せっかく血液型に関するユニークな情報を披露しようとしたら、それには矛盾点が多すぎて要領を得ないという反論があって断念した。血液型の相性といったネタが長きにわたりもてはやされるのは、きっと、この社会にはヒト関係の悩みが尽きないということなのだろう。それにしても、血液型の違いの由来はどこにあるのか? 私の推測では、環境の変化があったとき、種の全滅を回避するための免疫作用の一種のような気がする。そんなことより、血液型にバリエーションがないと想像するだけでぞっとする。それならB型の私は、A型ヒトの悪口が言えなくなってしまうじゃないか。
言いかえると、この世の中、物事に対する反応がたったひとつだったり、意見の対立がなかったりしたら、ぜんぜんおもしろくない。話は飛ぶが、昼か夜か、男か女か、イヌかネコか、クロマニヨンかネアンデルタールか、文楽かAKBか、どちらか一方しかないというのは、やはり調子がよくない。そういえば、現世人類の遺伝子に、およそ三万年前に滅んだとされるネアンデルタール人の遺伝子情報がいくらか継承されているという学説が、ほぼ正しいと承認されたという。私たちは単一のヒトなのでなく、いくつものサルの末裔のなれの果てだと思えば、ヒトは、血液型の違う異邦人のような相手に対しても、もう少し穏やかな表情を見せられるんじゃないだろうか。(12.8.21了)
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