黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

「黒猫とのの帰還 第一」を掲載

2013年02月08日 15時05分00秒 | ファンタジー
「黒猫とのとヴァロンの過酷な冒険」を書いて、あっという間に二年にもなってしまった。この間、夜も寝ないで昼寝しながら推敲を重ね、少し見栄えが良くなったかと思うので、再掲させていただく。改題した上に、章を入れ替えたり、後半部分をだいぶ直しているので、乞うご期待。
 

「黒猫とのと龍の住む山」

 黒猫「との」と盟友猫「ヴァロン」がまだ雪の残る山脈に入って、およそ一ヶ月が過ぎようとするころ、自宅の玄関先にどたばたと子どもの足音のようなうるさい音が響き渡ったと思ったら、彼らが颯爽と舞い戻ってきた。その日、暁彦は、書斎の机の上に置いた、祈る人と名づけられた埴輪のレプリカを見るともなく見ていた。暁彦の頭に、二匹が遭難したのではという心配がをよぎっていたところだった。暁彦の肩の辺りまでジャンプしてきたとのの身体は少しほっそりとし、表情は以前に比べ大人っぽくなったように見えた。
「どこまで行って来たんだい?」
 元気なとのを見て安心した暁彦は、さっそく話を聞かせろと迫った。とのは、ちょっと待って、母さんとハグしてくるから、と居間にいる奈月の方へ飛んでいった。きゃはは、ぎゃははと笑う声がしばらく続き、とのが好物のボイルエビをあわてて食べる気配がした。暁彦と奈月は、大食漢のとのがお椀一杯平らげるまで、辛抱強く待った。ヴァロンはキャットフードをちょっと食べ、背中の荷物を縛り直して、隣町の自分の家に戻った。満腹したとのは、うとうとしそうになるのを我慢しながらやっと話し始めた。
 しかし、その話の紹介は後にしよう。先に、二匹の帰還と、とのの話の奇抜さに感極まった暁彦が、なにかがのりうつったように饒舌に語った話を披露した方が、このちぐはぐな物語の全体を理解するうえで都合がいいだろう。

第一 龍をめぐる一考察

「その男は熊の頭蓋や皮をかぶって、熊になると言ったのか。」と暁彦は感慨深げに言った。
「人や猫、木や石、虫や魚、その他、生物無生物を問わず、この世の中のあらゆるものに精霊(せいれい)が宿り、その精霊たちの意思が相互に通じ合う世界に住むことができれば、彼の希望は叶えられるだろうね。そこでは、私たちが、皮やお面を被って精神を統一すると、たちまち熊になったり、猫や木や石にも変身できるんだ。これはお伽話なんかじゃなく、あたりまえの感覚だったんだよ。たとえば、人の身体の一部が蛇に変身したり、生き物が石の中に閉じこめられたり、人や動物の身体から植物が生えたり、クラーク・ケントが異星人用のスーツを着たらスーパーマンになったり、おとなしい猫が虎に変身したりするのを、みんな知っているだろ?」
 暁彦の話は、脇道にそれて迷子になることが度たびあった。
「それじゃ、その男の人が変身できるのは熊だけじゃないんだね?」
 奈月が珍しく興奮気味に言った。
「そうだよ、その気になったら猫にだってなれるさ。」
 とのは、男の体ほど大きな猫といっしょに、とうてい一般家庭には住めないだろうと思った。
「昔々、狩猟採集を主な生業にしていた人々は、恵みを授けてくれる身のまわりの自然に対し、心から感謝の念を抱いた。大地、天空、川、海は言うに及ばず、人が食したり壊したりして形がなくなってしまう動植物や生活用品にも深く感謝し、それらの精霊が元々住んでいた世界へ帰り、再び復活して戻ってきてくれることを願った。その魂送りの祭りと併せて、自分たちの先祖を祭る儀式も行ったそうだ。つまり、彼らは、人や動物などの間にまったく隔たりがないと考えていたんだ。その万物を尊ぶ精神性の高さには、眩しいくらいの神々しさを感じるよ。」
 暁彦は、自分の話に感動したように声を震わせた。彼の理屈は彼の頭の中では完結しているのだが、他の人を説得する力にいつも欠けていた。しかし、このときの暁彦は、三十数年前から考えてきた自説の発表の場と聴衆をむざむざ逃がしてなるものかと、すぐ平静な様子に戻り、いつになく慎重に話し始めた。
「熊の頭蓋や皮に対する男の執着心は、相当強いようだね。確かに頭蓋自体からは理屈抜きに威力を感じる。その動物の精霊が頭蓋の額のあたりに鎮座しているのをなんとなく感じとれるからなのかな。」
 暁彦は、家の中だというのに周りを警戒するように声を落とした。
「動物愛護団体の方々の耳に入るとややっこしくなるんだが、動物の皮は、昔の人々にとってたくさんの使い道があったんだ。たとえば乳製品や酒を発酵させ保存する入れ物、船の浮き袋、楽器、金属加工用のふいご、などにね。とりわけ祭りの儀式にはなにものにも代えがたい役割があった。皮には本来の持ち主の強い霊が宿っていると考えられていたから、幼子を皮で包んで霊力を憑けたり、皮をかぶったシャーマンを聖なる者に変身させたりなど、生と再生・復活の儀式に不可欠なものだった。」
 続けて言った。
「それにつけても、人の文明がそのころの時代から変化しなかったなら、地球環境は平和な状態で永遠に守られただろうに。もっとも、そういう世界で私たちが生きられるかどうか心許ないがね。」
 ぼやきの暁彦が、ため息をつきながらその話題を締めくくった。
「ところで、とのたちが日本列島の下に龍がいるのを見つけたのは大スクープだね。」
 とのは、ヴァロンといっしょに龍高岳連峰のてっぺんで見たものがはたして龍だったんだろうか、と自問していると、しがみついていた山脈が大きく羽ばたくように身体を揺らしたあのときの興奮がよみがえって、上唇と鼻の穴が自然に膨らんだ。ごつごつとうねる山脈の下で、何者かが手や足や首や尻尾を動かしたにちがいないと思った。
「中国の龍の文化が日本列島に伝わり、日本の古代社会の形成に大きな影響があったことはほぼ確実なんだよ。」
 暁彦は、日本への龍の伝播についてこと細かにしゃべったのだが、煩雑すぎるので省略する。
「文化が伝わったという程度のものではなく、龍をはじめ、中国大陸の動物たちを引き連れた人々が、日本を支配したという考えさえあるくらいだ。」
 暁彦は、自分の先祖が北方系の渡来民だと思っているふしがあり、はるか昔、シベリア方面から中国大陸を通って、未開の日本を侵略する様子を思い描いているようだった。
 龍形の霊獣のイメージは、中国や日本だけでなく、地域により違いはあるが世界中の民族文化にあまねくその記憶が刻まれている。蛇のイメージとの混同もそこかしこに見受けられる。有名なのはインドのナーガだ。中国では、仏教とともに伝来したナーガを龍と翻訳したが、ナーガは蛇のイメージが強く、中国固有の龍の観念とは明らかに印象が異なる。また、ドラゴン系の動物は大半が人に災いをもたらす悪神であって、全能の龍のようなイメージではない。では、中国からやって来て、日本人の意識に植えつけられた龍とはどんなものなのだろうか。
 龍は猫族の間でも有名な動物で、「えっ、なに?」なんて言おうものなら白い目で見られた。とのは子どものころから、龍好きの、というより龍とそれにまつわること以外にあまり興味を示さない暁彦から、龍の話を何度も聞いた。そのうち、自分なりの龍のイメージを思い描けるようになったのだが、そのたびに、猫の心の中にある情念と響き合うためなのか、なんとなく気味悪くて背筋がぞくっとした。
「龍っていうのは、えーと、ヘビを太くしたような胴体に四本足をつけた、頭のでかいヤツでしょ?」と、とのに代わって、奈月が答えた。
「ぼくのイメージもおおざっぱに言うとそんなところだね。龍は知らない者がいないくらい有名なのに、なぜそんなアバウトなイメージなのか、残念ながらその理由をきちんと説明できた人はいないんだ。」
 暁彦は続けた。
「龍に蛇形のイメージがつきまとうのは、おそらく、人々の心の奥底に、超自然的な生命力を持つ生き物の代表として、蛇のイメージが刻まれているからだと思う。しかし、中国の殷代以前の龍形に描かれた伝説の王様たちの図像を見ると、その下半身は蛇にしては短く、動物や魚の尻尾のようにも見える。中国の龍の図象や文様は、蛇よりも、馬とか鹿とかの大型ほ乳類との関係が深いとする説が有力だ。」
 とのも奈月も、学校の先生のようなしゃべり方になった暁彦が何を言っているのかぜんぜんわからなかったが、誰も彼の弁舌を止められなくなってしまった。その要旨は次のとおり。
「中国古代には、四神、あるいは四霊と言われる霊獣がいて、龍は鳳凰、白虎、玄武、麒麟と並び称されている。そもそも中国古代の人々は、東西南北の方位をつかさどる方神という強力な神が、人々の住居に強風などの災いを送ってよこすと考えて、その神をなだめるため集落の四方向の門に動物などのいけにえを架けたそうだ。その風習のなごりが方位を司る霊獣を生んだと推論することもできる。」
「四神、四霊の中でも、龍はいちばんわかりにくい形をしている。そもそも龍には九龍の姿があると言われるように、蛇形をベースに、虎や鹿、熊、鳥、牛、羊、馬、魚などの多くの動物の特徴をまんべんなく兼ね備えている。恵みと災いをもたらすスーパーアニマルの龍には、抽象的なイメージがいちばん似合っていたということだろうか。」
「中国では、龍という文字が、地名や姓名にもずいぶん取り入れられている。」
 中国の殷代には、都の周辺に多くの氏族がいた。甲骨文(亀甲、獣骨に彫られた漢字の起源となる文字)などには、龍(龍方)という族名や瀧という地名が刻されていて、瀧という川のほとりの土地に、龍人と呼ばれた人々が住んでいたと推測される。龍が実在することを記述した文献もある。拳龍(かんりゅう)氏、御龍(ぎょりゅう)氏と呼ばれた人たちは龍を上手に飼い慣らし、祭儀を行っていたという。一族の者が、龍を死なせたため、あるいは皇帝に龍肉を献上できなかったため、他国に逃亡したという記述もある。
「じゃあ、やっぱり龍は実在したんじゃない?」
「理屈ではあり得ないことだけど、ひょっとしたら、そうかもしれないな。」
 古代社会では、それぞれの氏族の成り立ちは、野生の動植物や自然物のなにかに由来していると考えていたという。それはトーテムと呼ばれ、信仰の対象にもなった。いくつかの氏族が何らかの要因で合体し、大きな国を形成しようとするとき、ばらばらだった神々の統合も行われた。それをきっかけに、野生の動物たちが統合され、龍をはじめとする霊獣に姿を変えたという考え方もできるだろう。事実、殷は他の氏族の祭儀(たとえば河神や岳神などの祭儀)の場とその執行権を握ることによって、国を拡大したと言われている。
 龍形の神をいただく人々の末裔は魯や范の国へ継承されたとされるが、今となっては、龍の祭儀がどんなものだったか確かめようもない。しかし、ひょっとしたら中国の奥深い土地で、未知の霊獣の龍を使い、秘儀を行っている人々が今でもいるのかもしれない。

 暁彦は、少し前のテレビ番組で、中国四川省茂県(もけん)の高地に住むチャン族の一集落の映像を見た。彼らは、外敵の侵入に対抗し辺境の山地に石造りの家を建てたのだが、その家に背の高い角張ったサイロ風の塔を併設し、敵兵が押しかけるとそこに籠城し、最上部の見張り台から矢を射かけたという。彼らこそがまさに、甲骨文に「羌人(きょうじん)三人を川に流す。」などと記された羌の末裔の人々だった。彼らはいけにえを求め狩りをする殷人から逃れ、その地で三千年もの年月を生き延びていた。
 一説に、羌の人たちは、殷の前の時代に栄えたとされる夏王朝の建国に深い関わりがあったと言われているが、真偽のほどは定かでない。また、夏王朝の始祖の禹は竜形の姿をしていたと伝えられている。とすると、殷の人々は龍の国を倒して建国したことになる。殷人が、龍に対し豊かさをもたらす霊獣のイメージを認めるとともに、祟りを恐れる気持ちを持ったのはこのためかもしれない。
 羌人を狩った殷国はとっくに消滅したが、羌人は、あの高台の塔に閉じこもり、同族意識を失わないで現代までの長大な時間を過ごしてきた。もともと中国北西部の遊牧の民だったはずの彼らにとって、異国の地に閉じこもる生活とはどんなものだったのか。暁彦は自分の先祖かもしれない羌の人たちへの郷愁のため、身を焦がす思いでテレビを観ていたのだが、晴れ晴れとした彼らの表情に、曇りや悲壮感のようなものはかいま見られなかった。暁彦は、心にいらだたしさのようなものを残したまま番組を見終わって、ふとあることに気が付いた。彼らの計りしれないしぶとさは、彼らの精神に住みついている祖先の神話、つまり龍からのたまものに違いないと。
「龍のイメージって、いけにえとか他の民族の征服とかにつながっていて、やっぱり血生臭いんだね。」と奈月が言った。
「龍には確かにいけにえの気配が濃厚に漂っている。石田英一郎氏は新説河童駒引考で、馬をいけにえとして河神に捧げた習俗を紹介しているが、その伝説が残る地方では龍の文様のついた遺物がいくつも発見されていて、水の神へのいけにえの儀式に、龍が深く関わっていたことがうかがわれるんだ。」と暁彦がまた話し始めた。
「いけにえって、自分たちにとって相当大事なものを捧げる儀式なんでしょう? ということは、よっぽどそこにいる神様はわがままで、逆らうと君のように怖い顔で怒ったんだね。」と奈月が暁彦を指さして言った。
「殷の時代には、占いをして王様によくないことが起きるとされたら、大概いけにえを捧げているね。たとえば王様の旅行の行く手に災いがありそうなら、生首をつり下げて、悪神をなだめながら行進したそうだ。こうして安全に通行できる通路を、道筋を表す辶に首を加えた道という文字で表現したのだよ。」
 暁彦はわざとらしく声を震わせて言った。
「ヒェー、怖くて道路を歩けないよ。」とのと奈月が思わず叫んだ。
「いけにえの習俗を示す文字はほかにもたくさん伝えられている。たとえば、河神の祭儀を表す「流」という甲骨文には、逆さにした『子』を川に流す場面が描かれている。白川静氏は、河神に子(人)をいけにえに捧げる意味だと解釈している。昔から世界各地には乳飲み子を川の水で清めて、すこやかな成長を祈る習俗が伝えられているが、その儀礼がいけにえの意味にも通じるのはなぜなのか、血が嫌いなぼくとしては勉強すればするほど卒倒しそうになるよ。」 
「子どもの清めの儀式が、いけにえと紙一重とはね。」と奈月は顔をしかめた。血が嫌いだと言いながら、暁彦の目はらんらんと輝きを増してきた。
「なんと言っても、最高のいけにえは人なのだよ。」と暁彦はこともなげに言った。
「甲骨文の世界には、いけにえを表す文字がたくさんある。たとえば、後ろ手に縛られて跪いた人の形は、今にもいけにえにされそうな女の姿にそっくりだ。史書にも、殷の祭の残虐な人身供犠が他の民族の反感を買い、殷の滅亡につながったとされているんだ。」
「でも、最近、紀元前数百年ころの西周時代のお墓の遺跡から、馬に似た動物のいけにえが発見された。ということは、いけにえの風習は殷特有のものだったのではなく、どの民族もやっていた一般的な儀礼だったんだね。その風習はなかなか根強く、後世の人々にまで受け継がれ、遠くまで広く伝わった。日本にも、若い女性をいけにえに差し出す昔話があったり、さらし首だとか殉死だとか玉砕だとか、なにかいけにえの気配を感じさせるものが残っているだろう?」暁彦は、神妙な顔になって続けた。
「人の弱い心には、神に対していけにえを差し出す代わりに、聖なる力を借りて人々を治め支配したい、残虐な行いを許してもらいたい、という根強い欲望みたいなものがあるんじゃないのかな。」
 暁彦は、余計な話になってしまったと独り言を言いながら、甲骨文についてもう少し踏み込んでもいいかな?、と奈月たちに伺いを立て、次のような話を始めた。
 彼は若いころ、甲骨文や金文(青銅器に鋳られた文字)の動物文字をまじまじと見たとき、ほとんどの文字が生きた動物の象形ではなく、どんな動物の姿を表すのかわからなくなるまで細かく分解されていることに、大きな衝撃を受けた。
 たとえば、鹿のもともとの文字は、頭蓋と心臓と皮と骨に切り分けられた形をしている。鹿に夂(足)を加えた慶は、シカを用いた占いで良い結果が得られて『よろこばしい』という意味を持ち、祝い事の贈り物に使われたシカ皮のイメージに通じる文字である。牛や羊の文字はそれらの動物の価値がりっぱな角の形にこめられている。馬字などのように、屈強な体躯の全体骨格を地面に横たえたものもある。
 注目したいのは、熊や未知の生き物の龍の文字。両字とも頭や内臓を、棒に載せたりぶら下げたりした形なのだが、そのいわれはまだ解き明かされていない。贏字などもよくわからない文字で、熊龍字と同様、解体した動物の内臓をぶら下げるか並べるかした文字だろう。
 なかには一目見て、動物の種類を言い当てられるものもある。たとえば鳥は、解体の仕方が大型ほ乳類と異なるためか、その文字には生きた姿がかなり保存されている。鳥字の中には、体の中央部に横棒が通った文字があって、これは動物などを棒に載せたり架けたりしたことを表すものだろう。ちなみに方角、方神などの方の文字にも横棒があり、人の死骸を棒に架けた形、つまり人をいけにえにした祭儀を表すとされている。鳥字とはいけにえにされた鳥の姿を表したものという解釈が妥当だろう。その後、鳥は天空の神、風神に使える霊鳥と見なされ、鳳凰にまでのぼり詰めることになる。
 では、解体された動物文字を見ても、実物のイメージを思い浮かべられないのに、なぜ鹿の文字が動物のシカの意味に、熊字がクマの意味になるのか。
 動物文字を見れば、動物の部位がどんなところに置かれたのか、どのように扱われたのか想定できる。たとえば广のついた文字は庇のある建物の中にあることを意味し、灬を加えた文字は火で焚かれたか、あるいは火の神と同座したことを示すのかもしれない。解体されて、草の上や林の中に置かれたものもある。
 このように見ていくと、氏族がトーテムとした動物それぞれに、祭儀のパターンがあったのだろう。動物のシカをトーテムとした氏族には鹿祭の、クマをトーテムとした氏族には熊祭の、祭壇の作り方と祭儀の進め方があったのだ。殷人は、その祭儀の様子を見て、あるいはその祭祀権を奪いとって、文字に写した。そのことが、解体され屍の姿で表現された動物文字の多くが、個別の動物の意味を持つ理由なのだと暁彦は確信していた。
 ところで、殷の人々がこのような動物の形を多くの文字にとどめたのは、彼らも狩猟民として、動物祭儀をしていたことがある証拠と考えるのが自然なのではないか。しかし、祭儀を執り行っていたとはいえ、殷の文明に浴した人々の多くは、狩猟民の神話を忠実に受け継ぎ、生身の動物に感謝する狩猟民本来の気持ちを保ち続けていたとは到底言えない。詳しくは後述するが、彼らは、すでに動物たちを隣人として遇することはなく、いけにえとして怒れる神々に差し出していたのだから。
 暁彦はふと思いついて、とのに向かってこう言った。
「中国ではなぜか猫の文字がずっと後世までなかったんだって。つまり猫はいけにえにされた形跡がないんだ、よかったね。」
 とのは、人というのは薄情な動物だと思った。人のためではなかったけれど、猫がどれだけ骨身を削ってネズミ捕りしたことか。その波及効果の大きさがわからない人々から害獣の扱いを受け、虐められたり殺されたりしたそうだ。後世、人はその誤りに気がついて、ようやく猫の字を作った。

 暁彦はひと通り動物文字の解釈を話した後で、椅子に座りなおして次のように続けた。
「漢字の起源の甲骨文や金文の時代から、龍字には簡単な竜と四角い龍の二文字があるっていうのは、実に興味深いね。簡単な竜の文字には尻尾のようなものがあって、いわゆる竜形に見えるけど、四角張った龍はどんな動物の姿かぜんぜんわからない。」
 暁彦は、ますます自分の世界に入り込んだ。
「簡単な竜字は、霊獣であることを示す冠、あるいは『辛』の文字を戴いた頭蓋があり、その首の部分から曲線が伸びている文字だ。この曲線には、先が内側に丸くなったものと、外側にはねているものとがある。これまでこの曲線は蛇あるいは虫の胴体の形と解釈されてきたが、これは鹿や慶などの、動物の皮を愛でる文字に描かれている曲線と同じで、動物の皮だとぼくは推定しているんだ。」
 暁彦は、いったん言葉を切り、遠くを見つめる目になった。
「動物を解体するとき、頭蓋に全身の皮をつけたまま胴体を切り離すのが一般的なやり方だ。頭蓋には動物の精霊が宿り、皮はその聖なる動物が人の世界に残していくたいへん貴重な衣(襲)で、強い生命力を宿している。聖なる頭蓋はやぐらに組まれた祭壇の最上部に安置され、大きな皮は頭蓋からだらりと垂れ下がっている。その前で、人々は動物の精霊に感謝しながらその肉を食す。これが、ある北方狩猟民の熊祭りの一日目に、屋内で行われる祭儀の様子だ。」
 暁彦の言葉が途切れた。
「との、よく聞くんだぞ! この熊の頭蓋と垂れ下がった皮を載せた櫓を横から見たら、どんな姿が目に飛び込んでくるか、想像してみてくれ。まさに冠をつけ尾を巻いたような、甲骨文の竜字そのものなのだ!」
 力が入りすぎた暁彦の体は、今にも後ろにひっくり返らんばかりになった。
「一方、四角い龍字には、鳥や方の文字と同様、一本の横棒があるんだよ。」
 暁彦はふぅと大きく息を吐いて続けた。
「龍字の場合、横棒、つまり祭壇の上部に書かれた『ム』あるいは『云』は、死んだ動物の頭蓋に宿る精霊を表したものだと思う。棒の左下の『月』は、つり下げられた動物の内臓であり、棒の右下にうねる一本の線で描かれているのが肉や内臓をはぎ取られた皮なのだ。金文などには皮の横に三本の線が描かれている龍字があるが、これは額の入れ墨を表す彦の文字と同じで、さんさんと光り輝く様子を表しているんだ。龍関連の文字にはその皮を『兄(シャーマン)』が手にとろうとしているものもある。」
 次に暁彦は、熊字と龍字との類似性について話し始めた。
「熊の字の場合、火を加えた字は後からできており、古い字形は能とされている。左側の偏は龍とまったく同じで、右側の旁は動物の骨が二つ配置されている。熊の骨は、他の動物と扱いがまったく違って食用にされることはなく、頭蓋を置いた場所のすぐ下の地面にていねいに埋められて、再生の祈りを捧げられる。」
「龍字や熊字は、熊祭りの二日目以降に戸外で執り行われる、魂送りの祭壇の様子と瓜二つと言っていい。つまり、架空の動物の龍も、動物祭祀の中の最大の祭りである熊祭と、同じ方法で祭られた動物だということなのだよ。」
 暁彦はとうとう言ってしまったというように身体の力が抜けて、椅子にはまりこんでしまった。
 では、構造上、きわめて近い関係にある文字の一方が実在する動物の熊を指し、他方が架空の霊獣の龍を表す理由はなんなのだろうか。
 熊祭の時代、人は、偉大な精霊である熊をはじめとして、あらゆる動物に素朴な感謝の念をもって祭儀を行った。龍祭の起源は、昔々龍人が瀧という地方の祭儀場で執行していた動物祭儀だったと思われる。当時の龍祭は熊祭と同じ性格の祭で、おそらく熊あるいは熊に似た動物の祭儀だったと推定して間違いないだろう。後に殷人がその執行権を奪い取った、つまり龍人を征服したとされている。
 ところが、文字ができた殷の時代・社会には、一定地域の氏族たちを支配する王の統治が始まっていて、天上の世界にも、世俗の社会を反映して帝という絶大な神を頂点に、風神、河神、岳神などを配置した階層構造ができた。つまり、狩猟生活から牧畜や農耕へと社会構造が変化する過程で、熊という文字で表された原初の動物祭儀が、龍といういけにえを伴う高度な祭儀体系に変貌を遂げたということではないだろうか。つまり、熊とは王権が成立する前の狩猟民の熊祭、龍とは殷代に成立した最高神の帝にいけにえを捧げるクマ祭を表す文字だと推定される。
「龍の威力が絶大だとは言っても、その後何千年ものあいだ、影響力が衰えることなく続いているのは不思議よね。」と奈月。
「きっと、龍の神話というのは、社会の盛衰、国の興亡などの次元をはるかに超えて、人々の原初的な意識の深層に、しっかり刷り込まれているとしか考えられないね。」と暁彦は言いながら、はるか昔に生きていたことを思い出そうとしていた。

 殷の祭りは、血生臭さと火にあふれ返っていたと言い伝えられている。神聖国家の殷にとって、制圧した他の氏族を前にして、祭祀権の掌握を大々的に宣言するのは最重要の政のひとつだった。そのため、他の氏族の心を震撼させるような、きわめて華やかな大スペクタクルの祭を演出したことだろう。そのかつてない大仕掛けは、多くの動物たちと神官たちが動員され、いけにえの血でむせかえるような生々しいものになっただろう。そしてこの祭に参加し、あまりの感動と恐怖に打ちのめされた人々は、その祭を通して、実在の動物が姿を替え、龍などの超自然の動物に変じるのを目の当たりにしたのだ。
「こうして神に捧げられ、神とこの世をつなぐ使者となった龍は、帝の威力を借りて、空を飛び地に潜り大地を潤し大災厄を起こすような能力を持つ、猛々しい霊獣に姿を変えていったのだよ。」
 暁彦は、こう言うとしばらくじっと動かなくなった。本物の龍祭を思い描いて、少しの間、失神していたのだ。やっと彼の長い話が終わりに近づいた。

 これら殷代の人々が全身全霊で神々に祈りを捧げ、その判断を仰いだ秘儀は、甲骨文や金文に生々しく克明に描かれている。その当時、亀甲や獣骨に刻された文字は朱に塗られ、ていねいに磨かれた青銅器は黄金色に輝き、それらはこの世のものとは思えないくらいきらびやかで、神聖なものとして扱われていた。つまり、殷人の生み出した文字とは、儀式のあり様を記録する手段といった役割を超えて、人の口から流れ出て虚空にただよう祈りを目に見える形に刻印して、それを神に捧げる秘儀そのものであった。そのことは、殷の祭儀の正当性といけにえの威力を、具体的に証明することにつながった。
 だが、人の叡智の結晶ともいえる文字の可能性は、王の祭儀や神話といった閉鎖的な世界にいつまでも収まってはいなかった。歴史が証明するとおり、文字に込められた様々な知識、文化は、人間社会へあふれ出し、人間の知性、理性、そして精神性を高める役割を果たし、無謀な闘いやいけにえを必要としない社会の出現を促した。
「それにしても、自然界の圧倒的な力を克服し、神の力さえ限定的なものと考える人々が多くなった今でも、よりによって人間同士が、いけにえを求めて闘い続けている理由はなんなのだろうね?」
 彼は大きな頭を左に右に傾げてぶつぶつ自問自答していたが、急になにかに気づいたように言葉を呑んだ。
「もしかすると、せっかくの文字がなんでこの世に存在するのか、本当の意味に人々は気が付いていないのか……」
 とのは頭が混乱状態だったが、猫も、熊や龍に変身できることをなんとかして確かめてみたいと強く思った。(第1 龍をめぐる一考察 了)



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