(初めて制作、手作りの本)
昔の事だ。35歳という響きには、自分なりのこだわりがあった。
毎日、かなり無理ばかりしていたので、70歳位までしか生きられないのではないか。もし、それ以上に長生きしたら儲けものだと。35歳は、その折り返しだと考えていた。
当時、将来への漠然とした焦りと苛立ち、このままでいいのかという思いが渦巻いていた。
あれこれと悩んだ末、自分の足跡をなんらかの形をまとめてみたい、そうする事で新しい何かが見えてくるかも知れないと・・・。
それから約半年。これまでの出来事や、その情景・漂う空気を思い出しながら100句あまりの川柳にまとめた。
そして35歳の誕生日、なんとか自家製の本できた。
あれから15年余。今、読み返しても、若き日の痛々しい思い出が多いが、反面まだまだ頑張れると、こころのどこかで感じた
3句を紹介
新聞紙 毛布替わりの 夜汽車旅
(5歳の頃。父の経営する会社倒産の後、大阪から逃げ帰るよう父の故郷、宮崎へ帰った。 列車の床に新聞紙を敷き眠た事を覚えている。)
凪の月 船上祝う 赤道祭
(23歳、始めての海外旅行は、オセアニア、総理府が主催の青年の船だ。 赤道を越える日には、乗船していた400名で赤道祭を開催した。多くの招聘外国青年を交え国際色豊かなイベントだった。)
人育て ひとりが楽だと 愚痴を吐き
(組織は人を育てることで永続する。当時は一人の部署だったが、やがて部署を任され、部下が出来、育成に苦しむ毎日だった30歳の頃。しかし、一人の頃は良かったな・・・。)