「過去問の重要性」なる言葉があります。もう当たり前すぎて説明するのも面倒くさいくらい自明の理でしょう。合格者も口を揃えて「過去問が重要」といいますし,我々講師も同様です。
問題はその「受け止め方」です。非常に頻繁に見られる致命的な過ちが,「新司法試験の過去問だけやれば十分」という大きな勘違いです。特に短答式で落ちる人に見られる典型的な症状です。論文に関しても,旧司法試験の問題をやりこんだ後に(上位既修者に多い属性),新司法試験の過去問題を徹底解析するのと,とにかく新司法試験の問題だけしかやらない人ではその力量の差には大きなものがあります。また同じ「過去問をやる」にしても,「単に問題解いて論点的な解説の確認をガッツリ」,だけでは試験対策で言うところの「過去問をやった」ことになりません。処理手順を身につけることと試験委員の要望を見抜くことが過去問題検討の最大の目的です。
「アウトプット中心主義」というのがありますが,①そもそも解いている問題数が話を聞いている方が想像しているより遥かに多い,②早い段階である程度のインプット作業自体は終わらせている,というのが殆どです(彼らの主張は,いつまでもインプットをやり続けるより,早い段階で問題演習をベースにした勉強の方が効率が良い,というものです。個人的には当たり前のことなので,わざわざ「アウトプット中心」とかいう必要もないと思っています)。
要するに,基礎力が脆弱な人が「過去問題だけやれば合格できる」と勘違いしているケースが多い,という事が言いたいのです。なんでこんな風潮が蔓延しているのか良く分からないのですが,実際問題かなりの人がこの病気に罹患しています。大体,過去問題をやっただけで司法試験突破に必要な知識が網羅的に身に付くはずがありません。そんな甘い試験ではないです(そもそもそんな試験あんのかい,とも思いますが運転免許証の試験くらいでしょうか)。第7回本試験憲法で頭が真っ白になった,手も足も出なかった人は十分すぎるほど痛い経験をしたはずです。
短答の過去問題にしろ,「全7科目」で「たったの1200問強」しかありません。1日30問こなせば40日で終わる分量です。「え,1日30問!?」って思った人もいるとは思いますが,そんなもんです。「いやぁもっと時間がかかるよ先生!」,と言う人は,それは単に基礎力がないから復習に異様に時間がかかっているだけです。そのような勉強は効率が悪いと思いますし,結局網羅性という観点からは不安定感は拭い去れません。
やはり,①ある程度のインプット作業→②問題演習,という段取りが重要だと思います。結局は「急がば回れ」,です。大事な人生です,楽してギャンブルするには,かけるものが大きすぎると思います。
* でもこのブログ読んでいるような人は,「そんなこと分かってますよ~」,って人ばかりだと思いますが(笑)