きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

思い出の『Enya』 ~レンタルショップのあった時代~

2016-10-21 21:10:35 | 音楽
『Enya』


こちらのアーティストさんは20年くらい前に私が社会人なり立ての頃に曲を聴いてお気に入りになったアーティストさんです。

Enya - Caribbean Blue (video)


今回、久方ぶりに聴いてみようと思いCDを探したのですが見つかりません。
おっかしいな、どこにいったのだろう?
探してみると、あったのはカセットテープ。
そうでした、当時は家の近くにブックオフも無く、CDをレンタルショップで借りてきてカセットテープにダビングしていたのです。
現在だったらネットでダウンロードで終了なんですが、20年も昔だとレンタルショップもまだ健在な時代でした。
懐かしいですな(*‘∀‘)

初めての場所での暮らし、社会人としての第一歩で不安もあり、週末になるとクタクタになっていました。
そんな時、家事をやりながらダビングしたエンヤの曲を流して気分転換したものです。
ジャンルはなんでしょうね、環境音楽ともまた違うような気がしますが、なんとも心が落ち着く曲でした。
久しぶりに聴いて、あの頃を思い出しました。
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夜空の向こう

2016-10-21 15:10:19 | ブログ
昨日の夜、ちょっと用事がありましたので20時頃に外に出ました。
秋の夜はすっかり真っ暗。
でも、よく眼をこらして観てみると星空が広がってました。



視力が悪い私ですが、それでも真っ暗で星の光を妨げるものがないと星空を楽しむことができます。
世界でいちばんの星空 ~The Best Starlit Sky In The World~


しばし星空をぼぉーと眺めていると子供の頃を思い出しました。
小学生高学年の秋(11月頃)の夕方、私は塾に通ってました。
塾はそろばん塾。
私はそろばんにまったく興味のない子供でしたので、とにかく塾に行くのが苦痛でした。
塾の行き帰りで眺めていたのが夜空でした。
秋も深まってくると空気も澄んできて星が見やすくなります。
学研のグッズで星座をわかりやすく解説してくれる星座標(?)なんてグッズがありまして、それを使って星座を観測するって宿題が出た記憶があります。
星座にとくに興味がない私でしたが、そろばんよりは興味が湧きましたので、憂鬱な塾の行き帰りに夜空を眺めて気分を紛らしたものでした。

おかげで今でもなんとか覚えている星座があります。
それは「北斗七星」と「オリオン座」。
この2つはしっかりと覚えました(笑)

では問題のそろばんですが、これがまったくやる気がなく、結局上達の見込みなしということで止めたのでした。
今でも、秋からグゆの夜空を眺めると、その頃のことが思い出されます。
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「そうだ 京都、行こう。」で行ってきました 京都2006

2016-10-19 11:30:56 | 旅行記
JR東海「そうだ 京都、行こう。」1993-2012


10年前に行った懐かしい場所シリーズ第2弾in京都。
どこかのCMではありませんが、ちょうど10年前の6月に「そうだ、京都行こう」で行っちゃいました、京都。
勢いというものは恐ろしいものです。

学生時代の仲間で集まった際に「どこか行くベーか?」と酒を呑みながら話し合いまして、最初に決まったのは伊豆諸島の式根島。
詳しくは「式根島観光協会」さんへお願いします(リンク貼っときました。)。
しかし、船酔いの心配とそんなに有給&旅費をかけることができないという現実により、旅行会社に行く直前で断念。
代替案として浮上したのが1000年の都「京都」でした、
ランチ食べてる時に「島は断念したけど、そうだ京都に行こう!!」とJR東海のCMそのままの掛け声で決定した京都旅行。
しかも梅雨時だしすいてるんじゃね?という軽くて甘い考えでそのままJRさんに行き、チケット購入。
一泊二日の旅行と相成りました。
新幹線は朝早い時間帯の「早割」。

ここで、式根島を提案した友人が一つのサプライズを用意していたことに我々はまだ知る由もありませんでした。

さて、京都に到着した我々。
これから金閣寺、天竜寺に行くぞー!!と意気込んでおりますと、一人だけ黙っている男が一人。
その男がようやく口を開きました。
「もう行く先は決まってるんだよね・・・。予約してるから10時半までに行かないと」
は?どこに行くの??
っていうか初耳なんですけど・・・。
全員が「???」状態で絶句しております。
そりゃそうです、京都到着したのが10時。
あと30分ほどしかありません。
しかもバスもちょうど良い時間帯がありません。
大体どこに行くのさ。
我々が問い詰めると小さな声で「苔寺」。
苔寺(正式名称:西芳寺)。
世界遺産だそうです。
しかも拝観料が3000円。
なおかつタクシーを利用しないと10時半までには到着できないことも判明。
でも、行かなければよいのでは?
我々はそう考えました。
しかし提案者、我々の名前入りですでに予約しているのでキャンセルできないとのこと。
バカー!!!
そういうことは事前に知らせろよ(--〆)
やむを得ず、我々のプランは後回しで苔寺に行くことにしました。

タクシーに乗って、なんとか苔寺に到着。
庭園を散策して、怒りもだんだんとtけてまいります。











機嫌を直しつつある我々はそのままオプションの写経を行うことになりました。
と、ここでサプライズ男の一言。
「たまにはこういう写経もいいでしょ、やっぱ来て良かったでしょ?」
よくねーよ、それに私は小学生時代の夏休みにお寺で写経をやってるので珍しくもなんともありませんから。
しかし空気を読むことのないサプライズ男、どんどん暴走していきます。

嵐山電車に乗ろうと駅に向かったところ、駅に足湯がありました。
でも、電車の発車時間は迫っておりました。
ここでサプライズ男「足湯に入っていかない?いい記念だし」
いやいや、電車待ってるから!!
それに予定していた神社仏閣の閉園時間も迫ってるんだよ!!!
昼食を食べた時も文句を言いだすサプライズ男。
そんなこんなで宿泊先に到着。
翌日のコースを話し合っていると「京都は何度も来てるから伏見に行きたい」と言い出す始末。
やむを得ないので二手に分かれて行動することにしました。
約束として集合時間は厳守。
新幹線に乗り遅れるわけにはいきませんので。

私と友人は京都市内を朝から精力的に回り、銀閣寺、仁和寺、清水寺、平安神宮と観光名所を愉しみまして、ほぼ駆け足でお土産まで購入して集合場所にて待ってました。
しかし待てど暮らせどやって来ません。
連絡してもつながらず・・・。
同行しているもう一人の友人から連絡がようやく入り「遅れる」とのこと。

さすがにここまで振り回してきたこともあり、私も友人も怒り心頭となりました。
ようやく到着した彼らですが、サプライズ男はまったく謝罪なし。
おまけに帰りは東京駅までなどですが、新横浜で降りたいと言い出す始末。
私にも新横浜で降りようなどと声をかけてきましたが、私は一切無視いたしました。

そんな不愉快な旅になりましたが、久々に訪れた京都はさすがに良かったです。
今度はもっと時間にゆとりをもって観光を楽しみたいと思います。

ちなみにこのサプライズ男とは、我々はこの旅行以降は旅をしておりません。
一応、友人関係は続いていますけども、いくら友人でも「親しき仲にも礼儀あり」ですから。
本人はまったく反省もいまだにしてませんけどね。


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横須賀v( ̄Д ̄)v イエイ

2016-10-18 17:36:24 | まち歩き
今回からは10年前に行った懐かしい場所シリーズです。
ちょうど10年前の2006年の5月。
私は神奈川県は横須賀市に来ておりました。
普段、まったく利用しない京浜急行さんに乗って・・・。
横浜から小一時間程度、京急横須賀駅に到着。

勢いで来てしまったので、とくにプランもありません(笑)
まずは海だろうってことで海に来てみました。



おぉ♪(ノ)’∀`(ヾ)、これはかなりキレイな海ではないですか!!
ちょっと遠くを見渡すと





横須賀港が見えます。
普段は内陸に住んでる私はこれだけでテンションが上がりまくりですv( ̄Д ̄)v イエイ

テンションがアゲアゲになったところでお腹が空いてきました。
横須賀といえばやはり「海軍カレー」でしょう。
さっそく海軍カレーを食べさせてくれるお店に入店です。

出てきたカレーがこちら。



いざ実食。
うーん、イメージしていたものと違いますなー。
イメージでは、もっと野菜どっさりのカレーをイメージしてました。

例えばこれです。



そう、このくらいのボリュームをイメージしてました。
これはこれでまずくはありませんが、なんとなくボンカレーっぽいしなー(+o+)
なんだかんだ言いながらも完食して、海軍といえば戦艦三笠。
日露戦争時の日本の連合艦隊の旗艦です。
これは観に行かなくてはなりません。



(ノ・ω・)ノオオオォォォ-、意外に小ぶり・・・。
さらに近づいてみます。



やはり小ぶり。
これで帝政ロシアに勝ったんだから大したもんです。

さて、一通り名物を巡った後は帰り際にまた海辺へやってきました。









夕日と海、イイですなー(≧▽≦)
横須賀、カレーはいまいち(私的には(あくまでも個人の価値判断))でしたが、それ以外は最高でした。
たぶん、もっと違った海軍カレーがあるはず。
いつか食べたいと夕日を眺めながら思ったのでした。
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昭和キハの思い出~つり革事件~

2016-10-17 14:19:37 | 鉄道
以前からブログでも書いてますが、私の出身地『千葉県』にはいくつかのローカル鉄道線が走っております。
その中で私の地元では「いすみ鉄道」「小湊鉄道」の2路線が走っております。
そのうち、いすみ鉄道さんはかつての国鉄木原線が第三セクター鉄道に転換した鉄道会社。
最近では、国鉄型気動車の観光列車導入で何かと話題になっている鉄道です。



さて、今回のお話は国鉄時代のキハ列車で起きたとある事件のエピソードを書こうと思います。

あれは昭和の末期、私は小学生でした。
何年生だったかは忘れてしまいましたが、当時利用していた国鉄木原線でその事件は起こりました。
木原線で使用されていた車両はキハ35形。
こんな感じの車両です。(国吉駅にて静態保存中のキハ30-62)



車両の色は朱色(朱色5号)一色で、「首都圏色」と言われるカラーリング。
別名「タラコ色」。
いつも大体2両編成で運行されてました。
私が小学生時代には廃止路線の指定があり、車両もガムテープなどで補修がされていたりとなかなかの老朽化が進んでいる車両が走っていたりで、ちょっと寂しい感じでした。
そんな路線なので、当時の子供たちによるイタズラによるトラブルもありました。

ある日の学校の全校朝礼。
校長先生からのお話で、こんな話が出ました。
「先日、木原線の車両窓ガラスを割った児童がおります。皆さんはそのようなことは絶対にしないように気を付けて登下校してください」
どうやらふざけていて、勢いあまってガラスにぶつかって割ってしまったらしい・・・。
後で噂だったのですが、どうも私の通っていた小学校の何年か上の児童が犯人だったらしく、車掌や運転士、学校関係者からこってりと絞られたらしい・・・と噂が流れました。
田舎ですからね、そういうトラブルってのは珍しく、野次馬たちの格好の餌食なのです。

そんな噂でひとしきり盛り上がった後、またまた全校朝礼にて校長先生よりお話がありました。
「えー、わが校の児童が木原線のつり革を壊すということがありました。皆さんは悪ふざけでもけしてこのようなことはしないでください」
つり革って・・・。



そう、これですよね。
どうやって壊すんだろう?
しかも今度は確実に自分達の学校の人間が犯人です。
教室に戻った児童たち。
犯人捜しと壊したやり方を推理することで盛り上がります。
「誰なんだろうな、そんなことするワルは(すでにワル限定にされてます)」
「どうやったらつり革なんて壊せるんだ?いくらボロい木原線の車両でも難しいだろ」
「また先輩なんじゃないか?」
盛り上がる教室内。
そこへホームルームを行いに担任教師が入室しました。
「では、本日の朝礼で話がありました木原線のつり革事件ですが、〇〇くんは前に出なさい」
みんなは「・・・」
先生「〇〇くんが木原線のつり革を壊しました。〇〇くんは先生たちからも注意をされて反省していますので、もうしないと思いますが、みなさんも絶対に木原線を壊すようなことはしないでくださいね」
えっ、犯人ってうちのクラスの奴なの(´゚д゚`)?
っていうか国鉄(日本国有鉄道)なので国の資産を壊すってどんだけすごい小学生だよ・・・。
先生も普通に「木原線を壊すようなことはしないでくださいね」って、花壇とかじゃないんだから(´;ω;`)

さて、犯人がわかりましたが、その犯行(?)の手口はなんでしょう。
訊いてみると、「つり革を使って懸垂したら、つり革が切れた」というしょうもないものでした。
いくら当時は体育の盛んな小学校だとはいえ、車内で懸垂なんかしてはいけません。
当然、先生や国鉄職員からも「つり革で懸垂はしてはいけません」というごく至極当然なお叱りを受けたそうです。
弁償などの話は当時出てきませんでしたが、もしかしたら親がいくらか出したのかもしれませんね。
まさか廃止検討路線だからと壊していいってもんでもないでしょうし。

ちなみに犯人の友人はとくにワルでもなく、ただ活発なちょっとお調子者タイプの小学生でした。

今でも電車のつり革や窓ガラスなどを観ると、当時のエピソードを思い出します。




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