青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

北陸の翼・日本海縦貫線を駆る。

2024年03月06日 17時00分00秒 | JR

(羽ばたく「THUNDERBIRD」@北陸本線・金沢駅)

今回の旅行は、金沢ではなく福井への旅。かがやき501号から乗り換えるのは、北陸本線の特急列車たち。手にした「北陸応援フリーきっぷ」は、フリーエリアでは特急列車の自由席が乗り放題ということもあるのか、乗り継ぐ「サンダーバード14号」の自由席列はかなり長い。頭上の電光掲示板に踊る「THUNDERBIRD」の文字。何だか、アルファベット表記にすると、日本の列車ではなく、欧州の国際特急にでも乗り込むような不思議な感覚がある。日本海縦貫線を走るのも、残りあと一ヶ月となった特急サンダーバード。北陸と関西・中京を結ぶ動脈としての特急群、首都圏に住んでいるとなかなか使う機会もなく、使ったことがあるのは新幹線乗り換えで名古屋~米原回りの「しらさぎ」だけなんですよね。正直、サンダーバードに乗車するのは最初で最後なのだろうと思うけど、日本を代表する特急列車の一つであることは間違いなく、それなりの惜別の思いはあり。

「サンダーバード」に使用されている683系。金沢を朝9時に出るこの「サンダーバード14号」は、基本9両に補助編成の3両を増結した堂々の12両編成。東海道筋から185系の「踊り子(15両編成)」が消えた今、在来線の特急列車の編成としては非常に長い部類に入る。それだけ、大阪・京都と北陸地区の往来は盛んだということが言える訳なのだが、北陸新幹線の敦賀開業で余剰となる(はずであろう)681系・683系はどこへ行くのだろうか。貴重な60Hz対応の交直流特急型電車で、製造費用もかなり掛かったのではないかと思われるので、勿体ないよなと。まあ、初期ロットは既に経年30年を超えたJR初期世代の車両なので、古い編成はそのまま廃車ということなのかもしれないけど・・・

冷たい雨の降る2月の北陸路。北陸路の2月で雪ではなく雨というのも何とも誠意がない。冬は冬らしくあるべきで、金沢駅のホームの空気感は既に3月の半ばのような感じだった。国鉄時代から長年、北陸本線を代表する特急列車であった「特急雷鳥」と、その系譜を継いだ「サンダーバード」。特急雷鳥時代は、大阪~新潟を結ぶ列車もあったんですよね・・・1988年当時の時刻表を繰ると、「雷鳥14号」が新潟8:16発→大阪15:05着、「雷鳥13号」が大阪11:50発→新潟18:44着。新潟からは14号と18号、大阪からは13号と25号が「新潟雷鳥」として大阪~新潟間を約7時間をかけて日本海縦貫線を駆け抜けていました。新潟~金沢には「特急北越」なんてのも走ってましたけど、一気通貫で関西圏から北陸最大の都市である新潟を結んでいた「特急雷鳥」は、それこそケイブンシャや小学館のコロタン文庫の「国鉄特急大百科」的鉄道文化で育ってきた団塊ジュニア世代には「日本海縦貫線を代表するレジェンドL特急」でもあったんですよね。L特急という言い方も懐かしいけれども。側面にデザインされた雷鳥をモチーフにしたロゴ、彼らが北陸路を羽ばたくのもあと僅か。

この日は平日。そして、金沢発9時・大阪着11時半の「いい時間」の列車ということで、大きなカートを引いた外国人や我々のような観光客もいましたが、どちらかと言えば車内の構成はビジネス客優勢。自分の隣に座ったのもスーツ姿のビジネス客で、机の上でノートPCを開いて何やら資料を読んでいた。金沢を出たサンダーバードは、インバータ制御のフィーンというモーター音も心地よく、2月なのに雪の全くない寒々とした金沢平野を快調に飛ばしていく。左手には北陸新幹線の高架橋が延々と続いているが、晴れていればこの辺りからは白山連峰の眺めが実に見事であるらしい。小松・加賀温泉・芦原温泉などの途中駅に停車しない速達タイプの列車なので、あっという間に牛ノ谷峠を抜けて福井平野に出る。自由席は立ち客こそ見えなかったものの、金沢出発の時点で9分程度、福井を出るころにはほぼ満席の盛況でしたね。

福井を出発して鯖江・武生を通過すると嶺北の平野が尽きて、車窓には「越前そば」の大きな看板を出したドライブイン風の建物がちらほらと見えて来る。ホームの傍らに旧北陸本線の補機連結に使われたと思しき給水塔の跡を見ながら今庄を大きなカーブで通過すると、タイフォン一発南今庄から轟轟と延長13,870mの北陸トンネルに飛び込んで、敦賀に到着。北陸本線は、木ノ本~敦賀の柳ヶ瀬・深坂越え、敦賀~今庄の杉津・山中越え、倶利伽羅~石動の倶利伽羅越え、市振~糸魚川の親不知越え、糸魚川~直江津の頸城越えと明治の時代から様々な難所を穿ち、昭和の時代の線形改良と新線建設による抜本的なルートの見直しで日本海縦貫線としての責を担ってきました。今後も、日本の物流の幹線としての役割は揺ぎないのでしょうが、人流に関しては、平成~令和の時代において行われた「国策としての新幹線開業」により、2024年3月にその役目は大きく変わることになります。

北陸新幹線は、今庄の手前の南条の辺りから現行の在来線より海側の山中に入り、19,760mの新北陸トンネルで一気に敦賀駅へ抜けてしまうそうだ。地山の脆さや、浅い土被りの場所で河川の下をくぐるなどの難工事で、開通には6年を要したということなのだが、それでも全長20kmのトンネルが約6年で貫通してしまうのは凄いことだ。北陸本線の名撮影地である王子保~南条のストレートの辺りで北陸本線を新幹線が大きな高架橋で越えて行くのだが、この辺りからなのかな?なんてぼんやり見てたんだけどね。

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