50年ごとに建てられた供養塔
寛文2(1662)年9月20日、日向灘を震源に発生した「外所(とんどころ)地震」では、県内の沿岸各地で津波や土砂災害が発生し、死者200名、家屋全壊3,800戸の甚大な被害となりました。
□発生/寛文2(1662)年9月20日
□震央位置/日向灘(東経132.0°、北緯31.7°)
□地震規模/マグニチュード7.6
□震度等/震度5~6(現在の延岡から串間まで広範囲)、推定4~5mの津波
この地震による主な土砂災害
延岡藩:城下で山崩れが発生。領内沿岸部57町余が地盤沈下して海となる。
高鍋藩、佐土原藩:城下で山崩れが発生。
宮崎市地域:大淀川河口、清武川河口、加江田川河口など青島付近で1.2m~1.5mの地盤沈下。
加江田・本郷地区(現・宮崎市熊野)で周囲7里35町(約32km)が陥没し海に沈んだと言われています。
宮崎市熊野字島山に現存する7基の供養塔は、かろうじて生き残った人々のダメージが、いかに大きいものであったかということとともに、大地震・津波の被害を後世に語り伝え、防災上の戒めとするため、庄屋が約50年ごとに1基づつ建てて増やしてきました。
平成19年記念碑(350年碑)
昭和32年記念碑(300年碑)
(250年碑)
(200年碑)
(150年碑)
(100年碑)
(50年碑)
(地図情報はこちら→ 供養塔のある場所)