エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

苦難の神義論

2014-11-01 14:21:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 不思議を感じることには、不思議な力がありますよね。ですから、「知ることは感じることの半分も大事じゃぁ、ない」。

 p360第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 ところが、私どもの関心を特に引くのは、「律法を恐怖に基づかせる」ユダヤ民族の強烈な傾向に関するアインシュタインの言葉です。この傾向は、今まで見てきたように、ガリラヤの言い伝えの中で、乗り越えられているよう見えます。もちろん、申し上げたいことは、ヤーウェの神を、おそろしい、妬みの神と崇めるのは、一神教の約束の一部だということです。その約束のおかげで、この世の恐怖を最終的に補償してくれます。というのも、この約束があればこそ、歴史的な苦難も、究極的に慈しみ深く、全宇宙を救ってくださる力のある方がおとり仕切りくださるご計画の一部になるんですね。

 

 

 

 

 苦難の神義論ですね。「絶望的」だと思えるようなことも、慈しみ深く、一人残らず救ってくださる方がお取り仕切る計画の一部になっちゃう。だから希望がいつでも何度でもある。そういう仕掛けになっているらしい。 

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#ヨーヨー・マと #大竹しのぶ #楽しいが共通項

2014-11-01 14:08:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 昨日の「プレミアム・トーク」(10.31/2014, 8:15~9:40)は、実に見応えがありましたよ。私は録画したものを見て、とても愉快な気持ちになりました。

 ヨーヨー・マさん。ジュリアード音楽院のチェロの教授が、ヨーヨー・マさんが9才の時には、「もうあなたに教えることはない」といったほどの、チェロの天才。しかも16才の時にはハーバード大学には入学していたという。ヨーヨー・マさんの話ぶり。おどけたユーモアの連続。9才の時には、「もうあなたに教えることはない」と言われたエピソードでは、ヨーヨー・マさんは、「教授が夏休みを取りたかったから」と言ってのける。笑みをたたえて、自分のことを日本語で「アホー」と言い続ける

 一級のインテリジェンスと教養。それは実に愉快で、偉そうなそぶりは微塵もないですよね。関根正雄先生と同じです。関根先生にはこんなにユーモラスなところはないし、それが無教会のお堅いところかもしれない。

 ヨーヨー・マさん、インタヴューの中で、楽しそうに次のように語っていましたね。

「僕たち(シルクロードアンサンブルのメンバー)がお互いに大事にしているのは『バカになること』(silly)なんです。僕たちが『バカになり』、陽気で楽しくなると、その時が一番創造的で、好奇心旺盛になれるんですね。だから僕たちは、心から楽しむんだけれども、それは悪ふざけじゃぁないんですよね

 実にお見事。創造性の本質を一言で言ってる感じ。しかも、実に楽しい

 大竹しのぶさんもその直前に「大竹さんを漢字一字で表現したら、何になりますか?」との質問に、しばらく間をおいて、次のように答えています。

 「『楽しい』っていう字だったら、良いなぁ、と思います」

 創造的に生きている、大竹しのぶさんとヨーヨー・マさん。「楽しい」が共通項です。

 

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信頼と力は水と油

2014-11-01 06:06:14 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 信頼は、力で相手を操縦したり、コントロールしたりすることを止めにして、その場に踏みとどまることや、待つことに、心を配ることになります。

 p116の15行目途中から。

 

 

 

 

 

力を当てにすることは、未来に見通しを持つのに、確実に手元にある現ナマしか当てにしない、ということなんですね。でもね、力を当てにすることは、人間にはポテンシャルがあるし、また、人間は発達する、ということを見落としている点で、大なる勘違いですし、大いにばかげています。力を当てにすることに、理にかなった信頼なんぞ、全くありません。力に従属することやら、力のある人は、力を維持したいと願う願いやらはありますよ。多くの人にとって、力はすべてのものの中で一番実感のあるもののように見えるけれども、人類の歴史を見れば、人類の成し遂げてきたことの中で、力が一番当てにならないをだと分かります。信頼と力は水と油ですから、もともとは、合理的信念に基づいている、あらゆる宗教団体、あらゆる政治団体でも、強さを失うことになるのは、その団体が力に頼ったり、権力と結託する場合なんですね。

 

 

 

 

 

 力=支配=操縦=モノ扱いです。力のあるところでは、関係が上下関係、支配・服従の関係になっちゃう。

 その逆は、信頼=やり取り=自由=人間扱いなんですね。人は自由の中で人間として認められて、初めて自分の値打ちに気付くことができるからです。

 ですから、力が支配するところには、信頼は、かけらもありませんから、教育や福祉や医療は成り立ちませんでしょ。

 教育や福祉や医療などヒューマン・サービスにおいては、何よりも信頼が大事です。

 

 

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