黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

はなは百獣の王?

2015年05月26日 10時55分56秒 | ファンタジー
<2010.8のはな>
 和歌山県太地町のイルカ追い込み漁への非難の大嵐が、なかなか収まりそうにない。
 イルカを捕獲して食料にするのはもちろん、水族館に収容することさえダメという主張は、はたして正しいのだろうか?
 いにしえの生き物たちの世界では、食料調達を他者まかせにしては生きられなかった。えり好みもそこそこに、毒にならないものならなんでも食し、また強い者が現れればたちまち捕食されるという生命循環システムを無意識に受け止めて、できる限りの生をまっとうしようとしていた。
 私の知っている北方の狩猟民にとって、熊は、そのころ、生きとし生けるものの代表格、百獣の王だった。熊は忍耐強い単独行動者であり、孤独に弱い人にはまねのできない能力を持つ存在だった。一方で、熊は、どう猛な野生猫に比べ親しみある生き物だったためか、人は熊に対し強いあこがれを抱き、カミの位置に据えた。
 狩猟民たちは、熊に対する尊崇の気持ちを表すために、熊送りの祭りを挙行した。つまり、熊の命を奪った。そして、熊の生命力が宿った熊の血肉をみんなで分け合って食し、一時的にでも熊に近づこうとした。なんという残酷な、と思うだろうが、これは熊からの恵みであり、熊自身も喜んで人に施したのだ。想像だが、同じことは、人国の隣にある熊国でも行われていて、そこでは人が食われる役回りをしていた。
 ところで、イルカはなかなか優れて、フレンドリーな生き物だと思う。人とは大違いで、種や考え方が違うからといって、つっけんどんになったり威力を見せつけたりしない。そんな愛らしい生き物を捕獲し食料に供するのは忍びない、という感情がわくのはよく理解できる。
 イルカ追い込み漁への批判者たちにとって、特定の生き物以外は食うことをタブーとする社会こそ進歩した文明・正しい文明ということなのだが、それなら一度、タブーとする食料がどれくらいあるか、コンテストをやってみてはどうか。タブーとはひとつの文化圏にとどめ置かれる思想であって、共有したりグローバル化するのは無理だとたちどころにわかるだろう。
 現在の太地町の方々だけでなく、狩猟採集を生業としている世界中の方々は、さきほどの北方に暮らす狩猟民と同じ精神をずっと引き継いで生きてきたのだと思う。今回の問題は、太地町の漁業がたまたまイルカを対象にしていたために起きてしまった。この争いを解決するため、命あるものを捕食する生命連鎖と文明論について、冷静に議論できる文化人類学者らの参入を切に要請したい。(2015.5.26)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする