きままな雑記帳

ごく普通のあんちゃんのきままに記す日常日誌

天下統一って大変だろうなぁ・・・

2021-10-24 14:33:45 | 歴史
天下統一ってけっこう簡単に言ってしまいますが、実際のところ、天下統一なんて大変だろうなと思うんですよ。



天下を取るって言っても、それなりに人望なり軍事力、経済力なども半端なく使わなくてはいけないでしょうし。

天下人になったらなったで、今度はそれをいかに安定的に維持するかってことで頭を悩ませたりもするでしょう。

そう考えると、歴史上の天下を取った人達ってかなり大変だったんだろうなとも思うんです。

英雄だからそんなこと考えなくてもいいんじゃないか?と思われるかもしれませんが、好きで英雄になった人だって、時には英雄を辞めたくなることだってあったんじゃないか?と。

組織のある程度の『長』になると、それなりに期待もあるが責任も求められます。

そうなると、やりたいことでなくともやらざるをえない、言わざるをえないこともあります。

正直、天下人になるとその他大勢の意見も聞きながら施策を立て、実行しつつ批判すら受けなくてはなりません。

得意分野ならまだしも、そうでないならばなおさら面倒な立場になります。

現代で言えば総理大臣とかなんでしょうかねぇ。

でも、総理大臣はある意味で自分の意志でやろうと思えるでしょうし、辞めることもできます。

天皇はそうはいきません。

同じように関白、摂政、征夷大将軍といった天下をとるポジションで獲得したのはいいけども、あれ?なんか違うな・・・ってあったと思うんですよ。

じつは下の位置に居たほうがよほど居心地が良くて自由があるってパターン。

上司が鷹揚でなんでも許してくれるのならば、こんなに楽な位置はありません。

だって、責任は上司が取るってタイプならば。

まぁ、そういう上司が少ないのもよくある世間の当たり前の世界。

大概は『それは実務を執り行う者が実施してますから』となります(笑)

でも、そういった無責任さがないタイプが天下人になったら、そりゃ快感よりも苦痛しかないと思いますよ。

下の人間は良くも悪くも報告するでしょうから、それをすべて自分の責任として対処するわけです。

これは考えただけでもきついこと。

こんなこと、よほどのことがないとやりたくはありません。

でも、そういう人って必ずいて、頑張ってくれるんですよねぇ。

独裁者とかそういうタイプが多いのでしょうけども、まぁご苦労なことです。

ふと、妄想にふけってみました。











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『天下統一』ってさ、たぶんやってみたら案外と面倒くさいもんだったのかもね

2021-06-20 05:55:34 | 歴史
教科書などでは簡単に『戦国時代に終止符を打って天下を統一・・・』なんて教えるけども。

これって、じつはかなり面倒なことなんだよなと気づいたのがここ最近。

簡単に『天下統一』なんざ言うけども、日本全土ってそもそもどこまでよ?と。

で、そもそも『天下』の範囲ってどこまでなんだ?と。

ウィキペディアなどでは、当時の『天下』の範囲って現在の近畿地方(当時は畿内)。

そもそも『天下』って考え方は中国の発想で、中国自体も、元々が中原(黄河流域)の文明地帯を治めることを『天下』と言っていたそうです。

なので、三国志だったら中原を制圧しているのが曹操で、なおかつ当時の政府である漢王朝を事実上とはいえ牛耳ってるわけなので、立派に『天下』を制圧していると言えなくもありません。

もっとも、当時の漢王朝の勢力範囲だった江東地域やら四川地域やらを制圧した軍閥(日本流なら『地方有力者』)に過ぎない、孫権や劉備が『俺たちの地域も天下の一部』と主張して、結果的にこれが『天下三分の計』となっているわけです。

曹操からすれば、王朝や主要地域を制圧してるのに、まだまだ天下統一していないと言われてるようなもの。

しかも皇帝の命令という名目で命令しているのに、彼らは『曹操こそ逆賊』という始末ですから、現代の日本の国会じゃありませんが、面倒だったと思います。

日本の場合も織田信長以前は京都周辺を抑え、当時の室町幕府や朝廷を実効支配すれば実力での『天下人』と認められたのでしょう。



織田信長も最初は京都に将軍を据えれば実質的な『天下人』になると思っていたかもしれませんが、ところがどっこい、将軍は反織田包囲網を作って対抗してくるわ、各地の大名も統合してきていたので、結局は各地の大名を抑えないと『天下人』になれないことになったのでした。

後に続いた秀吉は各地の大名を征伐しつつも話し合いなどで政権に取り込んでいきます。



ただし、後継者が続かずに徳川家康に政権が移行、関ケ原の戦いで東軍の諸大名を取りまとめ、西軍の諸大名を屈服させた後、朝廷から征夷大将軍に任じられて幕府を開きます。

でもこの時点ではまだ大阪には豊臣政権が残っていますから、最終的には大阪の陣で豊臣家を滅亡させ、対抗勢力を打ち消してようやく名実ともに『天下人』になりました。

日本を統治する唯一の政権となったわけです。

朝廷を除けば全国政権は幕府のみですし、当時の大名もおそらく面倒な全国政権を担当するよりも、地元密着で存続するほうが優先だったと思います。

そう考えると、『天下人』ってよほどの変わり者か使命感を持った人なんだなと。

いくら天下をどうにかできるといっても、基本的には手弁当で組織を作って運営していかなくてはなりませんからねぇ。

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徳川家康って、静岡がやっぱり好きだった?

2021-05-15 16:18:46 | 歴史
よくよく考えてみたら、徳川家康さんって静岡が好きだったんじゃないかなと思ったんですよね。



家康さん、三河の岡崎城に生まれますけども、幼い頃から織田に今川にと人質生活という単身赴任生活を強いられてます。

尾張はどうかはわかりませんけど、独立するまでの青春時代は基本的に駿府の今川さんで単身赴任生活を送っていたわけですよ。

おそらく、静岡での暮らしは人質生活とはいえ、かなり良かったのかもしれません。

その後、家康は居城を岡崎城から浜松城、駿府城ときて江戸城になります。

でも、征夷大将軍になった2年後には辞職して、息子に譲り、あとは駿府城を隠居場所として大御所政治の舞台にします。

たぶん、青春時代を過ごした懐かしい静岡で、徳川幕府のオーナーとして指揮権を振るいたかったのかもしれません。

でも、こういうのってなんとなく理解できますよ。

自分が一番落ち着ける場所でリラックスした状態から経営的な指示を出す。

私からすれば、そうですねぇ、現在の故郷かもしくは一人暮らしが長かった相模原ですかね(笑)

居城、たとえ大名でなくとも住みたい場所ってのは理解できます。

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お城って意識したことありますか?

2021-04-20 22:01:40 | 歴史
お城ってご存知ですか?



そうそう、日本のお城といえばこんなイメージですよね?

でも、この堀があって石垣があって天守閣があるお城ってイメージは安土桃山時代以降のお話。

それまでのお城は館を要塞化した山城がメイン。

それはなぜか?

一つは地域によって異なります。

更には経済力。

昔も今も建物を建てるにはお金がかかります。

元々、お城はどこの国でも似たようなもので要害堅固な場所に建築するのが当たり前。

なので、日本では山城がメインでした。

でも、お城勤めの武士は毎日山道を通勤していたのか?というと、基本的には山城の麓に館があり、そこに勤務するのが普通なんですよ。

そりゃねぇ、重い刀を佩刀して、なおかつ部下に持たせるとはいえ、鎧甲冑なんぞを持って毎日山頂まで登山してたら、部下だって辞めます(笑)

山城というか、非常時の拠点というなら多少はアウトドアチックでも良かったのが元々のお城。

でも、戦国時代も後半になってくると、山城でも居城化してきたり、お城そのものを政庁化してくる、例えば織田信長とかが出てきたりします。

政庁かつ要塞とした小田原城などもありますが、小田原城の場合は城下町まで防御施設にした総構えの城で、それを参考に大阪城や江戸城なども整備されていきます。

で、経済面でいうと、たとえ平地で城を作るにしても、堀を掘ったり(川を利用しても)石垣を整備するにもお金と人と手間がかかります。

比較的に近畿地方などでは石垣のお城が多かったらしいのですが、火山灰の多い九州や関東などでは、土塁などの石垣をあまり用いない工法のお城が多かったようです。

それは、土塁のほうが加工しやすく、手間もさほどかからなかったからでしょう。

防御施設とはいえ、人手もお金もかけられないという場合は仕方ありませんし、まして土壌が加工しやすい場合なら土塁を採用するでしょうしね。

戦国時代の武将も現代と同じく、経済力がかなり影響あったんだと改めて感じます。

武力だけでも経済力だけでも生き残るのは難しい、そんな戦国時代の現実を垣間見た感じが城跡などを眺めていて思いました。









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『本能寺の変』たぶん、各々のすれ違いがこじれた結果なのかもしれませんね・・・

2021-02-08 19:29:08 | 歴史
『本能寺の変』が逆臣の謀反って言われますが。

でもなぁ、それって本当にそうなの?と思うんですよ。

いやね、『本能寺の変』以前には足利将軍が殺される事件は2件(足利義教が殺されるクーデター)と(足利義輝が殺されるクーデター)があり、途中じゃ将軍のすげ替えなんかもあって、室町時代じゃべつに驚くほどの事件でもないように思うんです。

それに地方での実質的な下剋上なんざ普通にあり得てる時代ですしね。

本能寺の変が起こった頃、普通に足利義昭さん、征夷大将軍なんで、幕府はあります。



ただ、京都は織田信長に押えられてますから京都には居ないだけ。

でも、じつは室町幕府じゃ当たり前だったんですよ。

管領という将軍の補佐役が将軍と仲が悪いってだけで将軍を追い出した時でさえ、一応室町幕府は存在してますし。

ぶっちゃけ、室町幕府ってかなりしつこいくらいに生命力が強い幕府でもあります。

なぜなら、鎌倉幕府も江戸幕府も将軍がどっかに追われる(鎌倉幕府は源氏将軍は暗殺されてますが)ってことはありません(鎌倉幕府の身や将軍は何代かは成人してから京都に戻されたりはしてますが)。

で、追われた後でも京都に戻ろうと抵抗したりレジスタンスを企んだり。

もっと面倒なのは将軍家が割れたり、そうでなくても関東の鎌倉公方と対立したり・・・。

室町時代はこういう争いは当たり前にある出来事。

なので、『本能寺の変』は天下取りに近かった織田信長を家臣という立場の明智光秀が殺したってことでインパクトが大きいとは思うんですが、でも当時の将軍を殺したわけでもありません。

辞任してはいますが右大臣まで歴任したからとはいえ、どこまで織田信長って意識されていたんだろうと。

豊臣秀吉も農民から関白まで登りつめましたが、それでも関白を何年かはやってますし、当時は征夷大将軍も辞めているので、天皇以外なら金も実力も権威も兼ね備えた存在になってます。

でも織田信長の場合はそうはいきません。

なんだかんだ言いながらも、権威は天皇や朝廷が保持してますし、それに足利幕府としては京都に居なくとも征夷代将軍には在任していて、それなりに幕府官僚も伴う組織まで維持している足利義昭が存在しておりました。

これって、織田信長が畿内を制圧していて(当時は畿内を手中に収めることが天下人だった)も、反対勢力からすればいくらでも揚げ足取りできる状態なわけです。

ましてや、その急先鋒が足利将軍だったら・・・。

それに明智光秀は織田家の家臣でもありますが、元々は朝倉家の家臣で、しかも足利義昭の家臣でもあります。

つまり、ランクで言えば足利→織田=朝倉ってな感じ。

むしろ、当時の朝倉は越前の守護(元々は守護代だったが応仁の乱で守護に格上げ)で元は尾張の守護代の奉行職に過ぎない織田信長の家系ではランクでははるかに下なわけです。

でも経済力や武力といった実力でのし上がったのが現代風に言えばベンチャー企業の織田信長なわけです。

じつは徳川家康もベンチャーなわけですが。

で、そのベンチャー企業に正社員か契約社員かわかりませんが、(足利家との雇用関係もあるので)事業に参画して報酬を得るようになったのがきっかけで出世したのが明智光秀だったとしたらどうでしょう?



信長は転職組をかなり重用しております。

明智光秀や豊臣秀吉だけでなく滝川一益やら秀吉や光秀の部下なども多く雇用してます。

おそらく、急成長している自らの織田家に必要と感じていたのかもしれませんが、たぶんそれまでの人材だけでは乗り切れないとも感じていたのかもしれません。

やがて大企業化していく織田家なんですが、中央に近づくほど、わけのわからないしきたりにぶつかります。

これも現代と変わりません(笑)

信長さんからすれば『えっと、とりあえず世の中を安定させたいだけなんですけど』ってことだったと思いますが、そこは大人の世界があります(笑)

そうは問屋が卸しません。

で、そんな『大人の世界』に対処させるべく足利義昭やら幕府官僚を使うも、逆に『織田は足利から天下を奪おうとしている』とされて、バッシングを受けます。

まぁ、足利に政権を運営できると考えた信長の考えが甘かったわけですが。

段々と理解していくと結局は『足利じゃダメだ』と気づく信長。

じゃあ、できないなら京都追放でってやったら、それをネタにまたまたバッシングの嵐。

おそらく色々と観てきて、どうなんだろう?と疑問に感じた明智光秀が、クーデターを実行したって感じなのではないでしょうかねぇ。

[麒麟がくる] 第43回 まとめ | 闇に光る樹 | 5分ダイジェスト | NHK


ただ、クーデターの標的が大物だっただけに衝撃も大きかったってことなんでしょうけどね。

なので、東国ではこんな混乱だったり

まったくわからん!


西国では企む人がいたり

軍師官兵衛 第30話「中国大返し」 あらすじ


ようやく落ち着き始めたのに、再び流動化したのですから大変です。

混沌とした時代でしたでしょうから、世渡りも大変だったと思います。

なんとなくですが、クーデターもそんなに計画的でもなかったでしょうし、黒幕がいたとしてもおそらくそれまでのお偉方だったかもしれません。

すれ違いが手のつけられないくらいになって、クーデターになった・・・。

そう考えるとなんとも人間臭い出来事に感じられます。









ひきこもり・不登校・休職からの社会復帰の悩みに








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