青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ジャンジャンと 鐘が鳴るなり 永平寺。

2024年03月28日 17時00分00秒 | えちぜん鉄道

(かつての乗り継ぎ駅のいま@永平寺口駅)

前回えちぜん鉄道を訪問した際には訪れなかった場所をゆるりと回って行くことにして、でもどこで何を見る?とか特に決めていなかったのでなんとなく永平寺口駅で下車してみる。九頭竜川が大野盆地から勝山市を流れて福井平野に出る寸前、扇のかなめのような場所にある永平寺口の駅。地鉄で言うと愛本みたいな位置にある(分かりにくい)。今でこそ、勝山に向かう勝山永平寺線の中間駅でありますが、かつてはここから永平寺へ向かう永平寺線が分岐しておりました。その時は、駅名も「東古市(ひがしふるいち)」でしたよね。永平寺線が永平寺まで走っていた頃、確か中学生くらいの頃だったと思うのだが、何故か家族で真冬の高山と永平寺と東尋坊を見るツアー?みたいなのに行った記憶がありまして、その時の観光バスの車窓に映ったのが雪に埋もれた永平寺線のか細いレールと寂れたホームだったのをうっすらと覚えているんだよな・・・

永平寺口駅の構内踏切から。黄色いロータリー除雪車が置かれているカーブの向こうに続いていたのが、かつての永平寺へ向かう線路。永平寺口駅のホームから奥に見える高架橋は、中部横断自動車道の一部である永平寺大野道路。北陸自動車道の福井北ICから越前大野市を通り、九頭竜湖から油阪峠を抜けて美濃白鳥に至る高規格道路で、最終的には安房峠道路を経由して松本までの160kmについてバイパスや従来道の線形改良を実施。国道158号と国道416号の都市間連絡機能をほぼ代替します。このえち鉄の勝山本線と越美北線という福井の鉄道2路線をますますの窮地に追い込むものであることは、残念ながら確かなようです。「道路にばかり予算がついて、鉄道には予算が回らない」というのは、もう日本の構造的な宿痾みたいなものですけど、国の予算を引っ張って地元の建設屋さんに落とすという「利益誘導」を図るためには、「道路をつくる」ことが一番手っ取り早く、道路族とか建設族みたいな地方議員が半世紀以上一生懸命働いた結果ということも出来る。地方鉄道みたいな民業に一生懸命に利益誘導してもたかが知れているということも言えるし、戦後の鉄道事業者の「政治」に対するロビー活動が弱かったということも言える。戦前はあったんですよ。政治による鉄道の誘致合戦とかもね。

永平寺口の駅に隣接して建つ京都電燈古市変電所跡。えち鉄の前身である「京福電気鉄道」が京都と福井にそれぞれ鉄道会社を持っていたのは、越前電気鉄道として創業した当時のオーナー企業であったのが京都電燈だったことによるもので、京都電燈が京都で現在の叡山電鉄と京福嵐山本線、福井で開業したのが越前電気鉄道ということになります。戦時中に京都電燈が国策によって関西電力・北陸電力・日本発送電に事業譲渡し消滅する際、京都電燈の鉄道部門が「京福電気鉄道」として分離独立。同じ福井県内で傍系であった三国芦原電鉄や、永平寺の檀家さんたちの出資で成立した永平寺鉄道(金津・現:芦原温泉駅~東古市~永平寺間)を吸収して規模を広げて行きます。残念ながら金津~丸岡~東古市間は合理化のために早々に廃止(1969年)されているのだけど、当時の京福ってのは大野市までの越前本線、三国港までの三国芦原線、金津~永平寺までの永平寺線ほか支線を含めて100km近くの営業距離を有していたんですよね・・・その昔はそれだけ地域における鉄道のニーズが高かったことの証跡でしょうか。

東古市~永平寺間の永平寺線が廃止されるまで使われていた1番ホームには、旧駅舎が「地域交流館」として残されていました。車寄せの洋風な感じと白い板張りの建物、優雅な半円の飾り窓や細かな装飾に趣があります。「男はつらいよ」のロケ地看板は、吉永小百合をマドンナに迎えた「男はつらいよ・柴又慕情(第9作)」で、寅さんが旅先で意気投合したマドンナ歌子と別れるシーンに東古市の駅が登場したことによるらしい。ちなみにこの「柴又慕情編」は、冒頭に尾小屋鉄道(金平駅)の実写映像が使われているのは有名な話で、夢枕から覚めた寅さんが昭和中期のありのままの軽便ナローの世界から旅を始めるという鉄道マニア的に物凄い「沁みる」シーンが収録されていることもポイントが高い。バケットカーに牛乳缶を積むシーンなんかは、それこそノス鉄系モデラーの皆さんにはたまらんのではないかと。

構内踏切から、今は平日の1往復の区間列車の折り返しにしか使用されない永平寺口の1番ホームを見やる。福井名物の踏切に関する警告看板も愛らしい。「警報音がジャンジャン鳴ったら渡らないでください」という注意看板。踏切の警報音ってジャンジャン鳴るものなのか・・・?という疑問はさておき、「福井といえばコレだよな」感のある謎アイテム。福鉄とかえち鉄に見られるこの「ジャンジャン」というオノマトペの語源に関しては定かではないが、昔は踏切の警報音ってのは打鐘(ゴング)式のものが多かったから、「鐘を打つ音=ジャン」という競輪用語から来てるんじゃないかと思っておるのだよね。福井には競輪場ありますし、福井競輪の無料バスって京福バスがやっているしねえ。非番の日に競輪場に行ってた現業の連中が、踏切のゴング音を競輪の打鐘の俗称である「ジャン」と絡めて表現したのが起源なのでは?と。誰か正解求む。

ちなみにこの看板、キーホルダーにもなっているそうなのだが、見つけられんかったでなあ。

コメント
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