黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

シモーヌ・ヴェイユという人

2013年02月22日 11時32分40秒 | ファンタジー

 シモーヌ・ヴェイユはフランスの哲学者。以下、ウィキペディアの記述の要約。一九〇九年二月三日パリに生まれ、一九四三年八月二十四日ロンドンで没。父はユダヤ系の医師、兄は数学者のアンドレ・ヴェイユ。リセ(日本の高校)時代、哲学者アランの教えを受け、パリの女子高等師範学校を優秀な成績で卒業し、リセの教員となる。その間、労働階級の境遇を分かち合おうと工場や農場で働き、まもなく政治活動に身を投じた。一九三六年、スペイン内戦に際して、スペイン無政府主義者と一緒にスペインナショナリストと戦った。一九四二年アメリカへ移住、その後、ロンドンに移り、フランスレジスタンス運動に参加した。戦争の悲惨さ、残酷さに抗議してハンストを行い、一九四三年、三十四歳でその生涯を閉じる。著書はすべて、アルベール・カミュらにより死後出版された。
 私は若いころから彼女の名前を耳にしていたが、彼女の著書を読んだことはない。つい最近、新聞の読書欄に、「シモーヌ・ヴェイユ 犠牲の思想」(鈴木順子著、藤原書店)という本の書評が載ったとき、日曜日の午前の時間に余裕があったので、たまたまそれを読んだ。二度三度と読んだ。私の目が釘付けになったのは、人格についての彼女の捉え方。
「人格とは、恵まれた境遇の人間だけに現れるある種の特権であって、レ・ミゼラブル(悲惨な人々)は人格など持ち得ない」また、「人格の尊重とは、社会においてその人が他者から優越する部分を尊敬すること」だと言う。いわゆる知識人たちの格好付けた、人格主義、道徳観念を木っ端微塵にうち破る言動だ。
 では社会のもっとも基本となるものとは。彼女は、「人間の中の非人格的部分、いわゆる子どもの純真な感受性、願望などの部分」だとする。言いかえると、「大きな苦しみを受けたときの悲鳴といったもの」と主張する。
 これを読むと、私たちは、環境や他者によってその大部分を作られた自分の人格から、本来の自身を解放しなければならないことを自覚する。こうして取り出された非人格的部分とは、生き物たちがあまねく共有する、きわめて原初的な意識だと感じる。きっとこれは、様々なしがらみによってがんじがらめにされた個の意識なのでなく、個のレベルを超越し、広大な宇宙に遍満する大きな思想に合致するものなのだ。彼女はそれを「善」あるいは「美」を希求する観念とも言っている。
 この後、彼女は権利と義務、そして犠牲について言及する。「権利とは、特権を有する者の専有物であり、義務に従属し依存すべきもの」とする。そして、「人は本来、苦しむ者をそのまま放っておけないという義務を無意識に自覚している」と考える。だからこそ、ジャン・ヴァルジャンの犠牲に心打たれるのだ。このことを自覚した者は、この永遠の義務を履行するため、自身のなにがしかを犠牲にせざるをえない。
 大筋では私も同意である。しかし、これを突き詰めると、それこそ凡人と違う特権的な人々を新たに作り出しそうな気がしないわけではない。しかし、観点を変えると、彼女の言っていることは衝撃的でも何でもなく、至極当然のことなのかもしれない。
 たとえば、上記の「目の前で苦しむ人を見て、何の葛藤もなく、黙ったまま通り過ぎることができるか?」というテーゼを突きつけられたとする。「できることなら、可能な範囲で、その人に寄り添い、心配し、手を尽くしたい」と思うのが、私たちの自然な心の動きであろう。そうしなければ、そのことをすっかり忘れられるまで、人によっては死ぬまで、悔やむ気持ちが持続するのだ。
 本音を言うと、私のような意気地なしには、犠牲とか権利とか義務とか、固いことなんて言いっこなしにして、あのときは色々障害があって、レ・ミゼラブルに手を差しのべられなかったと、自分の至らなさをひとつふたつ言い合えるオープンな人社会がいい。とくに私が気を付けなければならないこと。それは、強い者にはできないくせに、家などでふと気を抜いたとき、誰から受け継いだのか、古くさい小さな思想、つまり人格の癖へ回帰することだ。この年齢になってまで、相手に寄り添うどころか、相手の気持ちを無視して無神経に自説を押しつけたり、ごくまれだが問答無用で服従させたり犠牲を強いたりといったことは誓って止めよう。これで、社会は大きく変貌するはずだ。(2013.2.22)
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