33回忌の法要で母へ書いた手紙を読むことができず、ずっと保管していましたが、書類を整理していた中で見つけたので、遠い国にいる母へと送りたいと思う。
天国にいる母ちゃんへ
母ちゃんがこの家にきたのは、私が幼稚園の時でした。私にとって二番目の母ちゃんでした。私を産んでくれた母は離婚で3歳の時、離れ離れになったこともあり、母ちゃんというのに何年もかかりました。
母ちゃんとはいろんな思い出があります。
当時は狭い貸屋に住んでいましたが、親戚一同集まり結婚式をしたこと。
おだいっさんでおもちゃを買ってもらったこと今でも覚えています。
帰り道は田圃の道を3人で歩いて帰りましたね。
母ちゃんを農作業帰りにリアカーに載せたり、勤めていた日の出町のしょうゆ工場へ遊びにいったこと、みかん山で働いていたころ、プレゼントをもっていってこと、妹が生まれる前、おっぱいがでるか試験的に試したこともありましたね。
そう・・あの時は村のこども達の中で噂が広がり、小学生になってもまだおっぱい飲んでいるなんて、いわれたこともありました。今となっては楽しいことばかりです。
昭和47年11月18日の朝7時頃、知らない叔父さんが「母ちゃんが亡くなりました」と言ってきました。そばで聞いていた私は、とても信じられずにそのまま学校へ行き、後で呼び戻されたことを思い出しました。葬儀の日は、重い棺を抱え泣きながら歩いたあの道風景が今も脳裏に焼きついています。
あれから33年。いろんなことがありました。言葉では言えない位たくさんのことがありました。
片親だけでも幸せなことだと人は言うけれど、父親から愛情もたくさんもらえて幸せだけれど、やっぱり誰にも言えないさみしさや悲しさはあります。
小学校や中学校でいじめにあった時、仲間外れにされた時など、片親が以内分、深く愛してくれる親に心配かけてはいけないと、こころに閉まっておいたこともあるよ。そして、誰にでも優しく接しようと努力しているのは、あなたの優しさに近づきたいからかもしれません。
今思えば、33歳という若さで、この世に別れをしなければならなかった無念さややり残した事等、本当にくやしい気持ちでいっぱいだったと思います。
でも安心してください。
あなたが残した家族は、全員元気に過ごしています。
母ちゃんが命がけで産んだ妹は、今優しい旦那さんと、かわいい3人の娘達、私も同じく3人の娘達、そしてお父ちゃんも元気に過ごしています。
これからも、天国から見守ってください。
私達も母ちゃんの笑顔や頑張り、優しさを胸に刻んで生きていくつもりです。
どうぞ、安らかにお眠りください。
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