2001/2月下旬 湯の丸山
南岳・1998-夏-
そこに立ち尽くすさかぼうの姿があった。
快晴の朝であった。
南はキレット越しに北穂高から西穂高まで視界が広がっている。
北には槍ヶ岳。
さかぼうはため息をついた。
それは感激によるものではなく、憂いのため息であった。
視線はキレットの稜線から北穂高に集中していた。
さかぼうはようやく訪れた好天の日に稜線を歩く事はなかった。
なぜなら彼はこの日下山しなければならなかった。
彼にとって南岳からの光景はその時、憧憬となった。
西穂山荘・1999-夏-
刺すような日差しの元、西穂山荘は登る者、下る者、 幕を張る者、宿に入る者、一様に入り乱れ、 さながらアリの行列でも見ているようであった。
そこには偶然、ある二人の男がいた。
稜線を歩いた男とこれから歩く男であった。
二人はこの日、山ヤとして出逢い、そして別れた。
交わした言葉はたった一言だけだった。
出逢いと言うには大袈裟すぎた。
他人と言ってもあながち間違いではなかった。
湯の丸山・2001-冬-
生憎の霧雨模様。湿った重い雪に足を取られながらさかぼうは ワカンで登して行く。
頬をなでる風が雪山とは思えないほど温かかった。
体温は上昇し、たちまち息が荒くなった。
先を行くのはHBY氏。
スキ-で登っていく彼の四肢には独自のリズムが宿っていた。
それぞれがそれぞれのスタイルで歩いて行く異色の登山隊は 湯の丸山山頂に向かって進んでいった。
頂を踏んだ登山隊は下山にかかった。
しばらく行くと急な下りが待っていた。
そこで二人のスキ-パ-ティ-と出会った。
まずは二人が先を行った。
次にHBY氏もスキ-で快調に下っていった。
最後にさかぼうはここぞとばかりにシリセ-ドを決め込んだ。
三本のシュプ-ルと尻溝が雪面に描かれた。
急な下りも次第に傾斜は緩くなり角間峠に遭遇する。
霧に霞む落葉松と白樺が美しい湯の丸高原は世間から隔絶していた。
子供の頃に想像したム-ミン谷、冬の風景であった。
そこは幻想と自然が入り乱れる空想の世界。
「ム-ミン谷はきっとある。」
さかぼうは確信した。
真っ赤な秋の実をつけたまま氷に覆われたナナカマドの枝は 揺らすと氷が軋み”ぎちぎち”と不思議な音をたてた。
槍ヶ岳北穂高・1999-夏-
西穂山荘から歩き出した男は目的を半ばまで達成していた。
西穂高から奥穂高。続けて槍ヶ岳まで。
昨年のため息をかき消すかのごとく準備と装備と体力は万端だった。
何の不安もないと言えば嘘になるが、 この憧憬の稜線を歩く為にやるだけの事はやってきた自負があった。
西穂山荘で出会った男の事は既に記憶の奥底に沈んでいた。
湯の丸山・2001-冬-
そして今、偶然と偶然が重なり合って現実となった。
山で会うのは二年前の西穂山荘以来の事であった。 二人はこの森で初めてパ-ティ-を組んだ。
一人はスキ-。もう一人はワカンのいでたちで。
異色の登山隊は幻想の森の中、 もはや他人であるはずもなかった。
山は幻。山は妙。
思いもかけない戯曲がそこで待っている。
sak