青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

テッパクこぼれ話

2012年06月17日 07時02分30秒 | 日常

(食堂車仕様@てっぱく)

聖子ちゃんがまた結婚し、オウムの最終手配犯が確保され、大飯の原発が竜ちゃん一匹の判断で再稼働になり(政治家の頭でなんで安全性が判断できるのか不思議)、さしこが菅原道真よろしく博多へ流罪を申しつかるなど激動の週末ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。一応、このブログで綴られることと言うのはフリーなはずなんですが、最近、このブログが断続的に鉄道ネタで綴られているのでネタがない時は必然的に休みになります(笑)。と言う訳で間を開けてしまったのですが、そういやてっぱくで撮って来た写真ってまだ整理してなかったよねって事で今日は穴埋め投稿(笑)。館内の日本食堂で食ったソフトクリームは食堂車仕様なので、このような専用スタンドに立てられて供されます。隣は高崎線と川越線が走るトレインビューのお店です。では館内で撮った写真などをつらつらと。


入口コンコースにて。まず敷きタイルのマス目に書かれた時刻表。こう言うところからして凝ってますなあ。大宮と言う場所柄か東北・上越新幹線のダイヤ。これは山形新幹線の第一次開業(1992年山形開業)の際の時刻表ですね。やまびこ・あおば・つばさ体制ってのもかなり懐かしい。板谷峠の4連スイッチバックのサヨナラと碓氷峠のサヨナラは、新幹線の罪つくりな部分だと勝手に思ってますけど。


その昔は青梅の鉄道公園に保存されていたらしいマイテ39。東海道本線の特急用一等展望客車。桃山様式の荘厳な内装を誇るそうだが、さすがの風格ですなあ。マイテと言えば戦後に黄緑色に塗られて黄緑色のゴハチに引っ張られてる姿のイメージなんですけどね。山口とか大井川だとまだ現役で走ってるんじゃなかったかな。


その牽引機たるゴハチ。ゴハチと言えば私には数々のお召しを引く特別なカマと言うイメージが強かったのですが、EF65Pが出る前の直流区間の旅客機として戦後の復興期を支えた名機であります。正面の銀のアイラインが優美な感じがしますわな。F級電機と言えど、戦前スタイルの主軸6軸に補助軸4軸だからデカイよね。


キハ41000型41307。気動車と言うよりガソリンカーと言ってた時代の骨董品ですが、廃止されるまで筑波鉄道で走ってました。関東鉄道グループ(関鉄・筑波鉄道・鹿島鉄道)の気動車王国っぷりは西の江若、東の関鉄と言われたものですが。事情はあれど今でも非電化ディーゼルで頑張ってますもんね常総線。この車両のポイントは連続する細いバス窓とアーチバー台車なんだが、見るのに夢中で撮るのを忘れたw確かカシテツには廃止になるまで気動車でアーチバー台車履いたのがいたね。


クハ181とき。イメージとしては新潟駅@昭和40年代らしい。隣のクモハ455は上野駅@昭和40年代のモチーフです。後ろに回ると「新ニイ」の文字が。初代新ニイ時代ですね。新ニイ→新ヌツ→新ニイとなって今に至る新潟車両管理センターの所属略号。「上沼垂」って書いて即座に「かみぬったり」と読めるのは鉄ヲタだけ!(ジャンプ風に)。


上野駅モチーフのクハ481ひばり。ここの芸の細かいのは、駅のホームの出発案内は「1405 特急あいづ 会津若松行」となっている事で、シチュエーションとしては「特急ひばりとして仙台から上野駅16番ホームに到着したクハ481-15の編成が、1405発特急あいづ会津若松行として折り返す準備中の光景」と言う実にピンポイントなものであって、その証拠に、編成の隣には「あいづ」サボを持った作業員が待機していると言う…そんな作り込みの細かさに感動してしまったのであるがw
 

お外には183系あさま&とき。183系あさまはともかく183系ときの時代ってそんな長くなかったんでないのかねえ。今年は東北・上越新幹線(大宮開業)30周年&長野新幹線開業15周年と言う事でのチョイス。「あさま」も「とき」も新幹線の愛称として引き継がれましたが、そう思うと「ひばり」が継がれなかったのが不思議。「あおば」になっちゃったからねえ。この日は暑かったのだが、車内はエアコンが効いてて涼しかったw車内でランチとかしてもいい施設みたいだけど、「峠の釜めし」はテッパクでは売ってないんだよねえ。食いたきゃ横川まで行けってか。


あまり人気のない貨物コーナー。コンテナに書かれた「戸口から戸口へ」って言葉に強烈に匂い立つ国鉄の薫りを感じる(笑)。レムだかレムフだかの専貨も置かれてましたが子供がチョロチョロするのでゆっくり見れず。最近はほぼ高速コンテナに統一された感のある貨物、昔ならタキとかタサで運んでた化学薬品とかもコンテナに積んで運ぶ時代ですからね。そんな意味では鹿島貨物のエチレンコキとか好きだったんですけど、震災でやられた後鹿島のコンビナートはどうなったんでしたかね。復活したのかな?

 

博物館北側のミニトレイン。受付の姉ちゃんも極めて暇そうにアクビしていたので乗ってみる事に。武蔵野線かSV踊り子か選ばされて結局SV踊り子。マスコンありブレーキハンドルありのなかなか本格的な作りで楽しかったですw

ちなみに子供が一番気に入った展示物は「寝台特急あさかぜ」仕様のナハネフ22(笑)。
寝台車ってのが珍しかったのか、家帰ってもはまなすや北斗星の写真を見ては「ねんね!ねんね!」と言っている。
果たして、物心つくまでに残っているのだろうか>24系
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする