写真をまた撮り忘れた。この日、羽田空港から横浜駅へ向かうバスからの眺望は、東京方面の沿線と何ら変わったところはなかった。そんな気がしたのは、大雨のせいで港もタワーもぼんやりとした影となって、灰色の景色の中ににじんでいたからだろう。携帯のカメラで撮影しても、ほとんどピンボケの写真にしかならなかったと思う。古い乗り合いバスが、横浜駅地下のバスターミナルにずぶ濡れで着いたときは、地名のないどこかのビル街に迷い込んだ気分だったが、不安はなかった。
「横浜に着くと何だか落ち着くんだよね」「そうね」
駅地下の人混みの中、明るくおしゃれな店々を見るともなしにうろついていると、私と同じくらいの年格好の二人の女性の会話が聞こえた。ここが落ち着く場所なら、彼女たちはきっと、ついさっきまで東京の道路下三、四階に埋まっている横文字のショッピングタウンで、ギュウギュウ詰めになりながら買い物をしていたのだろう。確かに、東京に比べると、横浜の地下街は北にあるそれと雰囲気が似通っていて親近感がある。地下街の規模が小さいから、それとも港町というのは、本人に聞かなければぜったい当てられないような土地からやってきた者ばかりで、かえって気が楽になるのかもしれない。
その日の午前、三十数年ぶりに横浜の地にやってきた私は、雨合羽を頭から被って通学した小学生のように、たどたどしく道を探しながら山の方へ向かった。急な坂道は、確かに東京と違って雨の音しか聞こえなかった。目的の家は高台のてっぺんにそびえた大きなマンションの中にあった。初対面の彼は、大きく腕を広げて、私を迎い入れてくれた。
期待と不安が詰まった私の鞄は、彼に会った後、急に軽くなったような気がした。年のせいなのか、病気をしたからなのか、この頃、どんなことが起きても、これこそが良い方向へ舵を切っているんだと、無理しなくてもそう思えるようになった。(2014.4.8)