半島も押し詰まってきた。
のと鉄道(旧能登線)の終着駅だった蛸島駅に寄ってみる。一応現存する駅舎がちょっとした展示資料館になっているらしく、ちらほらと観光客の姿も見受けられる。ホームに出ると、再び走り出す日を夢見て一両の気動車が展示されていて、既に散ったソメイヨシノの木の下で静かに海風に吹かれていた。
雑草の線路に降りると、「61」と書かれたコンクリートの標柱がまるで卒塔婆のようだ。「穴水から61km」を意味する標柱ととっさに理解。微妙な傾き加減がいかにもローカル線の終着駅らしいなあ、と思いつつ、旅路の果てと言う感じの風景を切り取って、蛸島駅を後にした。

空が明るく開けた田園と森の中の道を、能登半島の最果ての禄剛崎へ急ぐ。最果ての灯台のある集落はその名も「狼煙(のろし)」。古代よりのろしを上げるような場所であったんだろうね。漁船の上に止まるカラスに演歌的な風景を感じながら駐車場に車を止め、灯台のある高台へ。白亜の灯台に広がる青い日本海、180度の海である。相当に風の強い土地なのだろう、外海に面した崖地の松が逆立ったような枝振りを見せている。家を出てからおそらく7~800kmは走ったのだろうか。そう思うと、ここの最果て的雰囲気と広がる青い海は、青森の大間崎へ行ったくらいの到達感はあったな(笑)。

車は禄剛崎から奥能登の日本海側へ進み、曽々木海岸へ。一応石川県は松井の出身地だからか、結構無理やりくさいこんな岩があって一同失笑。車窓には、外浦の高い波に洗われた海岸線が続く。
ふと車の右側に、学校が見えて来た。その名前を見て、コアなプロ野球ファンなら足を止めずに入られない。

石川県立町野高校

見た目、何の変哲もない田舎の高校である。しかし、こんな高校から1997年のドラフトで横浜ベイスターズから1位指名を受けた選手が出ている。ただ、それを旅の目的としてピックアップする人間はあまりいないかと思われるが(笑)。
この谷口に限らず、古くは「史上初の契約金1億円・北陸のドクターK」水尾義孝(確かドラフト以降にヒジかなんかが悪いのが発覚して、「そっちのドクターかよ!」と言う突っ込みが入った)、現役では七尾工業時代に石川県予選で23奪三振ノーノーをかまし、ノンプロ三菱ふそうを経て入団した森大輔。現在でも森は満足に投げることも出来ず、「キャッチボールが出来た」程度の事がニュースになるほどの重度の故障に苦しみ、西洋医学を捨ててリハビリのために中国へ行ってしまったまま。つか、前身の大洋時代からほとほと悪いベイスターズと北陸との相性。へんしうちょ的にはオプションの「ベイ怨念の北陸ドラフト黒歴史ツアー」か(笑)。

町野高校は、グラウンドや校舎の敷地内に雑草が生い茂っていた。
いくらGWとは言え明らかに様子がおかしく、薄々感づいてはいたが、帰ってから調査したところどうやら廃校されて随分と日が経っているらしい。川べりの土手からグラウンドに侵入する我々。田舎の学校にしてはそれなりに立派なグラウンドであったのだろう。朽ち果てたダッグアウト。マウンドも、風に削られてほとんど山の形を残してはいなかったが、真っ白なホームベースだけが静まり返ったグラウンドの端でその存在をアピールしていた。

万感の思い(笑)でへんしゅうちょがマウンドに立った
谷口は今でもノンプロの新日石で野球を続けているそうだ。こんな場所から、プロ野球の選手がドラフト1位で巣立っていったのだなあ。谷口。おらが町のヒーローよ。
その時の町野高校の大騒ぎぶり、いかがなものだったのだろうか。

続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする