不思議を感じることには、不思議な力がありますよね。ですから、「知ることは感じることの半分も大事じゃぁ、ない」。
p360第3パラグラフ。
ところが、私どもの関心を特に引くのは、「律法を恐怖に基づかせる」ユダヤ民族の強烈な傾向に関するアインシュタインの言葉です。この傾向は、今まで見てきたように、ガリラヤの言い伝えの中で、乗り越えられているよう見えます。もちろん、申し上げたいことは、ヤーウェの神を、おそろしい、妬みの神と崇めるのは、一神教の約束の一部だということです。その約束のおかげで、この世の恐怖を最終的に補償してくれます。というのも、この約束があればこそ、歴史的な苦難も、究極的に慈しみ深く、全宇宙を救ってくださる力のある方がおとり仕切りくださるご計画の一部になるんですね。
苦難の神義論ですね。「絶望的」だと思えるようなことも、慈しみ深く、一人残らず救ってくださる方がお取り仕切る計画の一部になっちゃう。だから希望がいつでも何度でもある。そういう仕掛けになっているらしい。