エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

小出裕章さんのメッセージ 東北~関東 ホントは人が住めない⁉

2014-11-15 15:19:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 昨日早稲田のクラスメートの楠さんがfacebookで、小出裕章さんのメッセージに「イイね」をしていて、拝見すると、とても大事なメッセージでした。皆さんご覧になりましたか?

YouTubeでは、

http://www.youtube.com/watch?v=9KzmzlJ-J4I

文字では

http://haruniy.ti-da.net/e6935673.html

 

私は、チェルノブイリ原発事故並みの事故処理をした場合のことを考えます。小出裕章さんのメッセージによれば、

「この日本という国がもし法治国家だと言うのであれば、放射線の管理区域に指定して、一般の人々の立ち入りを禁じなければいけないというところが、おそらく1万4千平方キロメートルほど広がってしまっています。
東北地方と関東地方の広大なところを、もし法律を守るというなら、無人にしなければいけないほどの汚染なのですが、今現在、数百万人もの人々、子どもも赤ん坊も含めて、そういう場所に捨てられてしまっています。」

だと言います。それを政府も東電も、例の「ウソとゴマカシ」で、日本の市民をけむに巻いているのです。ゴマ化されてはいけませんね。

 私どもは福島の現実、放射能汚染の現状を、よ~く見てみましょう。

 次の投票で、参考にしていただければ、幸いです。

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最深欲求 > 黄金律

2014-11-15 12:24:08 | アイデンティティの根源

 

 黄金律には不思議な力があることがハッキリ分かりますね。

 p221第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私は世界中のいろんな宗教まで、黄金律の色なん者を辿るつもりもありません(し、実際辿ることもできません)。間違いなく、英語版では、すべての黄金律は、聖書の黄金律に、何となく似てきます。しかし、根源的な公式は普遍的ですし、私どもの文明の中で一番大事に思われている言葉に、驚くほどたくさん繰り返されます。それは「聖フランシスコの祈り」から「カントの道徳的要請」やリンカーの政治信条「私は奴隷になりたくないのと同じくらい、奴隷持ちにもなりたくありません」までいろいろありますよね。

 

 

 

 

 黄金律がこれほど普遍的なのは、最深欲求と繋がっているからでしょう。人の最新欲求は共通しているわけですから、そこに結びついた黄金律も、普遍的だという我ですね。

 ですから、黄金律を考える場合、最深欲求について、思いを致すことが必要です。

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人を大事にすることに社会的な可能性を信頼することこそ、合理的信頼です!!

2014-11-15 10:10:45 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 人とのやり取りや、人を大事にすることを、社会システムに組み込んでいきたいものですね。

 とうとう第4章も、今日が最終回。

 p1231行目途中から。

 

 

 

 

 

人を大事にすることが、人間の実存に対する唯一の、正気で、満足のいく答えである、ということが、そのように私は示そうとしてきたことですが、それが本当ならば、人を大事にすることをうまく取り入れている社会は、長い目で見れば、人間性の最深欲求と矛盾することをなくしていかなくてはなりません。実際、人を大事にするということを話すことは、「宗教家がする説教」などではありません。なぜなら、人を大事にすることこそ、人間ひとりびとりの、究極的で、しかも、現実的な欲求について語ることなんですね。この最深欲求が、すぐには解しがたいのは、最深欲求がない、ということではないでしょ。人を大事にする、ということの性質を分析すれば、人を大事にすることが今日いかに欠けているかを理解することになりますし、人を大事にすることに応答しない社会情勢を批判することになりますよね。人を大事にすることが、単に奇特な個人のやることだ、というだけではなくて、社会的な出来事としても、どんなのか可能性に満ちているのかを信頼することは、まさに人間性に対する気付きに根差した合理的な信頼です。

 

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