青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

武生新からたけふ新。

2024年03月13日 17時00分00秒 | 福井鉄道

(元祖福井か、分家敦賀か@敦賀ヨーロッパ軒)

敦賀の鉄道資料館のボランティアスタッフの方々に、「敦賀に来たら、お昼はカツ丼ですか?」なんて言われたので、駅の近くにあった「ヨーロッパ軒」に入ってみる。あれ?カツ丼で有名なヨーロッパ軒って福井市じゃなかったっけ?と思ったのだが、敦賀にも「ヨーロッパ軒」があった。調べると、元々の福井の店から出たのれん分けが敦賀のお店で、現在はそれぞれがチェーン展開して福井全県にその存在を見ることが出来るのだそうで・・・恥ずかしながら、ヨーロッパ軒って福井の本店の1店舗しかないのだと思っていたよ。意外に嶺北と嶺南でその味は微妙に違うらしく、福井県民的にも「どっちが好みか」みたいな話で北陸トンネルを挟んでバチバチやり合っているらしい。ヨーロッパ軒のカツ丼は、明治の時代に店主の高畠さんがドイツのベルリンに渡航し、5年間の料理修行の末に持ち帰って東京の早稲田で出したものが始まりなんだそうですが、高畠さんは関東大震災で焼け出され、郷里の福井で再び店を構えて現在の店舗網の礎を築くことになります。さっき敦賀港でウラジオストクとその先の欧州に思いを馳せたばかりなのだけど、やはりこの料理自体もそういう「国際都市敦賀」を通って日本に輸入された舶来のハイカラな食べものだったということなのだろうか。

使い込まれた渋い風合いのヤカンで出されるお茶を飲みながら待っていると、細かいパン粉を付けたカリッと薄めのカツを、ヨーロッパ仕込みのウスターソースをベースにしたタレにくぐらせてドンドンドンと計4枚乗ったソースカツ丼が出て来た。粘度がなくサラッとしたタレは、やや酸味が効いていてさっぱりあっさり目かつ軽くスパイシー。桐生とか秩父とか、関東でも「ソースカツ丼」がメジャーな街ってそこそこあるんだけど、このヨーロッパ軒のカツ丼を食うと、関東のそれはどっちかというと醤油ベースの甘さの効いた「和」のソースカツ丼だったんだなと思う。今回初めてだったので、オーソドックスな「カツ丼」を頼んだのだけど、メニューを見るとメンチカツを乗せた「パリ丼」なるものもある。ベルリンからさらに欧州列車はパリに向かうわけでありますが、メンチってようはハンバーグだから、余計にメシには合いそう。ただまあ、自分は生粋の関東の人間なんで、醤油濃いめの甘っ辛いダシでタマネギと煮て卵でとじたカツ丼が好き。ソースカツ丼ももちろん美味しいけど、ちょっとツユが染みたご飯とカツとふわっとした卵と煮たタマネギの甘味みたいな、そういうマリアージュ感がソースカツ丼にはないので(笑)。

駅前の「ヨーロッパ軒」で腹を満たした後は、敦賀の駅で新しく出来た土産物屋なんかを冷やかしつつ再び特急サンダーバードの人になる。「北陸応援フリーきっぷ」は、敦賀~金沢までなら北陸本線の特急列車に乗り放題なのが実にいい。車内はこの時期修学旅行なのか課外学習なのか、ともかく中学生の子供たちだらけで阿鼻叫喚の騒ぎのため、デッキで過ごすことに。再び北陸トンネルの暗闇の中を轟々と走り抜けて嶺北に戻ると、一つ目の武生で下車。駅に新幹線新駅の開業の看板が踊るのもこの時期ならではか。ただ、新幹線の駅は現在の武生駅よりは3km程度東側の北陸自動車道の武生ICに近接した場所に開業する予定で、新幹線利用者用の大きな無料のパークアンドライドを備える越前市の交通の一大拠点となります。新幹線新駅には「道の駅越前たけふ」も併設されて、この武生駅とはシャトルバスで結ばれるらしいのだけど、どうでしょ。今の地方の交通体系を見ると、こういう展開になるとみんな新幹線駅にクルマで行っちゃって、武生駅周辺は寂れてっちゃうんじゃないかなあ・・・と思うよね。

武生で下車した理由は、久しぶりにこの鉄道・・・そう、福井鉄道福武線に乗車したかったのだ。北陸本線の特急もいいけど、自分のフィールドはこっちかなあというのはあるのでね。ちなみに、北陸新幹線の開業に伴い設置される武生市内の新駅は「越前たけふ」ですが、この福井鉄道の駅も、武生市が越前市になったことを受けて平成22年に「越前武生」駅に改称していたんですよね。同音駅名の混同を避けるため、福井鉄道が駅名をJRに譲る形で昨年「たけふ新」駅に再度改称されました。もちろん、駅名の再改称に伴う変更の費用負担はJR持ちということなので、受け入れることで車両の方向幕の更新とか、駅の看板の塗り直しとか、そういうのをみんなJRの伝票でツケ回せるので福鉄にもそれなりの旨味があったように思われる。元名鉄の方向幕、明らかに新しくなってるもんね・・・ちなみに駅名が短期間のうちに「武生新→越前武生→たけふ新」という変遷を遂げているわけですが、個人的には漢字の「武生新」に戻してもらいたかったぜ。

たけふ新を出た電車が、一駅目に停車する「北府」。きたふ、じゃなく「きたご」なのが意外な難読駅名。ここも元々西武生(にしたけふ)という名前だったのだけど、お隣の武生新駅が越前武生駅になるときに一緒に改称しちゃったんですよね。こっちは新幹線の駅ができても戻さなかったみたいだけど。西武生には福井鉄道の本社があって、そして昔っから車庫と工場があります。「西武生工場」と言えば、それこそ古い時代から地方私鉄を愛するファンには有名な名前で、福井地震でほぼ全焼してしまった車両から台車とモーターを抜いて、車体だけ載せ替えてトンテンカンと修繕したり、小型車を2両まとめて連接台車にくっつけて改造したり、いかにも地方私鉄らしい地に足のついた技術力で福井鉄道の車両を支え続けているメカニックの心臓部でもあります。

福井に向けて緩やかに右カーブする駅の向こうに、古びた検修庫と建屋に取り込まれた車両が見えて、これが西武生の工場。福井鉄道の前身である福武電気鉄道時代からの相当な年代モノなので、鉄道遺産として文化財認定も受けている。奥にあった工場も以前訪れた時はトタン葺きのボロで、なかなかな風合いを醸し出していたんですが、さすがにこちらは車両整備環境の改善の観点から3億円超の県の補助を受けて建て直されたのだそうです。北陸三県って、降雪地帯で基本的に鉄道に対する根強い信頼性があるせいか、行政が鉄道に対して手厚いですよね。

さて、そんな私が北府の駅にやって来たのは、とある車両に会うのが理由でした。
どうせここを見ているようなもの好きな貴方には既にそのネタはお分かりいただいている事とは思いますが、その顛末については次号(笑)。

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