黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

いずれにせよ猫は猫

2014年10月22日 11時01分43秒 | ファンタジー

 菱田春草の展覧会に合わせて、テレビで春草の紹介番組が流されている。
 その番組を五分間しか見ることができなかったのは残念だった。しかし、日本画で初めて色の濃淡によって絵の奥行きを表現したのは彼なのだということと、とりわけ、彼の絵の中には背景が白地のままのものもあるという説明を聞けたのはラッキーだった。当時、白地の絵を見た画壇の方々はたいそう驚き、ブーイングの渦が巻き起こったというが、春草の先進性を認める師の岡倉天心により敢然と擁護されたため批判は鎮圧された。これについてはネットにも同様の解説がある。私はこの五分間の番組を見ただけで、心の中のつっかえが溶けていくのを感じた。
 春草の時代から五十年経ったころ、私は、小学校で白地の絵を提出して、こっぴどく叱られたことを今でも記憶している。どんな絵だったか、風景か動物か母親か、さなえちゃんの顔か、まったく憶えていない。白地の割合がどれくらいだったかも混沌としている。もちろん、断じて春草をまねたのではない。そうしたのは、二、三十センチ角の白い画用紙の一部に空白を残したままではダメだ、ということを私はわからなかったからだろう。
 推定その二。わかっていたが、面倒くさくて怠けたのかもしれない、そのために叱られたという見方もある。しかし、実は今でも、私はそのことを理解できているかどうか自信がないから、単に怠惰のゆえではなかったと思われる。
 その三。与えられた絵のテーマを描き切ったから。たとえば母親の絵では、母の姿以外に描く必要はないはず。あるいはそのテーマで描きたくなくて、絵を放棄した?
 その事件があったときから、私は絵を描くことを自分に禁じた。絵を描く動機というものを喪失したということなのだろう。
 それにしても、春草の「黒き猫」を見ていると、もしも描かれた黒猫の緊張の糸が切れたら、うなり声を上げながら、絵から飛び出してくるのではという気がする。柏の古枝の皮はたちどころにぼろぼろにされ、記念すべき高価な絵は鋭い猫の爪で引っ掻き破られて、画壇の人々は腰を抜かしてしまう。(2014.10.22)
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